通学にまつわるエピソード

 小学1年生の頃から、学校までおよそ4キロの道のりを、毎日歩いて通学した。

 春には雪解けのせせらぎの音を聞きながら、太陽の輝きが日に日に強さを増すのを感じ,夏には通学路から脇にそれ、草木の生い茂った旧道の脇に秘密基地を作り、秋にはアケビや栗を頬張り、冬には満天の星空を眺めながら、自意識過剰な誇大妄想に耽ったりしながら毎日およそ一時間の道のりを歩いて通った。

 そんな通学のばかばかしい想い出を一席。

 放課後、校庭や中庭で、鬼ごっこや野球に興じ、そろそろ遅くなってきたので家路につこうとする頃、お腹のあたりに神様からのお告げが、突然やって来る。当時の学校のそれは、深くて暗くて反響音まで響くような代物だったので、怖いのと恥ずかしいのとで近づきがたい存在だった。そんなわけで、お腹に舞い降りた神様のお告げを抱えながら、家路を急ぐ。

 小学生が途中で観念するのも、無理もない。通学路の途中には、お兄ちゃん達から教えてもらった「島」がいくつか存在した。最も学校に近いそこは、木漏れ日に照らされ,柔らかく大きな葉が生い茂り、天敵である蚊も生息しない格好の島だった。

 友達に先に行くように促して一人島に入る。いつものように特等席に向かうと、先約がいる。少しばつの悪い気持ちにになりながら,ちらりと横目でみると、60歳を越えた地元のおばちゃんがそこに座っていた。僕らだけの秘密の「島」だと思っていたけれど、代々続く由緒正しい「島」だと知り,なんかがっかりしたような,なんか嬉しいような気持ちになった。

 ある日,その島に、ブルトーザーがやってきた。人目を遮ってくれた木々はなぎ倒され,手頃な葉の生い茂る土地も荒らされて、瞬く間に、「島」はテニスコートに様変わりしてしまった。代々続く由緒正しい僕らの島はこうして消えてしまった。以降,突然訪れる神様のお告げは、蚊に刺される覚悟と苦痛を伴うようになった。

 「野ぐそ島」 

 懐かしさと愛情をもって思いだす、子ども時代の通学にまつわる情景。

 脇道にもそれられない昨今の子どもをとりまく環境を考えると、暗澹たる気持ちに駆られます。
 こういう想い出は、もはやノスタルジーでしかないのでしょうか。子どもたちの安全は、監視や厳罰の強化でしか確保出来ないのでしょうか。行政がスクールバスなどに積極的に取り組むしかないのでしょうか。親が学校に子どもを送迎するほかないのでしょうか。

 安全や信頼は、お金ではかることの出来ない別次元の価値だと思います。別次元の価値をないがしろにする社会に対し、異議申し立てをすることが大切なんだと思います。子どもたちの安全を守ることと,イラク派兵や消費税の問題などに異議申し立てすることは、同じ次元にある問題のことのように思えてなりません。
 
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by pantherH | 2005-12-11 15:36
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