昨日の 世に倦む日々 「改革」をどうするのか − 政治言語としての「改革」の揚棄では、新自由主義が自らの毒性と魔性を隠蔽するための言語装置であり、大衆を観念操作し政治誘導する虚偽意識である「改革」という言葉を、プラスシンボルからマイナスシンボルに転換,失墜させなければならないと主張されています.まったくその通りで、この「改革」という言葉のもつプラスイメージによりどれだけ「小泉改革の実態」を説明するのに苦労し、「改革の実態」を理解するのにこのプラスイメージによりどれだけ自分自身混乱を来し、どれだけ歯がゆく思ったことでしょう.
「ペンは剣よりも強し」に象徴されるように、民主主義は「ことば」によって担われています.民主主義を尊重する人々は、ことばのもつ「意味」に敏感で、その運用に常に配慮をして来ました.議論する際も、そのことばの定義に神経を使い、相互の了解する意味として用いて来ました.しかし,本来もつことばの意味を全く逆の意味にすりかえる天才小泉により、私たちのことばは「ことばの意味」「ことばの歴史」が奪われ,「ことばのイメージ」だけが巨大な怪物となり一人歩きしてしまいました.法による言論の弾圧のみならず,「ことばの無力化」により、言論の無力化を周到にやられていることを日々実感してしまいます. 例えば,イラクでの人質事件のときにさかんに使われた「自己責任」ということば.本来「自己責任」とは、責任を負う「本人」が用いることばであって、第三者が本人に対して用いることばではありません. イラクへの自衛隊派兵の際に用いられた「国際貢献」ということば.日本国憲法下の国際貢献は「平和外交」であり、「国際協調外交」であるにもかかわらず,「軍事外交」「アメリカ追随」を「国際貢献」というこばに変換してしまいました.同様に,「人的貢献」ということばも「自衛隊派兵」にすり替わってしまいました. 「民」ということば.「国民」「市民」という意味で用いられるべきことばが,「私物化」「私有化」をマスクすることばにすり替わってしまいました. そして今は「改正」「人権擁護」「自立支援」「国民投票」ということばのイメージを最大限利用して、全く反対のことを押し進めようとしています. 政治的なことばだけではありません. 人間の傲慢さや死生観に一石投じるつもりで用いる、「ひとは生かされた存在である」ということばは,「こころのノート」などによる国家主義にかすめ取られてしまいかねず,不用意には使うことも出来ません. 「安全」や「健康」ということばは,「絶対」という概念とはなじまないにも関らず,「絶対」ということばにかすめ取られてファッショの基礎を築いています. 「ことばの無力化」あるいは「ことばのかすめ取り」にたいする抵抗は非常に重要なことだと思います.辱められてしまったことばを揚棄すべきなんでしょうか。あるいは必死に復権を試みるべきなんでしょうか.ことばに対し葛藤を抱える毎日です. by pantherH | 2005-10-14 01:45
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