個性

 正月3ヶ日、ブログも封印し、飲んで、食べて、歌って、温泉に入って楽しく過ごしました。昼間から酒を飲み、昼寝をして、またお酒を飲み、毎晩のように、鱈の寄せ鍋、鴨鍋、鯛鍋と鍋づくしの生活でした。魚の粗や鴨肉の脂身を鍋に加えると、灰汁が沸き上がってくるので、その灰汁をせっせとお玉で掬って取り除きます。しかし、しっかり灰汁を取ろうとすると、美味しい旨味も掬いとってしまい、旨味を醸し出す為には、多少の灰汁は許容するほかありません。

 考えてみると、人はみな、自分を含めて多かれ少なかれ灰汁を持っています。人の纏った灰汁は、人を不快にする悪臭も放てば、なんとも言えない奥行きを感じさせることもあります。灰汁はかっこ良く言えば、個性とも呼ばれています。 「灰汁の強い人」と言えば、ちょっと自己主張が強くて厄介な人と言う印象ですが、「個性」というともう少しニュアンスはポジティブでマイルドな印象になります。個性的な人、個性を伸ばす教育、これは私の個性、などと巷では個性ということばに溢れていますが、個性とは一体なんだろうかと考えると、なかなか難しい。

 人と違っていることが個性である、違っていることではなくてあるがままのそれ自体が個性である、我思う故に我ありと言うくらいだから、考えるということが個性である、考えているだけでは何も伝わらない、その考えに基づき主張することが個性である、などと個性について様々な意見がありそうです。しかし、どれも私にはしっくりきません。

 では、わたしが思うところの「個性」とはいったいなんなのか。
 「個性」とは、相手に自分を認めて欲しいと思う「承認要求」なのではないかと思うのです。あえて人と違っている必要があるわけでもなく、一方的に自己主張をすればいいというものでもない。自分の考えていることや感じていること、したいことなどを、ことばや人柄やその人のあり方や行動や情熱のエネルギーにのせて、相手に伝え、相手に「自分」を「承認」してもらう行為、それが「個性」なのではないかと思うのです。

 個性の反対語として「没個性」ということばを考えると、没個性するところの主体もまた、承認を求めて個の考えや感受性を排し、集団に強く帰属しようとするメンタリティーからも、個性の本質に「承認要求」があるとおもいます。日本人は個性がないとよく言われますが、個性がないのではなく、個性が承認要求であると理解されていないのだと思えてなりません。

 ゆえに「個性」とは「ことば」を越えて、主体のあり方が問われていることばなのだろうと思います。
 
 
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by pantherH | 2006-01-04 02:15
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