dependence「依存」とindependence「自立」

 玄耕庵日乗さんが、毎日新聞に掲載された「縱並び社会」を転載しています。今の社会と、そこから浮かび上がる10年後の社会が強く暗示されており、必読のルポと思われます。そのルポを読んで、「自立」ということばについて、考えたことを少し書きたいと思います。

 私は予てから、「個の自立」「自立した精神」という具合に、「自立」ということばを好んで使ってきました。昨年も、障害者自立支援法案なる悪法にもこの「自立」という言葉が用いられ、「自立」ということばに、人を突き放す冷たいニュアンスが生じるようになりました。この「自立」という言葉の由来は全く分かりませんが、independenceに相当する単語に「自立・独立」という訳を与えたのでしょうか。あるいは、autonomy (auto「自己」-nomous「管理」)という言葉から「自立・自治・自律」という訳をあてはめたのでしょうか。
 
 当初私は、independenceという言葉は、なぜdependence「依存」という言葉を、inすなわち否定することでしか、「自立」という言葉を定義出来ないのだろうかと、疑問に思うと同時に、言葉がこんな具合だから「個の自立」は益々難しくなるのだと憤慨していたものでした。他のautonomyやself-relianceやself-supportという単語も、どうも「自立」ということばの持つ「自由さ」のイメージに乏しく残念に思っていたのでした。むしろ、self-relianceやself-supportなんていう言葉は、今日の政府が突き付けてくる「自立」という言葉のそれに近くて、とても冷たいニュアンスに溢れています。「自立」ということばは本来的に厳粛な気概を持たないと成り立ち得ないことばなのでしょうか。

 高校時代に、子安美知子さんの「ミュンヘンの中学生」という本を読み、シュタイナー教育というのに興味を持ち、子安さんや高橋巌さんの著作を読んで、私はルドルフ・シュタイナーの人間観に強く惹かれました。昔から悩んだり行き詰まったりすると、自分にyesという為にシュタイナーをちょこちょこと読み直すことがありましたが、最近なんとなくシュタイナーを読み直しはじめ、independenceという概念が、dependenceの連続性に位置づけられることばであることを認識させられました。

 ルドルフ・シュタイナーは、人間は、「物質体」「生命体」「感情体」「自我」の4つの構成成分からなり、それぞれは保護膜によって包まれ、機が熟したときに自ずと膜を破って出てくるものであり、その膜を機が熟する前に無理に破いてしまってはいけないと述べています。誕生は単に「物質体」が羊膜を破って出てきたに過ぎません。その後、親や周囲の環境の保護の下で、四肢が運動を模倣することで「生命体」が活発に活動します。7歳頃になると蛹から蝶にメタモルフォーゼするかの如く萌芽して、新たに記憶という能力が芽生えます。次に、脳の発達に伴い「感情体」が活発に活動します。この時期は、抽象概念を身につけるにはまだ早く、喜・怒・哀・楽といった感情に加え、美といったより高度な感情や、ある感情に付随するアンビバレンスな感情といった微妙な感情を身につけ、14歳頃の思春期に異性に目覚めることで「感情体」が膜を破って外に出てくるのです。「感情体」が発芽すると、抽象的な思考力が活発に働きはじめ、次の「自我」が活発に活動する7年期に突入するのです。この7年期では、これまでに培った、体力や生命力、記憶力や思考力、それから感情を総動員して、人格を形成する過程です。漸く「自我」が臨月を迎え殻を破ると、判断力を身につけた人格が誕生し、「自我」が「独立」するのだそうです。
 
 シュタイナー教育では、特に「感情体」と「自我」が無理矢理外界に晒されないように、初等教育においては極力抽象概念の教育を排し、芸術や踊りや音楽やファンタジーなどの物語を通して感情体験を感じとらせるようにします。また、担任は「自我」が芽生えるまでの8年間を一貫して任されます。その過程で、「絶対的な権威」により保護されていた子どもが、自我が芽生えはじめることにより、権威を「相対化」していくことが可能となります。その為にも、権威であるところの大人は、感情体の萌芽が起こるまでは、絶対的な権威として振る舞い、自我の目覚めとともに、権威の相対化に応じる必要があると述べています。

 このようなシュタイナーの人間観をもとに、改めてdependence「依存」とindependence「自立」ということばを振り返ってみると、cover「覆われ」、protect「護られ」、depend「依存した」状態から、「自我」の確立とともにそれらを破り、外へでた状態を表すことばであることが見えてきます。independenceという状態はdependenceという状態があってこそ成立することが分かります。精神医学的にも、「安全保障感の伴わないところに自立は芽生えない」という言葉があり、「自立」の大切さとともに、dependすることの大切さも教えられます。

 昨今の、「自立」という言葉に付随する冷酷さ、dependすべき安全保障感の欠如によるアイデンティティの喪失、幼児の頃から求められる「自分」という圧力。シュタイナーのような人間観に基づいて、このようなことを見直して見ると、現代人の「人間観」がかなり歪んでいることに気づかされます。
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by pantherH | 2006-01-13 02:39 | 社会
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