湖北を旅して

Under the Sunコラム執筆分を転載しています。お題は『忘れていたもの』です。是非、Under the Sunにお立ち寄りください。

 今週のテーマにも非常に苦戦しております。それは私がまだ若いからでしょう。なんて負け惜しみを呟きつつ。

 先日、白洲正子の「かくれ里」を訪ねて、琵琶湖の湖北つづらお半島にある菅浦へ花見に行きました。今年の関西は青空がほとんどのぞかず、いつまでも寒い日が続いていたので、湖北の桜はまだ7分咲きといったところでした。おかげで人影もまばらで、湖面に枝を張る桜越しにのぞむ琵琶湖は鏡のように穏やかで、そこに竹生島がたたずみ、まさに静寂が時空を支配していました。

 菅浦の集落の西に位置する四足門をくぐると、須賀神社という社があります。天平宝字2年に即位された天武天皇の孫淳仁天皇は、実権を依然孝謙上皇に支配されていました。はじめ上皇に寵愛されていた恵美押勝は、次第に上皇の寵が僧道鏡に奪われると、反乱を起こして敗れ、湖面を渡って越前に逃れようと試みます。しかし途中嵐に会って菅浦の西の大浦に流れ着き、いったん高島に引返しますがそこで一族全滅してしまいます。押勝と親交のあった淳仁天皇は帝位を廃され、淡路の高島に幽居され「淡路の廃帝」と称されました。しかし、ここつづらおでは、淡路は淡海の誤ったものだと伝えられ、高島も湖北の高島だと伝えられています。そのため、帝が行在中、「何所ニ罷リ寿ヲ果ツルトモ、神霊ハ必ズコレニ止メ置クベシ」と述べられたことから、本殿周囲を舟形に石で積み、社を作って廃帝を祀ったと伝えられています。本殿にお参りするときには靴を脱ぎ、スリッパに履き替えてなくてはいけません。白洲正子さんが訪ねられたときは裸足で参拝され、その石の冷たさに社を護ってきた住民達のその信仰の深さを実感したと述べられています。菅浦はわずか70あまりの集落で他の集落とは隔絶しており、昔から廃帝の怨霊を祀りその信仰に生きた集落の佇まいに、えも言われぬ気迫と静寂が感じられます。

 このようなところにまで伝承される天皇家の歴史はさすがだなどというつもりは毛頭なく、そのような信仰を千年以上にわたって継承してきた住民達の気概が菅浦を菅浦たらしめ、静寂を醸しているのだと思いました。

 その後湖北の十一面観音菩薩を訪ねて、木之本から車で10分ほど東に入った石道寺(しゃくどうじ)へと向かいました。高時川を越えてさらに山へと進むと、里山ののどかな風景の中にひっそりと石道寺が建っています。満開の桜が風にゆられ、名もなき草花が咲き、里山にそよぐ風に草と土のたおやかな香りが運ばれてきます。お寺の中には唇に紅をひき、衣にも朱が残るなんとも言えない色気を漂わす11面観音が安置されていました。右膝を少し曲げ足の親指を上に向け、今にも一歩前に進みだしそうです。慈悲深い優しさに溢れた菩薩様でした。この11面観音や石道寺もまた、幾多の歴史に翻弄されながらも、ずっと土地の者たちが大切に護りとおしてきたのでした。そして今でも石道寺と十一面観音菩薩を地域の人々が大切に護り続けているのです。

 中央の権力の歴史とは一線を画し、土地土地にまつわる歴史はいたるところに存在します。庶民の築き上げた歴史は、昨今の市町村合併などにより名前ごと根こそぎ破壊され、それを伝える原風景は開発と治水の名のもとに破壊尽くされてしまいました。そして、少なくなった原風景に希少価値を求めて人々がどーっとやってきては、そこに醸されていた悠久の静寂を破壊していきます。

 情緒とは幾多の無名の民が守り築いてきた歴史や風景に敬意を表すことであり、その上に胡坐をかいてきた為政者の歴史に敬意を示すことではありません。情緒とは民の物語に耳を澄ますことであり、声高に叫ぶことではありません。そしてそこに醸される静寂を愛で、思索する心なのではないかと思います。
 
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by pantherH | 2006-04-27 18:55 | Under the Sun
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