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飼鶏

 気位の高い鶏の産んだ黄金の卵の味が忘れられず、翌年、まだあどけない鶏を一度に五羽飼う事になりました。名前はどれもコッコと名付けました。先代のコッコが泊まった白樺の枝に、一度に五羽も泊まれるはずもありません。かといって、それぞれがお気に入りの木の枝を見つけてねぐらにするような習性も持ち合わしていないようです。先代のコッコが使っていた手狭な鶏小屋に、夜になると五羽仲良く寄り添って羽を休めています。

 街までトタンや金網、角材を買いに出掛け、父親と鶏小屋の新設作業に取りかかります。裏山に生えた若木を鋸でギコギコ切り倒し、鉈で枝をはらい、鎌で皮を剥いて止まり木を作ります。夏の間は小屋の扉を開放し、庭のミミズをついばむようにしておきましたが、私たちが餌を運んでくることを知ると、庭に出ていく度に近寄って餌をねだるようになりました。一度小屋で飼いはじめると、鶏たちは毎日私たちの運んでくる餌を当てにして、餌を求めて冒険するような事はなくなってしまいました。

 卵を産むとコケコッコーと雄叫びを上げてしまう可愛らしさは相変わらずです。林のあちらこちらから、五羽が輪唱するかのように雄叫びを上げる光景はとても賑やかです。さながら、私たち卵探索隊を幻惑させようと五羽が共同して鬼さんこちらと誘っているかのようです。しかし、黄金の卵の輝きも心なしか色あせて見えます。今思い返すと、裏山に植林された落葉松林は、先代のコッコの時代にはまだ背も低く、下草が豊富に生い茂っていました。ところが、年々落葉松は成長し、それとともに下草が姿を消してしまい、餌になるミミズが少なくなっていたのかもしれません。当時はそんな事には思いも及ばず、「怠け者のこいつ等め」と、罵っていたものでした。

 凍てつく冬が近づくと、鶏小屋に厚い透明なビニールを巻く作業を行います。真冬になると土はカチコチに凍ってしまうため、秋のうちに干し草を作り床に敷きます。木箱を入れて、少しでも地面から離してあげられるように工夫を凝らします。洗面器に入れた水はすぐに凍ってしまうため、朝晩水の交換と残飯と配合飼料を混ぜた餌を与えに鶏小屋に向かいます。扉を開けて餌箱に餌を広げると、鶏は一斉に餌を突つきはじめます。しかし、一羽だけ餌をついばもうにも、他の鶏に突つかれて餌箱からはじき出されてしまう鶏がいます。「こら、メンメっ」と、他の鶏を叱り、その鶏にも餌を与えようと試みますが、彼女らはおかまいなしに餌箱から一羽の鶏を排除します。それは寝る時も同じです。一羽だけ隅っこでぽつんとしょんぼり返って眠っているのです。次第に体力を失い、その鶏はとうとう衰弱死してしまったのでした。

 生存競争に打ち勝った四羽の鶏でしたが、間もなく一羽の鶏を仲間はずれにし始めました。前回の教訓からその鶏を別の小屋に避難させましたが、残りの三羽がまた一羽を仲間はずれにし始めます。もう鶏が恐ろしくて恐ろしくて、餌や水替えに行くのが苦痛で苦痛で仕がありませんでした。結局、ひと冬で二羽減り、三年経ってとうとう鶏は一羽になってしまいました。生存競争を勝ち抜いた前科者の鶏は、コーコーコーコと可愛い声を鳴らしながら、人間の後について歩くようになりました。逞しく土を掘り起こし、ミミズをついばむようにもなりましたが、先代の気位の高いコッコに感じた尊敬の念をとうとう抱く事は出来ませんでした。

 私は、理性の大切さと、飼育し囲う事の罪深さを感じたのでした。そして、「人間もまた自然の一部である」ということと、「人間は人間である」ということを鶏は教えてくれたのでした。
by pantherH | 2006-02-10 20:12 | エッセイ
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