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共謀罪とカルト前夜

 辺見庸の著作『不安の世紀から』にロバート・ジェイ・リフトン氏との対談が収められています。そこで二人はオウム真理教そしてカルトについて対談しています。リフトン氏はカルト的な集団の形成されうる強力な歴史的傾向について、社会の価値観を自分の内面に取り込むことに疑問や葛藤を感じ、もはや自分達の社会を自己の中で現実のものとして捉えることが出来ない「シンボル体系の崩壊」、核兵器や環境破壊、資源の枯渇といった自分自身や人類の永続性に対する脅威、即ち「世界滅亡の脅威」、そしてどんな些細な情報でも世界中に伝達可能な「マスメディアの革命」の3点を挙げています。冷戦構造の中で価値体系が崩壊し、テクノロジーや物質的豊かさは人類の永続性を約束しないばかりかむしろ脅威として君臨し、不安を助長するメディアにも煽られて多くの若者が精神的な救済を求めてオウム真理教に入信した。指導者は信者により神格化され、それが徐々に双方の精神的重圧となり破綻を招く結果となったのではないかと考察しています。

 共謀罪は、冷戦構造の中で保障されていた二者択一的な価値観の崩壊以上の、「内心の自由」という人類の叡智としての価値体系の崩壊をもたらします。更に、共謀罪は「暴力の独占」と「情報の独占」を本質とする国家に、二つの独占を自由自在に往来することを保証する法律です。それを行使する国家は、持続可能な社会を完全に否定する思想を内在した新自由主義を標榜し、課題山積で既に懐疑的ですらある人類の永続性について、民主的な手段を封じられ、暴力的な手段が常態化すればその芽は摘まれてしまうことになるでしょう。そして、社会を形成する大前提である「そのような惨事の起こる可能性は非常に少ない」とする安心のコンセンサスが、共謀罪による相互監視とメディアによるセンセーショナリズムによりズタズタに切り裂かれてしまいます。

 共謀罪が施行されたとしたら私はどうするのでしょうか。長いものに巻かれ言動を慎み従順に生きる道を選択するのでしょうか。抵抗と弾圧に身を置くことになるのでしょうか。社会に絶望し人間に絶望し人間を止める決断を考えるのでしょうか。それとも何らかの希望を求めてコミューン(共同体)を形成しようとするのでしょうか。しかしいかなる民主的で崇高な理想を掲げたコミューンでも、その外部から見たらカルトと映りますし、ひとたびカリスマを求めたら容易にカルト集団へと転落する可能性を秘めています。皮肉にも刑務所の中に理想的なコミューンを形成できるのかもしれませんが、一縷の希望も見えてきません。

 地下鉄サリン事件から10年以上が過ぎ、日本人はカルトについてほとんど深く考察せぬまま、麻原とオウム信者の狂気によってもたらされた事件として葬り去ろうとしています。しかし今日その歴史的傾向は更に強まっているのではないでしょうか。そして、テロやカルトを取り締まるためとする共謀罪こそが、カルトを大量に生む結果となるのではないでしょうか。そして、人間の弱さゆえ精神的なカリスマを求めたとき、破綻への道を突き進む正真正銘のカルトが誕生するのだと思えてなりません。
 
 共謀罪は何としてでも、廃案にしなくてはなりません。そしてカリスマも求めることは出来ないのです。
by pantherH | 2006-05-09 01:09 | 社会
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