わらびとり遠足

 小学校の図書館には「わらび文庫」というコーナーがあり、本の扉には「わらび文庫」と判が押され、日本の民話集や名作集がそこに収められていました。
 私の育った田舎は寒さのさめに米を作ることが叶いませんでした。住民達は貴重なでんぷんを求めて、春はわらびを採りその根を叩いてわらび粉を作り、栄養源や現金収入の糧にしていたのでした。わらびの生える山裾には今でもわらびを叩いた平たく大きな石が残されています。

 学校の図書とて例外ではありませんでした。毎年この季節になると、児童生徒総出でわらび採り遠足に出かけます。町の料理屋が1キロ300円ほどで買いとってくれたそのお金で図書館の本を買ったのが「わらび文庫」でした。おやつとお弁当をリックサックに入れて山の斜面を登り、トロッコの軌道跡を歩き、まだ誰も採っていないしろを求めて奥に奥にわらび採りに入ります。小学校の低学年でも、一日山を歩きまわれば3キロほどのわらびが採れます。山菜採りの上手なお兄ちゃんは一人で8キロも平気で採り、ついでにうどやゼンマイも採ってきます。

 採り終えて午後3時、広場で計量が行われます。かなり急な斜面を上った簡単に近づけないところに太くて長いわらびが出ているのだそうです。そんな秘密のしろを見付けられない私はせいぜい5キロ。長さを揃えて1キロずつ束ねて業者に渡します。ずるをして硬いわらびを忍ばせているとなんだかそわそわして落ち着かず、結局もう一度束ね直すことにします。そんなわらびが西日に照らされて方々に転がっています。向こうでは先生と料理屋の人とのやり取りが見え、灰汁にまみれた右手で鼻を拭いながら、いくらになったのだろうとわらびの束を数えます。

 高学年になると、自分の買いたい本をあらかじめ本屋さんから選ぶことが出来るようになります。カッコつけたい年頃の男子はこぞって一冊2000円もするような図鑑を買おうとしました。僕も例外ではなく天文図鑑を選びました。悲しいかな、結局最後まで読むことはありませんでした。ずっこけ三人組シリーズを選んでみんなから次読ましてと言われていたクラスメートを羨ましく思いました。

 中学になってもわらび採り遠足はありました。しかしわらび文庫なるものはなく、年に一度、社会見学に行くための費用に当てるためのものでした。全校生徒でバスを貸切って木曽路や安曇野、塩田平や松代など名所見学に出かけるための費用です。薬草採集などに比べるとわらびはかなり歩のいい商売でした。なんせ薬草は乾燥させて目方で売らなければならず、せっかく乾かしている最中に雨に降られて黴が生えてしまうと商品価値がなくなってしまうからです。また薬草採集は蚊との戦いでもあったのです。私達は薬草は止めて、その代わりわらびで稼ごうと考えました。多少の危険を冒しても太くて長いわらびの出るところに行こうと、女子のことなど顧みず、急な山の中腹に全校でわらびを採りに出かけました。狙いは的中し、昨年の実績の2倍近い収入になりました。

 社会見学のための費用のもう一つの柱は、畑で育てた作物を給食や父母に売って得たお金です。私達は得意になって、給食や親達が喜んで買うものを作付けし、なおかつ草引きや水遣りが簡単で夏休み中も放っておいて大丈夫なものにしようと考えました。これまでトウモロコシだピーマンだサツマイモだと色々植えていたものから、大半をジャガイモと葱に切り替えて、焼き芋用のサツマイモを少々と、四隅にかぼちゃを植えて畦にかぼちゃを這わせました。

 葱の収穫はそろそろ寒くなり始めたお鍋の季節だったので、予想以上の高値で瞬く間売れ、給食の週半分はジャガイモ料理だったので、ジャガイモも喜んで買って貰えました。全部自分たちで賄って行った焼肉食べ放題の夕食付き社会見学は格別の思い出でした。

 まだ母校ではわらび採り遠足に行っているのかしらと、ふと思い出したのでした。
[PR]
by pantherH | 2006-05-26 01:27 | エッセイ
<< 喜びと悲しみと ことばになりたい >>