クリスマス

 自分のアクセスレポートを見ると、トラックバックセンターに夢中になっている間に、みるみるアクセス件数が少なくなっていくのが分かります。確かに、12月12日に記事をアップして以来まともな記事をエントリーしていないので無理もありません。最近は、センターの記事と、HTMLのタグのしくみを勉強するので大忙しです。といっても、ほとんど進んでないのですが・・・。

 さて、今日はクリスマス・イヴ。
 
 子どもの頃、家族でクリスマスを祝ったり、サンタさんに願い事を書いて、靴下を枕元にぶら下げて寝たなんていう、ロマンティックな夜をおくった記憶はとんとありません。
 雪国育ちのわたしは、子ども時分、冬はスキーに没頭し、スキー場が近くにあったものですから、学校が終わるとゲレンデに直行するような日々を過ごしていました。経済的に裕福ではなかったにもかかわらず、両親は毎年新しいスキーの板を買ってくれました。12月初めに届く真新しいスキーの板は、まさに宝物で、毎晩眺めたり、磨いたり、ワックスをかけたりして、雪が積もるのを心待ちにして過ごしていました。

 当時は、インゲマル・ステンマルクの全盛期。あの流麗で無駄がなく、力を使っている事さえ感じさせない滑りに、瞬く間に虜となり、連続写真を使ったステンマルクの解説本を何度も何度も読み返して、ステンマルクになりきっていたものでした(気づきました?憧れのあまり、http://stenmark・・・)。そんなわけで、スキーの板は当然ELANが欲しかったのですが、ELANは、ユーゴスラビアか何処かで作っていた板だったので、片田舎の運動具店には置いているはずもありませんでした。まだ外車に対する偏見が強く、店の人は、小賀坂や西沢ばかり薦めます。しかし、ワールド・カップで活躍していた選手に日本車をはいている人なんて一人もいなかったから、はなから興味がありません。当時、わたしの中の3大ブランドは、エランか、誰もがはいていたロシニョールか、ステンマルクの好敵手、メイヤー兄弟がはいていたK2のいずれかでした。そのころから、へそ曲がりな性格だったので、誰もがはいている板には興味が湧きません。そういうわけで、小学生ながら、アメリカンなスキー板、K2を手に(足に)するようになったのです。

 だから、12月初めに届くスキーの板がクリスマスプレゼントである事は、百も承知でした。父親がサンタである事も。

 我が家には、なぜか若いお兄ちゃんがずっと居候をしていました。「あれがクリスマスプレゼントよ」「はい」と目で会話する親子を不憫に思ったのか、ある大雪のクリスマス・イヴの夜、東京から突然そのお兄ちゃんが、大きな袋を抱えてやって来たのです。音楽の授業でオルガンを習い、ピアノに興味を持った姉は、毎晩紙鍵盤でピアノの練習をしていました。そんな様子を知っていたのでしょうか、姉にはピアニカをプレゼントしてくれました。そして、わたしには卓上ゲームやプラモデルを。無精髭をはやした居候のお兄ちゃんは、まさにサンタさんでした。「大草原の小さな家」で、髭もじゃのエドワードおじさんが、猛吹雪の中、ローラの住むインガルス一家にクリスマスプレゼントを届けるシーンが、いつもこの時の光景と重なります。

 わたしももう、そのお兄ちゃんの年をゆうに越え、無理をしながらも、毎年スキーの板を買ってくれた両親の年齢に迫ろうとしています。子ども時分を思いだすと、今の自分を顧みるとともに、両親に対し感謝と慈しみの気持ちが湧いてきます。

 連日の寒さに、田舎は朝晩、-15℃を下回っているのだそう。今年の正月は田舎に帰ろうか。
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by pantherH | 2005-12-24 22:25 | 趣味
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