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4月から後期高齢者医療制度というとんでもない制度が動き始めました。政府は周知徹底に不備があったと陳謝していますが、あらかじめ制度の内容について明確にしてしまっては、それこそ大変なことになると承知していたので、確信犯的にアナウンスメントを控えていたのが本当のところでしょう。大手メディアもこの制度のトンでもぶりを認識していたにも関わらずずっと沈黙してきて、制度が出来上がってから取上げる。猿芝居もいい加減にして欲しいものです。
リハビリに関する診療報酬140日上限打ち切り制度や、障害者自立支援法なる悪法の場合もそうでしたが、一度制度として成立してしまうと、窓口でどんなにその制度の矛盾や非現実性を指摘しようとも、実際のサービスを継続して受けようと思ったら、制度に従わざるを得ないのが現実です。「弱者は現実問題結局従わざるを得ない」と、居直っている政府のやり方に猛烈な野蛮さと下劣さを感じます。 で、後期高齢者医療ってどんなのなのかと思い、厚労省のホームページでリーフレットや会議資料など目を通してみました。本音は医療費の削減にあり、政府発の一方的なプロパガンダという感じがします。作文としてはまあよく出来ているようにも思えますが、一つの制度だけでは心もとないサービスを、色々工夫してなんとか提供している現場に対する想像とかが欠落している気がして仕方がありません。残余能力の少ない後期高齢者は在宅介護、医療の重点配置、現役世代の負担軽減、が政府の3大主張だと言えそうですが、全部絵に描いた餅なんですよね。 現在の日本に在宅・介護の担い手はいますか。介護従事者の給料は月10万円ちょっとで、それも殆どが非正規雇用。受け皿のソフト面を顧慮せずに自宅、介護と大口ばかり叩く。そこで外国人看護師だ介護士の規制緩和をとかが議論されているようですが、全く本末転倒です。発展途上国で少ない予算で自国の医療福祉を支えるために育てている看護師が、先進国やアラブ諸国の高齢者を支えるために雇われ、いつまでたっても自国の医療福祉が充実しない人的な搾取に関する国際問題だってあるというのに、全く想像力を欠いています。 医療の重点配置の重要性は分かるけれども、保険点数制度による利益誘導で姑息にやるから、中小規模の病院なんかは疲弊して、厚労省が描く医療圏なんかほとんど崩壊しています。 現役世代といわれても、非正規雇用ばかりで、自分の社会保障費ですらままならない現実に若者世代は晒されています。よくもまあ、美辞麗句を並べられるものだと逆に感心します。 ただ、資料を読むと、一方的に厚生官僚は国民の敵だ!と糾弾する気持ちにはなれない部分もあります。なんか敵でもないという感じですね。何でなのか良くわかりませんが、彼らの空回り振りが凄く伝わってくる感じがするのです。現場で患者さんのことを第一に考えている人たちが描いている進歩的なイメージを汲もうとしているんだけど、言葉やイメージだけが上滑りしている感じが随所に見られます。騙してやろうという悪意はあまりなく、良いのを作っているという勘違いが紙面から感じられます。上滑りしているのは、作成段階でも検討委員会でも国会でもメディアからも、大きな波風が立つことなく全部通ってしまっているからなんだろうなと感じずにはいられません。政治だけでなく国民から緊張感がなくなって久しいけれど、緊張感のなさ故の劣化をまじまじと感じた次第です。せめて国民くらいは波風を立てないと、このまま加速度的に転がっていきそうで薄ら寒くなります。
Undre the Sunに書いたコラムを転載します。お題は、「こだわり」。
振返ると僕は、『時間』や『ことば』にこだわっているようです。 時間にしてもことばにしても、「斬る時間」「斬ることば」と「醸す時間」「醸すことば」があって、どっちが大切っていうものではなくって、どっちも大切なんだけど、時間もことばも斬りっぱなしだと、結局のところ関係も存在も切断されてしまう、金銭至上主義に帰着しちゃうんじゃないか、なんて漠然と感じています。一方で、醸すことばって結局想像力の事を指すと思うし、醸す時間って個々人のプライベートなことの集積だから、「想像力を働かせろ」とか「醸せ、醸せ」と声高に言うのは短絡の極みだと思ったりします。『国家の品格』なんかは、それを声高に叫んじゃったりして、逡巡の欠落というか、その短絡というのを恥ずかし気もなくやっちゃっている。読んでてアホだなーと思う。ただ、「醸す時間」とか「醸すことば」を「ことば」で表そうと思ったら、そういう罠にはまり易いというのも事実なんじゃないかなとも思う。あまり良く知らないけれど、宮沢賢治しかり、島崎藤村しかり。特に、「国家」って奴を扱うと、とたんにその罠にはまっちゃうんだと思う。だから、「国家」という文脈では語ってはならないという慎みが必要なんだと思う。 『逡巡』 哲学者がするように「時間とは何か」と問うことは僕の能力を超えている。 「時間を認識できるか」と問えば、「さあ分からん」。 「時間を実感出来るか」と問われたら、「はい」と答える。 では、いったいどんな時に時間を実感出来るのか? 分からなかったことが、なるほどと分かったとき、 全く無関係だと思っていたAとBが繋がったとき、 僕は自分の中を伏流していた「時間」を感じる。 試験直前最後の追込み、 締切り間近の仕事を山のように抱えているとき、 僕は自分の横を通り過ぎる「時間」を感じる。 灼熱の日ざしが和らぎ影の長くなるのに、僕は「時間」を感じているだろうか? いつも決まって真っ赤な花を咲かせる曼珠沙華に、僕は「時間」を感じているだろうか? 子どもの成長に、両親の老いに、ぼくは「時間」を感じているだろうか? 僕は「変化」の後ろにいる「時間」を感じているだろうか? 会うことのなかったおじいちゃんとそのまたおじいちゃんに、僕は「時間」を感じているだろうか? 会うことのない百年後の子どもたちに、僕は時間を感じているだろうか? 僕は「過去」と「未来」を繋ぐ「今」に時間を感じているだろうか? 変化の後ろにいる時間。 自分の中を伏流する時間。 横を通り過ぎる時間。 過去と未来を繋ぐ時間。 お釈迦様はきっと、この「4つの時間」を悟られたのだろう。 アイザック・ニュートンは、変化の後ろに存在する時間に目を凝らし、限りなく時間をゼロにすることで「微分(=differentiation)」を発見した。そして微分に再び「時間」という魂を入れることで「積分(=integration)」を発見した。そして、松尾芭蕉は、切り取った瞬間に永遠を想起させ、微分と積分を俳句に詠み込んだ。 Differentiationとは分化、差異化すること。そのお陰で僕らは変化を分析し、過去と過去を繋いで、未来を予測出来る(かも知れない)。しかし、differentiationの行き着く先は「差別すること」。 Integrationとは統合、融合すること。そのお陰で僕らは思いがけずAとBの連関に気づき時間を実感する。そして、integrationの行き着く先は「平等になること」。 ところが、違い(=different)の否定は、無関心(=indifferent)。 まさに言語化の放棄。関係性の放棄。ゆえに双方に楔のように突き刺さる。 だから、僕らは「微分」と「積分」の間で、「時間」という魂を抱えて、逡巡しながら歩むほかない。 アルバート・アインシュタインは、速度と時間に目を凝らし、限りなく速度を高めると時間が止まることを発見した。僕らは時間を止めたくて、必死に生きる速度を高めようとしている。僕らは時間を掴みたくて、ちょっと先の未来に線を引き、そこまでダッシュを繰り返す。哀しい哉人生は、光速には近づけない。そして「今」はいつも僕らの耳を掠め過ていく。 リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカーは、歴史に目を凝らし、過去に目を閉ざすものは、現在に盲目になると言った。少しでも「今」という時間を知りたくて、人は歴史を知ろうとする。「過去」を知り、朧に「今」が映される。「過去」を知り、人は己の一回性を知る。有限と知ることで、人は己の永遠性を知る。 なのに僕らは、「今」を知りたくて、時間を切り刻む。「時間」を感じたくて、時間を切り刻む。哀しい哉、時間を切り刻む程に自らを切り刻む。 そして僕らは歴史を知らなくて、己の有限性に懊悩し、カルトに心を蝕まれる。 親鸞上人は、一回性と永遠性に目を凝らし、弥陀の本願ゆえ念ずれば煩悩具足の我らでも成仏出来ると唱えた。時空間的彼方に「絶対」を描いて、万物を相対化し、有限と無限を繋ぎあわせた。 ルドルフ・シェーンハイマーは、合成と分解に目を凝らし、常に分子を入れ替えながら自己同一性を保つ、生命の動的平衡を発見した。「生命」とは、「無限」の時空間的凝縮により際立つ「存在」。 悠久の「過去」、永遠の「未来」、そして無限の「空間」を、有限の僕らが繋いでいる。 時間は存在であり、存在は時間だ。 少し先の未来に死をみると、人は初めて「今」を知る。 おじいちゃんのそのまたおじいちゃんより遥か昔から脈々と流れる川の水面に、ぴょんと飛び跳ねた魚の如き自分。 でも、僕らはそこに、one make決めたいんだ。 そうだ! 僕らは「無限」と「無限」の間で、「存在」という魂を抱えて、逡巡しながら歩むほかない。
愚樵さんの一連の興味深いエントリー ”情”が分離された時代、”右”か”左”かなどを読み、何度かコメントをしようと試みたのですが、残念ながら僕自身言葉にすることが出来ませんでした。全く頭の中は混乱し支離滅裂なのですが、言語化しないと一生スルーしそうな気もするので、その中で感じたことをエントリーします(すみません)。
「知」とは要素還元論的(分析的)手法により詳らかにされた事象の総体であり、言語、脳、微分(時間の)がその代表だと考えます。一方、「情」は・・・。僕はこの「情」についてことばで表そうと思った瞬間に、ことばを失ってしまうのです。でも、おそらく「情」は、表そうと思った瞬間に「ことば」では表現出来ないという性質をその本質に宿しているのではないでしょうか。 僕も「表現」の持つ「一人歩き」に苦心している時にこのことについて考えていました。 鈴木大拙の著作を何冊か読んだのですが、禅的世界感を表現する「知」(ことば)と、ことばでは表現し得ない「情」を表す為に、メタファとしての「作法」(形式)が記述されているように思われました。「禅」については全くの素人なのですが、「禅」とは「知(言語化)」と「情(作法=身体化)」を行き来(トランスミット)する技法なのではないか、と感じました。その点で僕にはしっくり来るものがありました。 しかし、「身体化」を声高に叫ぶことは同時に、後に形式化・権威化していった「禅」の歴史と、権力に非常にコミットし易いという危うさも孕んでもいる点で、悶々とした葛藤を覚えてしまいます。おそらくこのプロセスが愚樵さんのおっしゃる「知」の虚構の上に築いた「情」の暴走とリンクしてくるのだろうと思いました。 その際に「知の限界」なのか「知の劣化」なのかという命題が浮かび上がって来るように思いました。極度に形式化していった「禅」においては言語化をサボったという意味に於いて「知の劣化」があったように思えてなりません。一方、「近代」は「知の限界」と「知の劣化」の双方を抱え込んいるように思われます。すなわち、科学が発達する以前から認識されていた「知の限界という『知』」に対し、「科学」という魔法によって突破出来るという認識が幻想であることを突き付けられてもなお、その幻想を抱き続けているという『劣化』です。あるいは、「知(言語化)」そのものの放棄。アカデミズムは前者のコンテクストとして知の劣化を潜在的に内在していますし、また後者のコンテクストとしての知の劣化をこの社会は醸成しています。愚樵さんのおっしゃる「知・意の暴走」とは、「知の限界という知(無知の知?)」を享受しない「意」の暴走ということなのでしょうか。 愚樵さんは「知・意」と並列で表記していらっしゃいますが、はたして「知」と「意」は同次元のものなのでだろうかという疑問を抱きました。「意」とは、良く言えば「知」と「情」をシャトルするトランスミッター(僕は「意」をこのように解釈して分離しつつある「知」と「情」を繋げられないかと密かに考えているのですが)、悪く言えば「意」などというものは曖昧模糊としていて全く実態がないものなのではないかと感じています。一方で、変化こそが生命の本質であると据えた場合、人間においてはその曖昧模糊さゆえに、「意」こそがその本質であると捉えることが出来るのではないかと思います。しかし、近代は「意」を「情」から「知」あるいは「知」から「知」へのone wayのトランスミット(伝達)としてしか捉えることをしなかったのではないかと感じます。それは「ことば」の「知」へコミットメントが非常に強いからだと思います。 しかし本来「意」とは「知」と「情」をシャトルする双方向のベクトルを持ったものなのではないのかと思います。情から知(知から知)へのトランスミットは分析的で、その時間の捉え方は微分的。一方、知から情へは包括的で、その時間の捉え方は積分的。前者は分かり易いけれども、後者は捉えがたい。前者は速攻で伝達するけれども、後者はなかなか伝達しない。そして時間軸がどんどん短くなって来ている今日、後者は更に捉えがたく、伝達しがたくなっています。しかし、禅のいうところの「極意」、あるいは鶴見和子の言うところの「内発的発展」というのは、「意」の双方向性に対する目覚めを喚起しているのではないかと思うのです。そして両者に共通するのは「実践」することから、「身体」と「言語」の双方向フィードバックの関係が生まれるという示唆なのだと思います。 # by pantherH | 2007-08-14 02:30
先のエントリーで、「政治」に代わることばとして「納得」ということばを使ってみてはどうだろうか。という旨の提案をした。あまりかっこの良くない「納得」ということばであるが、あえて「納得」ということばを推薦する、そのこころについて触れてみたいと思う。
「納得」には、一人称の納得、二人称の納得、三人称の納得がある。 一人称の納得とは、自分自身が自分自身に対し、あるいは森羅万象に対して納得することであり、納得のいかない様々な事柄や葛藤に対し、苦しんだり別の視点で眺めてみたりしながら、自ら折り合いをつけていくことである。そして自ら納得するために努力したり諦めたりするのである。ゆえに一人称の納得は人生そのものであるように思う。 二人称の納得とは、相手に自らの存在や意見を受け入れてもらうことである。そこには言葉では表せない、信頼や安心、その人の生き様、情熱、眼差しといった要素が含まれてくる。ゆえに言葉のみならず自らの総体をもってのぞむ二人称の納得は、恋愛や友情、リアルな人間関係そのもであるように思う。 三人称の納得とは、面識もない第三者を納得させることではなく、複数の主語が納得することである。すなわち納得しあうことだ。社会を形成していく上で無視することの出来ない他者を意識し、そこにコンセンサスを醸成していくことであり、人間は関係性の生き物であるとするところのその根幹をなすことばだと思う。こう考えると、「納得」ということばは、人間を最も瑞々しく表現したことばであり、最もヒューマニズムに溢れることばなのではないかと思われるのだ。ここに「政治」ということばにかわって「納得」ということばを創成しようとする理由の一つがある。 しかし、「政治」と「納得」には大きな飛躍が存在する。それは、三人称の納得の抱えるパラドックスと言ってもいい。すなわち、「社会を形成していく上で本当に納得しあうことは可能か」という命題である。性善説の人は可能だと応えるかもしれないが、僕は不可能であると考えるところから出発する必要性を感じている。 「納得しあうこと」は「コンセンサスを醸成すること」であると述べたが、我々人間にとってのコンセンサスとはなんだろうか。以前僕はUnder the Sunのコラム 「死は希望である」で、安心して死ねるのだもの生きることがどれだけ希望に満ち溢れるだろうか、と書いた。説明が足りず、死を礼賛することばとして捉えられてしまうのではないかと懸念もした。しかし、「死が希望である」にはもう一つの思いがあった。それは、「死」こそ人間の唯一のコンセンサスであり、誰もがその前では公平である、人間は「生きる」ということにおいて三人称の納得をすることは不可能な動物かもしれない、しかし、こと「死」に関しては、誰にとってもコンセンサスであるがゆえ、そこに「納得」が存在し得るという思いであった。このようなコンセンサスは、「死」と「生まれてきたものは一同に無垢である」という「生まれる」以外には存在しない。「生きる」はどうしたって個々によりそのベクトルは異なり、コンセンサスを醸成することは難しい。まして「生きる」ことは本来もっと自由でいいはずだ。 「政治」とは「納得」である。ゆえに極論すると、政治は誰ものコンセンサスであるところの、「人は死ぬ」「生まれしものは皆無垢である」の2点に関し、安心ときめの細かさを充実する以外に、すべき課題はないとさえ言える。政治が生きる多様性を保障するなどというのは幻想であり、かつ驕り甚だしい。政治が「生きる」ことに固執している以上、利権も特権も不公平もなくならない。パラドックスとしての「納得」。これが、「政治」ということばに代わって、「納得」を創成したいと考える理由のもう一つである。
「政治」ということばを辞書で引くと、①主権者が領土、人民を治めること。②対立する利害を調整して社会全体を統合するとともに、意思決定を行いそれを実行すること。とある。英語ではpoliticsに相当するのだろうか。語源辞書によると、politicsの語源はギリシャ語のpoli(都市)から由来し、同じ語根から派生した単語に、policy(政策、方針)、police(警察)、metropolis(主要都市)、politician(政治家)などがある。語源から想像すると、人が集まり都市が形成され、必然的にそこに集まる人々の間で様々な利害が生まれ、それを調整する必要が生じたことから、「政治」が生まれて来たということなのだろう。英語でpoliticsといった場合は、②の意味が強いのだろうか。まさにpoliticsということばには「下から上」へのベクトルに貫かれている響きがある(②はなんとなく三権分立のエッセンスを意識した包括的な文章で、政治の持つベクトルを感じさせない文章にも思われるが、その辺は触れないでおきたい)。一方、日本語で「政治」というと、どうも①のニュアンスの方が強いように思われる。そこには「上から下」へのベクトルが見て取れる。
①の意味に相当する言葉は、本来「政治」ではなく「統治」なのではないか。英語で言うところのgovern。governの語源も調べてみると、ギリシャ語のcyber-(かじをとる)に由来するらしい。このgovernという言葉には、「支配・被支配」という関係がしっかり明示されている印象を受ける。国を治めることはgovern a nation、国を治める政府はgovernmentで、「権力」の在り処がはっきりと示されている。一方日本では、governmentを「国」と言い、governを「政治」と言って、権力の在り処を曖昧にする。曖昧にすることにより、governmentやgovernor(統治者)の責任を曖昧にする。そればかりか、「政治」ということばが、薄汚れて腹黒くそして鬱陶しいイメージを内包し、下から積み上げていく政治のダイナミクスを阻害している。ゆえに「下からの政治」は唾棄されて、社会の根本を揺るがすに至っている。 政治には①「上からの政治」と②「下からの政治」がある。日本語の「政治」はどうも①に親和性がある。そして①governと②politicsの区別が曖昧だと述べた。せめて「国」の責任を、「政府」の責任と正しい言葉を使い、現政府が統治としての政治の主体であることを明示すれば状況はかなり良くなると思う。しかし、今日本の置かれている「政治」の問題は、「統治」としての政治の問題だけではなく、社会運営における「下からの政治」の脆弱性という問題でもある。だから、政治の含有する「下からの政治」の意味を再評価しないといけないと思ったりする。ところが「政治」という漢字自体が①に強くコミットしているし、①と②は視座が完全に異なるから、おなじ政治という言葉であっても既に対立概念でさえある。この国の政治の不幸はpoliticsが「政治」ということばで囲われていることによると言っても過言ではないのではないか。そしてもはや言葉の厳密な使い分けや定義では、②の意味を止揚することは不可能なのではないか。それではいっそ、「下からの政治」に相当する言葉を創生してみてはどうだろうか? まさに「政治改革」だ。 昔は「自治」なんて言葉があったが、この言葉も黴が生えてしまっている感がある。いまいちダイナミズムがないのが欠点だ。なぜなら政治はベクトルこそがその本質であるからだ。下からの政治を考えたとき、ベクトルのその始点はどこに据えるべきであろうか。僕はその始点は「対立する利害を調整すること」に据えたいと思う。利害の調整と言うとどす黒い響きが宿るが、簡単に言えば、「納得しあうこと」、かっこ良く言えば「コンセンサスを得ること」と言い換えることが出来そうだ。ここに新しい言葉を創生したい。 そして僕は、「下からの政治」を表す言葉として、『納得』ということばを導入してみてはどうかと提案したい(かなりダサい。ダサいという言葉自体がダサいが・・・)。 「最近の政府どうよ?」「納得できないよね。(=政治ではない。という意味)」 「年金問題酷いよね。」「うーん、あれじゃ納得できないよ。(=あんなもん政治じゃない。という意味)」 「最近、強行採決ばかりで物事が決まっていくね。」「やってる本人達もあれで納得できるのかねェ。(あれで政治してるのかね。という意味)」 「今日、PTAで夜話し合いがあるんだけど、最近責任の擦り付け合いというか、お互いが言いたいこと言い合ってるばっかりで、なんだか気が重たいよ。あれじゃ何とかしていこうとか、協力してやりましょうっていう感じにはならないよ。」 「PTAの話し合いをさー、『納得』とかいう名前にしたらどうなん?今日、PTAの「納得」があるの、みたいに。中国語みたいでちょっと???かな。でもそうしたら、「どうですか?納得?」「うーん、まだちょっと。」「納得するために、ほかの方どうですか?」「こんなんどうですか?」「そうですね、まあ納得。」っていう感じで、結構面白い会になるんじゃない?」(おー、「納得」ということばは、なんと建設的で民主的でかつ政治的な概念を内包した言葉なんだろう。) 「明日までに○○してくるように、って突然言われてもねェ、納得できないっすよ。」「つべこべ言わずにやれ!!(=社会性の無視)」 「明日までに○○してくるように、って突然言われてもねェ、納得できないっすよ。」「そう言わずにお願い。俺も納得できないこと引き受けざるを得ないんだから。」「じゃ、お互い納得しあえるようにしましょうよ。」(そう簡単ではないが、連帯感の芽生え) 「明日までに○○してくるように、って突然言われてもねェ、納得できないっすよ。」「そう言わずに、これ¥で納得してくれない?」(これも一つの納得だよね) どうです? 「納得」っていいと思うのですが・・・。納得できない。 と、言うことで、「納得」については改めて考察したいと思ってます。
反戦な家づくりの明月さんが、憲法9条改憲の賛否を問う質問を、来る参議院選挙立候補予定者にアンケートをされ、その回答を発表されました。本当にお疲れ様でした。なんとしてでも参議院選で自・公連立与党をギャフンと言わせたいです。自・公の暴走をなんとしてでも止めなくては、平和も生活も福祉も教育も、何もかもがとんでもないことになってしまいそうです。是非、選挙に行って暴走をくい止めましょう。
長いことお休みしていましたが、久しぶりにブログを書いてみました。何を書いたらいいか久しぶりすぎて良く分からないので、とりあえずPEACEについて書く事にしました。前から思っていたんですがPで始まる英単語には、その言葉の持つ意味について考えさせられる単語が沢山あるように思います。Peaceやpeople、publicなどなど。そんなPで始まる単語から連想することなどをつらつら綴っていこうかと思います。 PEACE 精神科医の中井久夫は近著『樹をみつめて』において、戦争と平和について考察している。それによると、「平和」は「状態」を表し、「戦争」は「過程」を表すという。AだからB、故にCであると「過程」を語ることは言葉の得意とするところであり、その論理、その響きには逞しさが宿る。ゆえに「戦争」に駆立てる言葉は人々の心を捉えやすい。一方、「幸福」という状態を表現することが難しいように、「状態」を表すことは言葉の最も不得手とするところである。ことばをもって表現しがたい「状態」は、退屈で変化が意識されにくく、そして分かり難い。だから、「状態」は意識から葬りさられ、容易に「過程」にシンクロしてしまうと。 人間の意識はことばにより担われている。そもそもことばの根幹をなす論理は、AはC故にBであると言う具合に、要素還元論的構成になっている。そこに曖昧さの生じる隙間は存在しない。だから言葉が「過程」にシンクロしやすいのは当然である。一方、「状態」をことばで表そうとすると、それと相反する対象を想起して、「○○でないこと」という表現をせざるを得ない場合も多い。また、「状態」はことばではなく、イメージあるいは生き方そのものとして表現される類のものでもある。だから人それぞれに異なり分かり難い。戦争の記憶が鮮明なうちは、人々は絶対的な平和のイメージを共有しえたが、イメージ故に徐々に色あせてしまう宿命にある。こう考えると、「平和」とは、よくよく意識しないと維持することが困難なfragileなものだということが分かる。 中井はこうも言う。近代以降人類は50年ごとに戦争を繰り返している。まさに戦争体験世代が減り戦争の記憶の風化とともに次の戦争が訪れている。そして今日の日本を覆う空気はまるで戦前のそれに類似している。第2次大戦から60年、人類は平和を構築・維持する知恵を身に付けたのだろうか?単に科学が進歩し人類の寿命が10年延長し、戦後が10年伸びたに過ぎないのではないかと。 そこで僕も考える。我々日本人は「平和」を構築・維持する知恵を社会に浸透し得なかったのではないかと。真剣に「平和」の尊さを語り継いできたのか、「状態」を生きることの意義を軽視してきてはいなかったか。9条の存在に胡座をかいて、意識し難い「状態」を意識に引張りだし、人と共有する為のことばの研磨を疎かにしてきたのではないか。あるいは平和という「状態」を生きる人間としての有り様を蔑ろにしてきたのではないかと。 多くの人は嘆く。はじめにことばありき。「平和」に纏わることばが失われた。「平和」のことばを取り返さないとと。そこで僕は自問する。はじめに戦争ありき。「平和」ということばを表現しうるのは、「状態」と「過程」が逆転し、平和が「過程」となりうる戦時下に於いてのみではないのかと。僕達は、平和ということばの幻想を追い求めていたのではないか。戦争の記憶が霞みつつある今日、平和のことばを探しても見つからないのではないか。「ことば」を求めるのではなく、むしろ平和を生きる人としての「有り様」こそが求められているのではないか。 そして憲法に思いを馳せる。日本国憲法の誕生は、世界中の誰もが「戦争はこりごりだ」と「平和」を強く望んだ結晶であった。平和が「過程」となり得た唯一のタイミングで、「平和」について唯一具体的な「ことば」にし得たものが、日本国憲法第9条ではなかったか。だから、9条を失うことは、戦争の歴史を失うことであり、唯一表現しえた「平和」のことばを失うことであり、そして「平和」という状態そのものを失ってしまうことなのだ。
どんなに日常生活から戦争の記憶が風化されようとも、8月15日の終戦記念日は、過去に日本の犯した過ちを反省し、戦争という人類の過ちを顧みるとても意義深い日のはずでした。なのに小泉純一郎は、なかば居直って、靖国神社を参拝し、静かに戦争を振り返る貴重な日を穢してしまいました。私は昨日一日、怒りと絶望と恥辱の感情で、ほとんど口をきくことも出来ませんでした。
8月15日を失ってしまいました。 戦後を失ってしまいました。 信頼を失ってしまいました。 時間を失ってしまいました。 日本は完全に割れてしまいました。 コンセンサスが音を立てて崩れてゆくようです。 小雨降るなか、餓鬼の参るその姿は、これから全てを失う物語のプロローグに見えました。 あのようなおぞましいサディストを首相に頂いた日本の国民であることを恥じずにはいられません。彼を首相の座から引きずり降ろすことも出来ず、抗議も行動もせず、首相の靖国参拝を日本人自身が強く反対しているのだというアピールもせず、ただ日本の孤立化に嘆息するばかりの自分自身を恥じずにはいられません。 2003年12月9日、自衛隊のイラク派兵が閣議決定された日、まごうかたない憲法破壊者、小泉純一郎が、「憲法とはこういうものなのだ、皆さん、読みましたか」とのたまう。あろうことか、自衛隊をイラクに派兵するその論拠が憲法前文にある、と言ったのでした。これは二つの意味で屈辱的でした。最悪の憲法破壊者であるファシストが、全くでたらめな解釈によって、平和憲法の精神を満天下に語ってみせたということ。二つ目は、小泉の話を直接聞いていたのは、他でもない政治部の記者たちです。彼らは羊のように従順にただ黙って聞いていた。翌日の新聞は一斉に社説を立てて、このでたらめな憲法解釈について論じたでしょうか。ひどい恥辱として憤怒したでしょうか。いない。ファシズムというのは、こういう風景なのではないか。 そして彼は、「恥を恥とも感じないことがさらに恥辱を本質的に倍加させる。」とも言います。それから、恥を恥とも感じずに過ごして来た2年半、恥辱は天文学的にまで倍加して、2006年8月15日、あの日と同じ光景が繰り返されました。無自覚ゆえに肥大化した「恥」が、マグマのように湧出し、日本中の足下をどろどろと淀み横たわっています。しかし今なお恥を恥と感じずに、8月15日首相の靖国参拝は日本人の恥の問題にも関わらず、中国と韓国の反応にのみ、小泉もマスメディアも、小泉の犯した罪をなすり付けています。 済んでしまったことなので仕方がない、むしろここは大人になって、未来志向のもと、「恥」と「怨念」を封じ込め、とりあえず「なかった」ことにしておきましょう。中国も韓国もそして日本に於いても、周囲はそのような大人の対応を迫られるでしょう。もしそうしなければ、怨念に再び灯がともり、取り返しのつかない対立(それは紛れもなく、日本の戦争責任であり、天皇の戦争責任であり、今日の天皇制の問題に帰着するのです)が、国内に於いても外交に於いても顕在化してしまうに違いありません。そのパンドラの箱を開けてはなるまいと周囲が躍起になる、ならざるを得ないことを分かっているからこそ破廉恥小泉は断行してみせる。 なんと卑怯、卑劣極まりない行為でしょうか。 靖国参拝の問題点は多々あるけれども、「卑怯だ」。この一言に尽きると思います。 そして、なかったことにした「恥」と「怨念」は澱となってますます肥大化してゆくのです。
昨日のNHKスペシャル「硫黄島玉砕」は、あまりの衝撃に見終わってから、番組の内容をなぞることしか出来ませんでした。
戦死の殆どは、果敢に闘いその戦闘で死んだのではなく、行軍に次ぐ行軍、飢えと乾き、怪我と感染症、寒さや狂気が原因であったと言います。硫黄島での戦いも、地を這うような地獄であったことが生存者の証言から明らかにされていました。迫り来る死への恐怖、人間性を失うことへの恐怖とその結果としての狂気。戦争は人間に対する最大の冒涜なのだと思います。敵を人間と見なさないからこそ戦争が出来るのであり、自らの兵士を人間と見なさないから戦争が出来るのであり、また自らが人間であることにあえて目を瞑ることで戦争に加われるのです。 私がもし戦場に行ったら、人間性を維持し続けられるでしょうか。 戦争に行ったら、自分が生き残る為に、いやそんな崇高な気持ちすらなく、そうしないと気持ちがやっていけないから、相手を殺すことも、仲間を見捨てることも裏切ることも、略奪することも凌辱することもしてしまうような気がしています。ひとたび戦地に赴いて、理性やバランス感覚、柔らかい感性を働かすのは至難の業に違いありません。 もし私がレバノン人だとしたら、毎日イスラエルの空爆に怯え、家族共々身を寄せあって、自分のところには落ちてくれるなと祈り、ヒズボラのロケット弾の発射音に、あー、また仕返しが10倍以上になって返ってくるのかと、ハラハラしながら家族と抱き合う以外にない日々を送り、外には各国の報道陣が訪れているのに、この不条理がいつまでも続いていることに、世界中の悪意を感じ、それでも生きなきゃ、家族を支えなきゃと必至に我慢して、我慢して、我慢して。いつぞやそれは我慢の限界に達して発火するに違いありません。 戦地に赴き人間性を維持することや、どんな暴力にさらされても戦争に行くまいと抗うことや、戦争に行って生き残るために逃げ回ることよりも、今、戦争に行かなくてすむように、日本が再び戦争をしないように、戦争放棄を維持し、平和を希求する声を上げ続けることの方がはるかに現実的で、容易なことです。 あるいは、我慢して、我慢して、発火を抑えることも至難なことなのだと思います。事実、私はテレビでブッシュを見る度に彼への殺意が込上げてしまいます。今、我慢の限界を越えて暴力の連鎖に火がつく前に、そしてそ出口の見えない殺戮の連鎖となる前に、イスラエルの暴力を、アメリカの暴力を何とかして止めないといけません。 NO MORE WAR!!
NHKスペシャル「硫黄島玉砕戦~生還者 61年目の証言~」を見ました。
「勇壮果敢に敵に挑んだ硫黄島守衛隊、死してなお日本は敵を撃退し・・・」と大本営から戦争を鼓舞する報道がなされていましたが、2万人以上いた守衛隊のわずか数%しか生きて帰還出来なかった硫黄島での戦闘は、想像を絶する地獄であったことが、60年間固く心の奥底に記憶を封じ込めていた生存者の、戦友への贖罪の一心から語り始めた証言により明らかにされていきます。 火山島であるため地温が40度を越し、飲料用の水のない島に地下壕を張り巡らし、兵士たちはそこに身を潜めて、上陸してくるアメリカ兵を待ち伏せにしていました。硫黄島に送られた兵士の大半は、戦闘の訓練もされたことのないような召集兵あるいは少年兵でした。兵士の心得には、「撤退は許さず」「壕を出て戦闘を仕掛けることを慎むべし」と記され、進むことも退くことも許されない闘いを命ぜられていました。その時、東京の大本営では、硫黄島への空海路抑えられている状況では静観やむなし、と撤退の判断もせず静観という名の見殺しを決めていました。命を捨てて闘う日本兵との戦闘でアメリカ兵にも多くの犠牲者が出ました。アメリカは予備兵と大量の近代兵器を投入し、徹底的な掃討作戦に乗り出しました。地下壕の入口を見つけては火炎放射器による炙り出しなどによる凄惨な攻撃により、島の大半は陥落し殆ど勝敗は決していました。 アメリカ軍による投降の呼びかけにも、日本兵は誰一人投降しませんでした。投降は軍紀に反することはもとより、投降しても不名誉のそしりを受け、どのみち処刑されると信じられていたのでした。事実、投降して壕を出た少年兵が上官により撃たれる光景を目撃したと言います。40度を超える地下壕で水や食料をめぐり、それこそ畜生の如く奪い合い、腐乱した死体の下に潜って息を潜めて敵をやり過ごし、焼き出された「炭」を食して空腹をしのいでいたと言います。ついにアメリカ軍は、ガソリンを混ぜた海水を壕の中に注ぎ火をつけました。皮膚が焼け、垂れ下がった人々の姿が炎に映し出されていました。 この凄惨な光景が戦争の真の姿を物語っています。「彼らの死にどのような意味があるかを聞かれたら、それに応えることは難しい。ただ、意味がなかったでは済ませられない。」その凄惨さ故に今まで封印していた硫黄島の記憶は、私が語らなければこのまま誰も知ることなく葬り去られてしまうかも知れない。と、80歳を過ぎ漸く語り始めました。 『彼らの死は意味がなかったでは済ませられない』 「顕彰」ではなく、私たちは彼らの死の意味を感じなければいけない。
Under the Sun-EQTで、国防についてのアンケートを行っています。非常にデリケートな問題であるため、アンケートの選択肢は以下の全部で8つあります。
質問:あなたが考える、この先、日本がとるべき国防の方向は? 1.非武装をすすめ、他国から侵略されても抵抗をすべきではない 2.他国から侵攻は防衛しても、攻撃はおこなうべきではない 3.専守防衛は現在でも可能なので、現状を変更する必要はない 4.武装を強化し、専守防衛に徹すべし 5.武装強化・憲法改正をおこない、専守防衛に徹すべし 6.日本にとって危険な国に対しては、先制攻撃を加えるべき 7.核兵器の開発までふくめ、軍事力を増大していく必要がある 8.その他 私は、2.他国から侵攻は防衛しても、攻撃はおこなうべきではない を選択します。日本には憲法第9条があるからというのがその理由ではありません。理由を述べるのは非常に難しいのですが、端に私の「本能」がそう言っているからです。 私が「国防」に関心を抱いたのは、中学生の時分に縁あってスイスに1週間旅行に行ったときです。ご存知の通りスイスは永世中立国を謳っていますが、徴兵制がひかれています。スイスを訪問した際にお世話になったホストファミリーの父親は、私が滞在中、あいにくスキル維持のための徴兵に出掛けていました。アルプスの麓では男達が射撃の練習をし、銃声が山麓にこだましていました。家には勲章が飾られ、各家には核シェルターとして地下室が備えられていました。普段はチーズやワインなどの倉庫として使っているのだそうでしたが、シェルターを備えないと家を新築できないのだと言っていた記憶があります。 村にはスポーツセンターに併設して、というかスポーツセンターの地下に巨大な核シェルターがありました。厚さ30cmもあろうかという鉛とコンクリートで出来た重たい扉を開けてシェルターの中に入ると、放射能汚染した衣類などを着替える前室やシャワールームがあり、そこを抜けて居住空間に入ります。約2週間村人がそこで生活できるだけの水や食料や自家発電用の燃料が備蓄され、外部との連絡や情報収集のためのインテリジェンスルームまであるようで、サウンド・オブ・ミュージックでトラップ一家が目指した、大脱走でマックイーンが超えたかった、あの憧れの永世中立国「スイス」の現実に、カルチャーショック以上にカルチャーショックを受けたのでした。 当時、NHK特集で3夜にわたって「核戦争後の地球」というドキュメンタリーを放映していました。広島型原子爆弾の何十倍の威力を持つ核爆弾が首都東京に炸裂したら、どれだけが核爆弾の放つ熱により死に、どれだけが爆風の被害を受け、どれだけが後遺症を抱えることになるのか、シュミレーションを駆使して映像化した画期的な番組でした。そして、核炸裂の後に訪れる「核の冬」の存在を知り、爆心から遠く離れた信州に住む私は、真夏にも拘らず背中に冷や汗をかき、猛烈な恐怖心を抱くと同時に、そのような兵器を開発し、更に開発し続けようとすることに怒りと絶望の感情が去来しました。 スイスの核シェルターはまさに「核の冬」を想定しており、それも、日本の松代大本営のような一部の権力者の為のシェルターではなく、ちょっと裕福ではある村の住人達のためのものであり、核シェルターまで作って守る「国防」に度肝を抜かれたのでした。 憲法9条により武力を放棄することで日本の平和が維持されるという理想を掲げる日本。かたや、国民の男の殆どは軍隊に徴兵され、核シェルターを作ってでも生き残ろうとするスイス。「平和」そして「国防」というものに対する考え方がこうも違うということに愕然とするとともに、スイスが正しく日本が間違っているとか、あるいはその逆であるという問題ではなく、それぞれの民族の背負ってきた歴史と、それぞれの国の地政学的な位置関係により、「平和の捉え方」や「平和の維持の仕方」は違うということを痛感させられた旅行でした。 私は、「平和」という言葉も慎重に用いるように心がけています。イラクに訪れるつかの間の「平和」。東西冷戦下の軍事的緊張によって保たれた「平和」。核を保有することで保障される「平和」。経済的・文化的繁栄により維持される「平和」。共感と友好の感情に基づく「平和」。と「平和」という言葉には、「治安」、「政治力学」、「安全保障」、「国力」、「友愛」といったものがすべて内包されているからです。「平和」という言葉で議論してもなかなかかみ合わなかったり、深まらないのはその為なのではないかと思ったりします。また逆に、凄く力を持つのもその為とも思います。 その上で、日本における「平和」について、「歴史」と「地政学」を踏まえ、そしてそれに「現在的事情」を加味して考えなくてはいけないのだと思っています。 今日は疲れてしまったので、この続きは、あらためて書きたいと思います。
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