酒で育った僕

Under the Sunコラム執筆分を転載しています。お題は『酒』。是非、Under the Sunにお立ち寄りください。

 僕はUTSの皆さんとお酒を飲む事は許されない人種かも知れません。だって、飲ミニケーション大好きで、先輩に誘われたら喜んで着いて行っちゃう性質ですし、お酒の席でつい口角唾を飛ばして語ってしまい、翌日穴があったら入りたいくらい自己嫌悪に陥る事がしばしばあるからです。けれどもまた同じように繰り返してしまうのは、都合の悪い事は適当に忘れてしまう親譲りの性格と、それでもなんとなく付き合ってくれている友人たちのおかげだと感謝しています。

 都会はもう止めようと突然決心し、僕が生まれて間もなく両親は乳飲み子を連れて東京から信州の山奥に当てもなく引越しました。引越した先は、山と空気が奇麗な高原でしたが、吉幾三の『おら東京さ行くだ』のようなど田舎で、道はまだ舗装もされておらず、近くの雑貨屋まで子どもたちの手を引いて2キロの道のりをエッチラオッチラ買い出しに行くので一日が暮れる、そんな生活が待っていました。突然やって来たよそ者に温かくもあり、冷たくもある土地でしたが、父は地元の人に混じって土方に精を出し、これは父ちゃんが作った露天風呂だぞ、と真夜中自慢気に露天風呂に連れて行かれた記憶もあります。

 学生運動の熱い季節が終わり、こんな山奥にも学生たちが勉強にかこつけて避暑にやって来るようになりました。学生村のような民宿があちこちに誕生し、美大生や浪人生など若い学生たちが集まっていました。彼らと年齢が近かったからか我がオンボロ借家には、学生たちが集まっては酒を酌み交わす光景が夜な夜な繰り広げられていました。そんな伏線があってか、僕が保育園に上がると両親は昼間家を留守にして、捨て石を敷き、水平をとってコンパネを組み、コンクリートを流して基礎を作る作業に没頭するようになりました。地元の大工さんに協力してもらいながら、自分たちのヒュッテを作り始めたのです。木の香りのするヒュッテが完成したのは4歳の時だったでしょうか。

 細々とヒュッテの営業が始まり、徐々に常連のお客さんが来るようになりました。ヒュッテの売りは『泊まれる居酒屋』。日々の憂さを晴らしに大人たちが夜遅くまで、両親を相手に熱く語っています。「子どもたちはもう寝なさい。ここからは大人の時間なの。」と言って8時過ぎには奥の部屋へと追いやられ、たまにトイレに立つお客さんでホールの扉が開くと、大人たちの嬌声や陽気な音楽がドーッと奥の部屋まで響いて来ます。ある時、軽快な音楽がホールから流れて来ました。なぜか電気は暗く、陽気な笑い声だけが聞こえて来ます。密かにほんの僅か隙間を空けておいた窓から息を潜めて覗き込むと、みんなでABBAの音楽に合わせて踊っているではありませんか。「大人って、大人って、不思議だー。」

 子ども連れのお客さんがみえると僕らの出番です。トランプや鬼ごっこなどをしてもてなします。傍らで色々な大人たちが、初対面にも関わらずビールを飲みながら楽しそうに談笑しています。子どもたちも、「えっ、これ僕のお父さん?」と少し戸惑った表情を浮かべています。「お酒って、お酒って、不思議だー。」

 中学になると大人の席に少しだけ加わるようになりました。お茶を啜りながら、大人たちが話す仕事、組合、恋愛、子育ての悩み、たあいのない話などなどあまり良く分からないながら、大人には色々あるのだなと思いました。どんな大人でも大人だし、「立派な」大人にならなきゃいけない訳じゃないんだという事を知り、「大人になりてー」と思いました。

 はじめてお酒を飲んだのは、中学の卒業式。以降、お客さんと一緒に僕もウヰスキーの水割りを飲みながら話に加わるようになりました。僕は沢山の大人たちと、その大人たちに酌み交わされる「酒」の中で育てて貰いました。今でも沢山の人と飲む酒も、こじんまりと飲む酒も大好きで、その当時の大人がそうであったように、楽しくもあり、つい熱く語ってしまうのでした。
[PR]
by pantherH | 2006-06-01 00:47 | Under the Sun
<< 共謀罪は断固廃案だ 喜びと悲しみと >>