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カテゴリ:Under the Sun( 19 )

逡巡

Undre the Sunに書いたコラムを転載します。お題は、「こだわり」。

 振返ると僕は、『時間』や『ことば』にこだわっているようです。
 時間にしてもことばにしても、「斬る時間」「斬ることば」と「醸す時間」「醸すことば」があって、どっちが大切っていうものではなくって、どっちも大切なんだけど、時間もことばも斬りっぱなしだと、結局のところ関係も存在も切断されてしまう、金銭至上主義に帰着しちゃうんじゃないか、なんて漠然と感じています。一方で、醸すことばって結局想像力の事を指すと思うし、醸す時間って個々人のプライベートなことの集積だから、「想像力を働かせろ」とか「醸せ、醸せ」と声高に言うのは短絡の極みだと思ったりします。『国家の品格』なんかは、それを声高に叫んじゃったりして、逡巡の欠落というか、その短絡というのを恥ずかし気もなくやっちゃっている。読んでてアホだなーと思う。ただ、「醸す時間」とか「醸すことば」を「ことば」で表そうと思ったら、そういう罠にはまり易いというのも事実なんじゃないかなとも思う。あまり良く知らないけれど、宮沢賢治しかり、島崎藤村しかり。特に、「国家」って奴を扱うと、とたんにその罠にはまっちゃうんだと思う。だから、「国家」という文脈では語ってはならないという慎みが必要なんだと思う。
 

『逡巡』

哲学者がするように「時間とは何か」と問うことは僕の能力を超えている。
「時間を認識できるか」と問えば、「さあ分からん」。
「時間を実感出来るか」と問われたら、「はい」と答える。
では、いったいどんな時に時間を実感出来るのか?

分からなかったことが、なるほどと分かったとき、
全く無関係だと思っていたAとBが繋がったとき、
僕は自分の中を伏流していた「時間」を感じる。
試験直前最後の追込み、
締切り間近の仕事を山のように抱えているとき、
僕は自分の横を通り過ぎる「時間」を感じる。

灼熱の日ざしが和らぎ影の長くなるのに、僕は「時間」を感じているだろうか?
いつも決まって真っ赤な花を咲かせる曼珠沙華に、僕は「時間」を感じているだろうか?
子どもの成長に、両親の老いに、ぼくは「時間」を感じているだろうか?
僕は「変化」の後ろにいる「時間」を感じているだろうか?

会うことのなかったおじいちゃんとそのまたおじいちゃんに、僕は「時間」を感じているだろうか?
会うことのない百年後の子どもたちに、僕は時間を感じているだろうか?
僕は「過去」と「未来」を繋ぐ「今」に時間を感じているだろうか?

変化の後ろにいる時間。
自分の中を伏流する時間。
横を通り過ぎる時間。
過去と未来を繋ぐ時間。
お釈迦様はきっと、この「4つの時間」を悟られたのだろう。


アイザック・ニュートンは、変化の後ろに存在する時間に目を凝らし、限りなく時間をゼロにすることで「微分(=differentiation)」を発見した。そして微分に再び「時間」という魂を入れることで「積分(=integration)」を発見した。そして、松尾芭蕉は、切り取った瞬間に永遠を想起させ、微分と積分を俳句に詠み込んだ。

Differentiationとは分化、差異化すること。そのお陰で僕らは変化を分析し、過去と過去を繋いで、未来を予測出来る(かも知れない)。しかし、differentiationの行き着く先は「差別すること」。
Integrationとは統合、融合すること。そのお陰で僕らは思いがけずAとBの連関に気づき時間を実感する。そして、integrationの行き着く先は「平等になること」。
ところが、違い(=different)の否定は、無関心(=indifferent)。
まさに言語化の放棄。関係性の放棄。ゆえに双方に楔のように突き刺さる。

だから、僕らは「微分」と「積分」の間で、「時間」という魂を抱えて、逡巡しながら歩むほかない。


アルバート・アインシュタインは、速度と時間に目を凝らし、限りなく速度を高めると時間が止まることを発見した。僕らは時間を止めたくて、必死に生きる速度を高めようとしている。僕らは時間を掴みたくて、ちょっと先の未来に線を引き、そこまでダッシュを繰り返す。哀しい哉人生は、光速には近づけない。そして「今」はいつも僕らの耳を掠め過ていく。

リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカーは、歴史に目を凝らし、過去に目を閉ざすものは、現在に盲目になると言った。少しでも「今」という時間を知りたくて、人は歴史を知ろうとする。「過去」を知り、朧に「今」が映される。「過去」を知り、人は己の一回性を知る。有限と知ることで、人は己の永遠性を知る。
なのに僕らは、「今」を知りたくて、時間を切り刻む。「時間」を感じたくて、時間を切り刻む。哀しい哉、時間を切り刻む程に自らを切り刻む。
そして僕らは歴史を知らなくて、己の有限性に懊悩し、カルトに心を蝕まれる。

親鸞上人は、一回性と永遠性に目を凝らし、弥陀の本願ゆえ念ずれば煩悩具足の我らでも成仏出来ると唱えた。時空間的彼方に「絶対」を描いて、万物を相対化し、有限と無限を繋ぎあわせた。

ルドルフ・シェーンハイマーは、合成と分解に目を凝らし、常に分子を入れ替えながら自己同一性を保つ、生命の動的平衡を発見した。「生命」とは、「無限」の時空間的凝縮により際立つ「存在」。

悠久の「過去」、永遠の「未来」、そして無限の「空間」を、有限の僕らが繋いでいる。
時間は存在であり、存在は時間だ。

少し先の未来に死をみると、人は初めて「今」を知る。
おじいちゃんのそのまたおじいちゃんより遥か昔から脈々と流れる川の水面に、ぴょんと飛び跳ねた魚の如き自分。
でも、僕らはそこに、one make決めたいんだ。

そうだ! 
僕らは「無限」と「無限」の間で、「存在」という魂を抱えて、逡巡しながら歩むほかない。
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by pantherH | 2007-10-06 21:47 | Under the Sun

『自己』とはなにか

Under the Sunコラム執筆分を転載しています。お題は『なぜ人は繋がりを求めるのか』。是非、Under the Sunにお立ち寄りください。


 森の中の「旅の駅」をあとにしたマルコは、Under the Sunを目指して再び歩き始めました。雲の切れ間から射す日の光を目指して歩いていたマルコは、森のはずれの池のほとりで旅の疲れを癒す青年と出会いました。その青年はマルコよりもいくらか年上のようで、どことなく遠い眼差しをしており、どことなく沸々とした怒りを心根に抱えているふうでもありました。そらさんと別れてからここ数日、話し相手もなく歩き続け人恋しくなっていたマルコは、久しぶりに出会ったその青年に声をかけたのでした。

マルコ:あのー、すみません。僕はUnder the Sunを探して、ここ数日森の中を彷徨っていたのですが、この辺にUnder the Sunというパラダイスがあるのをあなたご存知ありませんでしょうか?

青年:Under the Sun? 聞いたこともありませんが、それはいったいなんですか?

マルコ:さあ、私もよく分からないのです。なんだか人と人との繋がりが希薄なこの世の中で、人と人との柔らかな繋がりを求めるパラダイスがあると聞いたのです。私はそれを探して旅をしているのですが、これまでに出会った渡し舟の船頭さんには「それを見つけようと思ったら、自らその問いを求めることだ」と言われ、タクシーの運転手には、「そもそも人との繋がりは、人それぞれが違うからこそ生まれる」と、そして「旅の駅」の女将さんには「誰かのためにやっているわけじゃなくても、誰かのためになっていることがある」というなんだか愛に満ちた雰囲気を教わった気がします。でも、誰もUnder the Sunの場所は教えてくれませんでした。

青年:なるほど、興味深いですね。繋がりを求めるパラダイスですか。実は私も繋がりとはなんだろうかという疑問に駆られ旅をしている途中なのです。

マルコ:え、それではあなたもUnder the Sunを探しているのですね。

青年:いいえ。Under the Sunを探している訳ではありません。生命における繋がりとはなんだろうかということを考えていたのです。

マルコ:それは食物連鎖とか生態系と言われる今流行のエコロジーというようなものですか。

青年:ええ、まあ。そういう大きな連環もありますが、何と言うかもっと個別的な、「自己と非自己」における繋がりに関してです。例えば、虫のような下等な生物もカビのような病原体から身を守るシステムが備わっているんです。虫の様な生物においても、自己と非自己が区別されているのです。虫ばかりではなく哺乳動物でも病原体にある特徴的な構造を認識して危険信号を発し、異物を排除しているということが最近分かってきました。免疫力を高めましょうとよく言われる免疫力とは、このようにのべつ幕なしに非自己を排除する能力のことを指し、これを自然免疫と呼んでいます。一方、子供の頃に水疱瘡にかかったら、2度とかからないと言いますよね。それも免疫の仕事です。この場合はある病原体に対し特異的に免疫細胞が反応し、その反応は終生記憶されるのです。そして病原体の2度目の侵入に対し、記憶としてストックされた免疫細胞が瞬時に増えて、病気を引き起こす前に病原体を駆逐してしまうのです。このような免疫を獲得免疫と呼んでいて、生命は免疫と言うシステムを通じて、自己と非自己を区別しているのです。

マルコ:へー。自己とか非自己なんていう観念的なことは脳の中で人間が勝手に作り出した概念だと思っていたけれど、脳と言う高次機能がなくても存在するんですね。でも、そうすると生命は本質的に非自己に対して拒絶するという宿命を有しているのですか。

青年:ところがその拒絶は必ずしも非自己に対してのみ起こるわけでもないのです。リウマチなどの自己免疫疾患は自己に対して反応する免疫機構により引き起こされる病気だし、花粉症などのアレルギー疾患は、非自己を排除する機構が働きすぎて自己を困らせるという病気なのです。

マルコ:そうすると免疫というのは自己にも非自己にも攻撃的に働くものなんですね。

青年:いいえ、殆どの場合免疫は自己に対しては反応性を消失しています。それを免疫寛容と言いますが、免疫のシステムが出来上がる過程で自己に反応する免疫細胞は細胞の自殺(アポトーシス)というメカニズムで消えてなくなってしまいます。それから、骨髄移植などを思い浮かべると分かりやすいと思うけれど、白血病などで骨髄移植をすると免疫システムは移植したドナーのものに入れ替わってしまいます。もちろんとても強い拒絶反応が起こるけれども、免疫反応を抑える薬を使って拒絶反応を抑えてあげると、数年すると免疫抑制剤を使わなくても、自己である体を攻撃することなく非自己と自己の共存が起こります。これもまた免疫寛容です。免疫には非自己の排除と同時に非自己を受け入れるという両義性があるのです。そして厳密に区別されているかのような自己と非自己も実はかなり曖昧であることも分かってきています。

マルコ:なるほど。免疫って面白いですね。でも、それとあなたが疑問に思っている繋がりとはどういう関係があるのですか。

青年:先ほど骨髄移植の例を出したけれど、ドナーの骨髄細胞中に存在するあらゆる細胞に分化できる幹細胞から、赤血球や白血球などの免疫細胞が出来上がってくるのだけれど、それぞれの細胞はその環境に応じてあるものは赤血球にあるものはリンパ球にと分化します。そしてその分化はまさに自己という場に適応するように制御されているんです。だから移植された非自己である骨髄細胞が、自己である身体に適応して自己組織化が行われ、その結果寛容が成立するのです。また、外部の病原体が侵入したときも、獲得免疫における免疫細胞の病原体の認識機構は、病原体の断片が自分の手のひらによって差し出されて初めて認識されるのです。外部からの度重なる侵入を通じて、自己は多様性を獲得し、それを免疫記憶としてストックしていくことで自己に厚みを形成していくのです。このように、免疫における自己とは「自己」という場に適応し、「自己」に言及(self-reference:自己を参照する)することで、新たな自己を形作っています。このようなシステムを、免疫学者の多田富雄先生は免疫のスーパーシステムと呼んでいます。

マルコ:とても難しいお話ですが、自己とか非自己は決定されたものではなく、常に自己は非自己から作用を受け、自分とは何かを見つめながら、自分自身が変化適応していくとても柔軟なものだと言うことですね。

青年:そうなんです。

マルコ:そのことは精神における自己とは何かということにも当てはまるのではないでしょうか。

青年:というのは?

マルコ:精神においては、「われ思う」という主体としてのわたし(=I)と、「われ感じる」という客体としてのわたし(=me)が自己を形成していて、「われ感じるがゆえに、われ思う」と、常に人に限らずありとあらゆる他者からの影響を受けて自己が変容している。自己とは他者との関係性を抜きにしては存在し得ないということなのではないでしょうか。

青年:すばらしい。わたしの問いをそのように発展させてくれるなんて感動です。免疫における自己言及性は身体としての場と表現しましたが、そのreferenceは遺伝子(genome)であると言い換えることが出来ます。遺伝子とは運命を決定する、非常に厳密でより高次に存在するコマンドではなく、いつでも自分のルーツを顧みるreferenceであると捉えることが出来ます。巷では遺伝子が分かればすべてが分かる、能力は遺伝的に決まっているという論調がありますが、それは優性思想にも通じる危うさを含んでいます。一方、人間は環境が全てであるとの意見もあります。しかし、これもまた20世紀の科学が明らかにしてきたDNAをはじめとする生命の営みに関する研究に対し、客観性を失った見方だと言えます。生命は非常に可塑性に富み、遺伝子をreferenceしながら、自己を見失うことなく自己組織化していく、そしてそこに多様性と共生が生まれるのだと思います。
すみません、話を元に戻しましょう。ところで、あなたは精神における自己言及性とはなんであると考えていますか。

マルコ:精神における自己言及性ですか。私はわたし。たとえ他者からの影響を受けようとも私は私のコンテキストでしか感じることが出来ない。私のコンテキストでしか思うことが出来ない。そこに精神における自己言及性があるように思います。それをアイデンティティと言うのでしょうか、あるいは先ほどおっしゃられたルーツと言うものなのでしょうか。思うという主体としての自己や感じるという客体としての自己のさらにより深層に、わたしという内奥の自己が存在し、意識下の自己は常に内奥の自己をリファレンスしていると言うことなのではないでしょうか。ところでこの内奥の自己とは生物学的にはどのように捉えられているのでしょうか。

青年:内奥の自己を解明することは心理学者のみならず脳科学者にとっても非常に関心の高い問題だと思います。現代の生命科学は生命とは何かという問題を、臓器、器官、組織、細胞、蛋白、DNAとより下位のレベルに降り、そのメカニズムを明らかにすることでより上位の問題を説明しようとしています。これを還元主義的手法と呼んでいます。しかし、還元主義的手法ではやはり生命の本質や、地球環境と生命について説明できないことを科学者自身もうすうす感づいてもいるのです。また、そもそも万物創世の神に対する懐疑から始まった還元主義的手法でしたが、今日その限界に気付いた人は、短絡的にそして復古的に生命の上位に存在する神を想定しようとしています。しかし、それもまた生命の本質を何も説明してはいないのです。生命とは無限大に大きいものから無限大に小さいもののまさに間に存在するものなのではないでしょうか。ですから内奥の自己について生命科学がその謎を解明しようとすることは重要です。しかし、それのみに答えを委ねてしまい分かったつもりになることも分からないと嘆息することもナンセンスなのだと思います。そして科学者もまた無限大に小さいものへ降り続けるだけではない、俯瞰する視点が要求されているのではないでしょうか。

マルコ:答えを安易に求めてはいけないということですね。

青年:そうなのだと思います。

マルコ:内奥の自己をreferenceするのも私であり、内奥の自己に見られるのも私であり、内奥の自己を磨くのも私である。しかしながら、そこには他者の存在が不可欠であり、それを失うと生命としての息吹が失われてしまう。そしてそれが私自身の普遍性と可塑性を生み出している。

青年:私はそのような視点で、社会や法や科学を捉えられないかと日々旅をしています。今日はあなたのような素敵な方と私の感じている疑問について話が出来てとても幸せな気分です。わたしはあなたの捜し求めているUnder the Sunについて全く知りませんが、ここを真っ直ぐ進むと森は直に終わり原っぱに出ます。きっとUnder the Sunはこの森の外にあるのでしょう。いい旅になることを願っています。

マルコ:僕の方こそありがとうございました。あなたもよい旅を。

 マルコは一回り自分が大きくなったような気がしました。そして後ろを何度も振り返りながら青年に教えられた方向に向かって再び森の中を歩き始めたのでした。


 長文をお読みいただきありがとうございました。
 以下に参考文献を記させていただきます。

・「免疫系のしくみ-免疫学入門-」 L.Sompayrac著 大沢利昭訳 東京化学同人 
・「免疫の意味論」 多田富雄著 青土社
・「生命の意味論」 多田富雄著 新潮社
・「邂逅」 多田富雄 鶴見和子著 藤原書店
・鶴見和子 対話まんだら 「患者学のすすめ-‘内発的‘リハビリテーション 上田敏の巻」 藤原書店
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by pantherH | 2006-06-30 00:00 | Under the Sun

情報なんて--日替わりコラム:金曜日--T.N.君の日記

Under the Sunコラム執筆分を転載しています。お題は『Under the Sunから お嬢様への招待状』。是非、Under the Sunにお立ち寄りください。


麗子お嬢さんとやらがUnder the Sunに遊びにおいでとのことだが、田舎者の私はお嬢様のもてなし方を心得ていない。まして、あまり縁のなかったお嬢様と聞くとつい意地悪したくなってしまう。

麗子 貴方がTN君という方ですか?いつもお堅い文章をお書きなさるので、お目にかかるのちょっと怖かったわ。でもそうでもなさそうね。

TN ・・・。

麗子 Under the Sunについてお聞かせいただけると聞いて訪ねてきましたの。どうぞお話してくださるかしら。

TN 単刀直入ですな、お嬢様は。Under the Sunについて僕に聞いても仕方がないと思いますよ。

麗子 でも、かなりUnder the Sunに中心的に関わっていらっしゃる方だとお聞きしていますの。物事は何でもその中心人物にインタビューする方が本質に迫れるといいますもの。これまでの方々のお話を聞いて私すっごく興味を持っておりますのよ。Under the Sunに。

TN ふん、僕は理念や運営構想なんかは書いたけれど、Under the Sunのグランドデザインをしているつもりは全くないですよ。それに、トラックバックセンターを構築し閉鎖する過程でとことん消耗し、今は少し距離を置きたいですし、ブログというツールについて僕自身懐疑的になってしまいましたからね。

麗子 ブログに懐疑的ですって・・・?多くの方々はブログの勝利と祝杯をお挙げになっていらっしゃってましたわ。共謀罪のときも見事な連携プレーだったと皆さんおっしゃってたわ。それを意味がないですって(何を言ってんだ、こいつは・・・)。

TN 意味がないとは言いません。多くの方の存在や意見を知り、多くの情報を得て有益なこともたくさんありました。ただ、僕はブログ云々する前に、そもそも情報というものに懐疑的になってしまったのです。

麗子 え?おっしゃる意味が分かりませんが(何を言ってるんだ、こいつは!!)。

TN 逆に聞いちゃうけど、あんた情報って必要だと思いますか?無くてもいっこうに構わないと思ったことはありませんか?

麗子 いいえ、お父様は毎日経済新聞を読んで政治経済の動向や企業の情報を得て株式投資に役立てているわ。それに私だって、テレビやインターネットで美味しいお店や新しいブランドの情報を得たり、そうだわ、luxembrugさんやそのお仲間の皆さんのブログから多くの情報を頂いているわ。それが不要だとおっしゃるの?貴方だってネットやテレビからたくさんの情報を入手されてるじゃないの?そんな事言うなんて頭おかしいんじゃないかしら。

TN そう、頭おかしいのです。でも、情報というのは、滞っていたり、ただ流通しているだけでは全く価値をなさないものなのではないですか。受け止められて脳で自分のことばに置き換えて初めて価値をなすものなのではないでしょうか。受け手の脳を通過して身体化しないとただの記号に過ぎないのですよ、情報というのは。まあ、言葉もそうですが。

麗子 でも、理解したり解釈したりするのには先ず知ることが必要じゃないかしら。知らなかったら理解も解釈も身体化も出来ないわ。

TN イノセントなことを言いますね。知らないということを前面に出せるほど世の中甘くはありませんよ。貧困も戦争もAIDSも知らなかったですむと思っているのはとぼけている証拠じゃないですか。知らされなかったのではなく、知ろうとしなかったのです。いいや、みんな知ってはいるのです、それなりに。インフォメーションとしてね。

麗子 それでは、知ることは意味がないとおっしゃるのね。貴方は。

TN いいえ、知ることはとても大切なことです。現にあなたが知ろうとしていることに感心さえしています。しかし、偉そうだけれど、「知ること」と「思うこと」は違うと言いたいのです。そして「思うこと」はシチュエーションによっていかようにも変化するものだから、思うことを超えて自分のことばで「考えること」が必要だと言いたいのです。そのプロセスから考えると、ブログはテレビには勝るかも知れないけれど、本には劣るし、ましてや生身の人間と話している方がよっぽどそういうプロセスが多いのですね。そしてそのプロセスが出来ていれば、テレビであろうと何であろうと情報の媒体なんて何でもいいのであり、ましてそのような人は情報により行為が基定されるのではなく、内面により行為が決まるものなのではないですか。情報とは所詮その程度のものなのですよ。だからブログにこそ本当の情報が詰まっているなんて言うのは余程の誇張ですよ。あなたもブログに接するときには、情報が表層を上滑りするだけになりやすいからくれぐれもご注意遊ばせ。

麗子 私はブログから色々勉強になることが多いし、考えることもしばしばですが。

TN それなら、あなたは心配ない。でも、インターネットの情報は、一度お気に入りに登録すると、一切の道程をショートカットしてそのブログに到達できるのですね。ネット右翼があーだこーだ言っていたとしても、一度自分の島を見つけると、それまでに出会っていたほんとうんざりするような情報に一切出会う必要がなくなってしまうのですね。いつもその島にワープしているみたいな感覚があって、ネットブログって非常に大きな空間に見えて、極々閉じた世界にも感じますね。一方、テレビの垂れ流す情報は魑魅魍魎ばかり。なんだか情報のあり方として、テレビもネットも健全なのかと懐疑的になってしまいますね。

麗子 得たい情報に容易にアクセス出来るというのはいいことなんじゃないですか?あなたって相変わらず屁理屈こねてらっしゃるという印象ですわ。

TN まあ、屁理屈です。何でもブラボーと言う言葉を聞くと、本当か?って疑り深い性分なものですから、気になさらないで下さい。僕は情報をとても重要なものだと思っていたんですね。でも、急にそうではないのではないか、と思えてきてしまったのですね。情報をアレンジするのではなく、原点に戻ってもっと自分を鍛えなきゃいけないですね。

麗子 もう止めて。貴方と話していると頭がおかしくなりそうだわ。こんなひねくれ者にに会ったのは初めてだわ。なんか気分が悪くなったので帰らせて頂きます。

TN あ、すみません。いつもの悪い癖が出てしまいました。
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by pantherH | 2006-06-15 22:50 | Under the Sun

酒で育った僕

Under the Sunコラム執筆分を転載しています。お題は『酒』。是非、Under the Sunにお立ち寄りください。

 僕はUTSの皆さんとお酒を飲む事は許されない人種かも知れません。だって、飲ミニケーション大好きで、先輩に誘われたら喜んで着いて行っちゃう性質ですし、お酒の席でつい口角唾を飛ばして語ってしまい、翌日穴があったら入りたいくらい自己嫌悪に陥る事がしばしばあるからです。けれどもまた同じように繰り返してしまうのは、都合の悪い事は適当に忘れてしまう親譲りの性格と、それでもなんとなく付き合ってくれている友人たちのおかげだと感謝しています。

 都会はもう止めようと突然決心し、僕が生まれて間もなく両親は乳飲み子を連れて東京から信州の山奥に当てもなく引越しました。引越した先は、山と空気が奇麗な高原でしたが、吉幾三の『おら東京さ行くだ』のようなど田舎で、道はまだ舗装もされておらず、近くの雑貨屋まで子どもたちの手を引いて2キロの道のりをエッチラオッチラ買い出しに行くので一日が暮れる、そんな生活が待っていました。突然やって来たよそ者に温かくもあり、冷たくもある土地でしたが、父は地元の人に混じって土方に精を出し、これは父ちゃんが作った露天風呂だぞ、と真夜中自慢気に露天風呂に連れて行かれた記憶もあります。

 学生運動の熱い季節が終わり、こんな山奥にも学生たちが勉強にかこつけて避暑にやって来るようになりました。学生村のような民宿があちこちに誕生し、美大生や浪人生など若い学生たちが集まっていました。彼らと年齢が近かったからか我がオンボロ借家には、学生たちが集まっては酒を酌み交わす光景が夜な夜な繰り広げられていました。そんな伏線があってか、僕が保育園に上がると両親は昼間家を留守にして、捨て石を敷き、水平をとってコンパネを組み、コンクリートを流して基礎を作る作業に没頭するようになりました。地元の大工さんに協力してもらいながら、自分たちのヒュッテを作り始めたのです。木の香りのするヒュッテが完成したのは4歳の時だったでしょうか。

 細々とヒュッテの営業が始まり、徐々に常連のお客さんが来るようになりました。ヒュッテの売りは『泊まれる居酒屋』。日々の憂さを晴らしに大人たちが夜遅くまで、両親を相手に熱く語っています。「子どもたちはもう寝なさい。ここからは大人の時間なの。」と言って8時過ぎには奥の部屋へと追いやられ、たまにトイレに立つお客さんでホールの扉が開くと、大人たちの嬌声や陽気な音楽がドーッと奥の部屋まで響いて来ます。ある時、軽快な音楽がホールから流れて来ました。なぜか電気は暗く、陽気な笑い声だけが聞こえて来ます。密かにほんの僅か隙間を空けておいた窓から息を潜めて覗き込むと、みんなでABBAの音楽に合わせて踊っているではありませんか。「大人って、大人って、不思議だー。」

 子ども連れのお客さんがみえると僕らの出番です。トランプや鬼ごっこなどをしてもてなします。傍らで色々な大人たちが、初対面にも関わらずビールを飲みながら楽しそうに談笑しています。子どもたちも、「えっ、これ僕のお父さん?」と少し戸惑った表情を浮かべています。「お酒って、お酒って、不思議だー。」

 中学になると大人の席に少しだけ加わるようになりました。お茶を啜りながら、大人たちが話す仕事、組合、恋愛、子育ての悩み、たあいのない話などなどあまり良く分からないながら、大人には色々あるのだなと思いました。どんな大人でも大人だし、「立派な」大人にならなきゃいけない訳じゃないんだという事を知り、「大人になりてー」と思いました。

 はじめてお酒を飲んだのは、中学の卒業式。以降、お客さんと一緒に僕もウヰスキーの水割りを飲みながら話に加わるようになりました。僕は沢山の大人たちと、その大人たちに酌み交わされる「酒」の中で育てて貰いました。今でも沢山の人と飲む酒も、こじんまりと飲む酒も大好きで、その当時の大人がそうであったように、楽しくもあり、つい熱く語ってしまうのでした。
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by pantherH | 2006-06-01 00:47 | Under the Sun

ことばになりたい

Under the Sunコラム執筆分を転載しています。お題は『もし○○だったら』。是非、Under the Sunにお立ち寄りください。


日々テレビから嬌声を伴って侵襲することば ことば ことば
浪費されるのではなく、生産することばになりたい

日々無表情にスピーカーから繰返されることば ことば ことば
刹那に流れるのではなく、永く留まることばになりたい

日々陰鬱な事件とともに語られることば ことば ことば
絶望を暗示するのではなく、希望を見据えたことばになりたい

日々おどろおどろしい音楽とともに迫ることば ことば ことば
嫌悪をかきたてるのではなく、愛情を育むことばになりたい

日々ネットに溢れる罵りのことば ことば ことば
感情の発露ではなく、感情に向き合うことばになりたい

日々些細な事象を誇大に増幅することば ことば ことば
差異を論うのではなく、共感を醸すことばになりたい

日々可哀そうにと吐きだされることば ことば ことば
気休めの同情ではなく、生きるかなしみを癒すことばになりたい

日々踏み込んでくる狼藉なことば ことば ことば
理不尽にあっては諦めず、無常にあっては諦観することばになりたい

理解しあうための論理
思索のための沈黙
喜びいっぱいの笑い

耳を澄ませば聞こえてくる
思慮深さと悠久が織りなすことばになりたい
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by pantherH | 2006-05-25 19:28 | Under the Sun

至福の時が何故か教育論に

 Under the Sunコラム執筆分を転載しています。お題は『至福のとき』。是非、Under the Sunにお立ち寄りください。

 僕は文章を書くのがとても遅く、一本の記事を書くのに大体3時間ほどかかってしまいます。そんな訳で、コラムを書くのも搾り出しているという感じです。今回は自分でお題を出しながら、全く書く方向性を考えていなかったのでまたまたしんどかったです。

 「至福の時」というのはきっと何かに熱中していて、それこそ食事の時間も寝ることも二の次になってしまうような時を言うのかもしれません。植村直己の生き様に憧れる自分なのですが、僕は昔から、とことん何かに夢中になることが出来ない性分だったというか、今でもそういう性分であるように思います。いつもなんか次のことを考えている、あるいは、はまってはイカンとどこかでブレーキをかけてしまう性質なのかもしれません。人はそんな僕を評して、「詰が甘い」とも「バランスがいい」とも言いますが、正確には「いちびり」で「根性なし」なのだと思っています。そんなわけで、自分が寝食忘れるほど熱中するときってどういう時なのかなと振り返ってみても、なかなか具体的な光景が思い浮かびません。

 最近スポーツ界で活躍する選手は、子供のときから親の熱心な指導をきっかけに本人がそれにのめり込み、寝食忘れて熱中したおかげで大成したというストーリーが持て囃され、芸術や学問の世界でも、幼少の砌よりその道に熱中し云々と、子供たちには早期から熱中できる何かを、熱中できる環境を、しまいには「熱中が身をたすく」となんだかネチュネチュと少々騒々しく思います。「熱中」までも与えないでくれよと思いますし、カンキョカンキョ言うけれども、そもそも熱中するための環境とはなんなんだろうかと首を傾げてしまいます。極論するならば、「ほっとく」ということなんじゃないかと思ったりもします。

 確かにいつの時代も、スポーツにしろ芸術にしろ、あるいは学問にしても、「熱中」する心に突き動かされ、一つのことを深く追求し、常にその中に自分を置き続けることで、より磨かれ、より研ぎ澄まされ、あるいはセレンディビティーがそこに舞い降りて、「作品」となったのだと思います。そして人はその美しさに感動や共感を覚えたのだと思います。しかし誤解を恐れずに言うならば、熱中は本人の魂の問題であり、作品を醸す土壌はあっても、設えられた環境なんか生活の保障以外にこれっぽっちも本人の精神活動に恩恵をもたらしたとは思えません。所詮、教育や環境でこのような高い精神性を育むことなんか出来やしないのだと思います。

 誰もが一流のアスリートや芸術家、学者を目指す必要などないし、すべての子供にそのような非凡な能力が宿っている訳ではありません。教育や環境が出来ることは一流を育てる事ではなく、非凡なパフォーマンスの価値を評価できるように、美しいものを愛でる柔らかさと、作品の背景を理解する教養を身に付けられるようにすることなのではないでしょうか。
 とかく様々な問題の答えを教育や環境に求めがちですが、そこに答えを求めて思考停止に陥っている感があります。そもそも教育に過度の期待を寄せることは間違いであり、AをAであると分かる最低限の教養を身に付けるだけの役割でいいのではないかと少々危険なことを思うのでした。

 随分と「至福の時」のテーマから逸脱してしまいました。薮蛇にも、難しいテーマに入り込んでしまい、教養にしても精神にしても他の言葉にしても、言葉の使い方が難しくとても曖昧で一人よがりな文章になってしまいました。うーん。難しい。
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by pantherH | 2006-05-19 01:13 | Under the Sun

25歳

Under the Sunコラム執筆分を転載しています。お題は『25歳のとき』です。是非、Under the Sunにお立ち寄りください。

 25歳は「青春」というには少し年を取っていて、むしろ青臭い青春に別れを告げ思慮分別を持たなきゃなーなどと思い始める年頃でしょうか。実に難しい年代設定と、気恥ずかしさと臆病さで相変わらず衒った文章になってしまう金曜コラムニストのT.N.君の日記です。

 「青春」と聞いて真っ先に僕の脳裏に浮かび上がるのは、植村直己の「青春を山に賭けて」という本です。彼がマッキンリーで遭難しテレビで彼の名前を知った僕は、中学生の読書感想文用の学校図書で「植村直己の物語」を読みました。そこで「植村直己は心の底から湧き上がる夢を持っていた。彼の夢はとてつもなく大きくて、そしてとても素敵な夢だと思った。けれども彼の夢はなぜあんなにも切迫感で一杯なんだろう。切迫感ゆえに彼は遭難してしまったのではないか。夢に生き夢に散った彼の物語は僕に勇気を与えてくれるけれども悲しい。」と感想を書いた記憶があります。その後、「極北を駆ける」や「北極点グリーンランド単独行」などを読み漁り植村直己の魂の濃さに圧倒され、また、エスキモーの人々との交流や犬や生き物に寄せる愛情、厳しい天候を嘆く等身大の植村直己に、中学生のときに誰かの書いた本で感じた切迫感に追われる植村直己という印象はなくなっていました。とはいえ最近読んだ妻への手紙は恥ずかしくて半分までしか読めませんでしたが。

 大学生の時分、たまたま北極圏を単独徒歩で横断した大場満郎さんの講演を聞きました。百姓だった彼は突然30を前にして、植村直己への憧憬から自分も植村さんみたいに生きたい、何かしたいという衝動にかられ、そうだ北極圏単独徒歩横断をしようと決意します。衝動を抑えられずに植村さんに会いに行き興奮気味の大場さん。植村さんはそうかそうかと話を聞いて、「それならこのダウンを持っていきなさい」とグリーンランド犬橇横断したときのダウンを下さった。これが大場さんの冒険のお守りだったと話していました。
 凄いなー。僕も植村直己の生き様に強い憧憬と勇気を与えられるけれど、その心境に近づきたいと思わせる植村直己はやっぱ凄いなーと、下宿でゴロゴロしながら彼の本を読み直していました。

 僕の青春は本当にたいしたことないのですが、大学の授業よりも競技スキーにはまっていました。小学生の頃スキー場が近かったこともあり競技スキーをしていましたが、東北の大学に進学したこともあり、もう一度やってみたくなったのでした。運動には走る、泳ぐ、跳ぶ、投げる、蹴るなど色々あるけれど、滑るという運動はスキーぐらいしかなく、競技スキーともなると足裏や全身を通じて感じ取る感覚をもっと研ぎ澄まして運動に連動しなくてはいけないのでとても奥が深いスポーツです。しかしいい成績を出すにはそれなりに道具にお金をかけなくてはいけないのが玉に瑕。だから学生時代は色々なアルバイトをして活動費を捻出していました。もっとお金があったらもっといい物もいい練習環境も手に入れたかったけれど、自分でアルバイトしたお金で精一杯やりくりし、地元の人の好意に支えられ、部員同士で協力し合ってやるそういう環境で競技スキーをやることに凄く充実感を感じていました。

 でも、だんだん勉学が忙しくなると部活動も引退しなくてはならず、そろそろ将来をまじめに考えなきゃと進路のことに悩むようになりました。そこで参考にと先輩達を見て、ふとなんでみんな卒業すると恋人と別れちゃうんだろうという疑問が湧きあがりました。当時、「子供を持つと夫婦に何が起こるか」(草思社)なんていう本に感化されていたこともあり、まず進路を考えるときにそのこと、つまり結婚を抜きには考えることが出来なくなりました。結婚という枠の中でお互いがやりたいことを実現できるように相談し、方向を模索していく方が現実的なのではないかと思うようになり、学生の分際で結婚してしまったのです。結婚式は僕の実家で双方の両親と兄弟だけで盛大に行い、翌日はみんなでピクニックに出かけました。長期休暇にはどちらかのお家に帰省してお互いの両親と色々な話をしました。

 25歳の頃は、妻を一人東北に残し単身大阪に出てきた頃です。それまでは結婚しているとは言え両親の仕送りを当てにしていたので、それからは僕が妻に仕送りをしなくてはいけません。我儘を許してくれた両方の両親に心の中で頑張りますと宣言した25歳でした。
 そして妻は、T.N.君の日記とUnder the Sunを心から応援してくれています。
 あー恥ずかしいー。 退却ー。
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by pantherH | 2006-05-12 00:51 | Under the Sun

湖北を旅して

Under the Sunコラム執筆分を転載しています。お題は『忘れていたもの』です。是非、Under the Sunにお立ち寄りください。

 今週のテーマにも非常に苦戦しております。それは私がまだ若いからでしょう。なんて負け惜しみを呟きつつ。

 先日、白洲正子の「かくれ里」を訪ねて、琵琶湖の湖北つづらお半島にある菅浦へ花見に行きました。今年の関西は青空がほとんどのぞかず、いつまでも寒い日が続いていたので、湖北の桜はまだ7分咲きといったところでした。おかげで人影もまばらで、湖面に枝を張る桜越しにのぞむ琵琶湖は鏡のように穏やかで、そこに竹生島がたたずみ、まさに静寂が時空を支配していました。

 菅浦の集落の西に位置する四足門をくぐると、須賀神社という社があります。天平宝字2年に即位された天武天皇の孫淳仁天皇は、実権を依然孝謙上皇に支配されていました。はじめ上皇に寵愛されていた恵美押勝は、次第に上皇の寵が僧道鏡に奪われると、反乱を起こして敗れ、湖面を渡って越前に逃れようと試みます。しかし途中嵐に会って菅浦の西の大浦に流れ着き、いったん高島に引返しますがそこで一族全滅してしまいます。押勝と親交のあった淳仁天皇は帝位を廃され、淡路の高島に幽居され「淡路の廃帝」と称されました。しかし、ここつづらおでは、淡路は淡海の誤ったものだと伝えられ、高島も湖北の高島だと伝えられています。そのため、帝が行在中、「何所ニ罷リ寿ヲ果ツルトモ、神霊ハ必ズコレニ止メ置クベシ」と述べられたことから、本殿周囲を舟形に石で積み、社を作って廃帝を祀ったと伝えられています。本殿にお参りするときには靴を脱ぎ、スリッパに履き替えてなくてはいけません。白洲正子さんが訪ねられたときは裸足で参拝され、その石の冷たさに社を護ってきた住民達のその信仰の深さを実感したと述べられています。菅浦はわずか70あまりの集落で他の集落とは隔絶しており、昔から廃帝の怨霊を祀りその信仰に生きた集落の佇まいに、えも言われぬ気迫と静寂が感じられます。

 このようなところにまで伝承される天皇家の歴史はさすがだなどというつもりは毛頭なく、そのような信仰を千年以上にわたって継承してきた住民達の気概が菅浦を菅浦たらしめ、静寂を醸しているのだと思いました。

 その後湖北の十一面観音菩薩を訪ねて、木之本から車で10分ほど東に入った石道寺(しゃくどうじ)へと向かいました。高時川を越えてさらに山へと進むと、里山ののどかな風景の中にひっそりと石道寺が建っています。満開の桜が風にゆられ、名もなき草花が咲き、里山にそよぐ風に草と土のたおやかな香りが運ばれてきます。お寺の中には唇に紅をひき、衣にも朱が残るなんとも言えない色気を漂わす11面観音が安置されていました。右膝を少し曲げ足の親指を上に向け、今にも一歩前に進みだしそうです。慈悲深い優しさに溢れた菩薩様でした。この11面観音や石道寺もまた、幾多の歴史に翻弄されながらも、ずっと土地の者たちが大切に護りとおしてきたのでした。そして今でも石道寺と十一面観音菩薩を地域の人々が大切に護り続けているのです。

 中央の権力の歴史とは一線を画し、土地土地にまつわる歴史はいたるところに存在します。庶民の築き上げた歴史は、昨今の市町村合併などにより名前ごと根こそぎ破壊され、それを伝える原風景は開発と治水の名のもとに破壊尽くされてしまいました。そして、少なくなった原風景に希少価値を求めて人々がどーっとやってきては、そこに醸されていた悠久の静寂を破壊していきます。

 情緒とは幾多の無名の民が守り築いてきた歴史や風景に敬意を表すことであり、その上に胡坐をかいてきた為政者の歴史に敬意を示すことではありません。情緒とは民の物語に耳を澄ますことであり、声高に叫ぶことではありません。そしてそこに醸される静寂を愛で、思索する心なのではないかと思います。
 
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by pantherH | 2006-04-27 18:55 | Under the Sun

Under the Sunへのイメージ

 色々みんなに意見やアイディアを寄せてもらって、僕と素楽さんが今どんなイメージを持っているかを、なんとなくでもいいからその輪郭を伝えなきゃいけないかなと思いました。ただ、言葉にするのがなかなか難しい・・・。

 例のチェック・リストは言ってみると自己評価みたいな感じで使っていたんだけど、UTSのプライオリティを何処に置くか、というのに腐心していました。

 簡単にTBCといっても、TBCには全く違う二つの役割があることが分かりました。
 一つは、あることに関して知りたいと思ったときに、そこにアクセスすると一連の流れや意見を知れるという、カテゴリー別のTBC。当初はこのタイプのTBCが頭の中心を占めていました。もう一つは、今日こんなエントリーをしたから見に来てね、と、記事内容の関連性なんて全くお構いなしにTBされる。そしてTBすると自ブログのアクセスアップにつながるし、出会いの場になる。イメージとしてはとくらブログ(失礼)。で、これは日めくりカレンダーとしてのTBCの基本形でアンテナと同じような役割にもなる。

 この二つの要素を一緒に満たすことは基本的に難しい。前者はなんとなくHPみたいなイメージで、それだから前者だけだとサイトに閑古鳥が鳴いちゃうし、ブロガーのTBのしやすさとTBされた記事へのアクセスの利便性が極力高くないとやってらんない程ストレスフル。
 後者はまさにブログの一番得意としているところだけど、カテゴリーごとに記事を閲覧するのが難しかったり、何しろ毎日エントリーすることが至難の業だしマンネリを克服できない。

 そういう風に思いながら悩んでいました。負担が重くなるような気がして躊躇していたのですが、日替わりエントリーを快く引き受けてくださって、後者としてのTBCの役割が動き始めたような気がして、とてもわくわくしています。こうなってくると、プロジェクト25の必要性はなくなって、日替わりエントリーのお題に自然に吸収されてOKだし、お題の設定次第で、以前luxemburgさんが提案していたような、未来志向のパネルディスカッションみたいなのも実現できるんじゃないか、そんな可能性をすごく秘めたサイトになっていけるような気がします。

 カテゴリー別のTBCのほうは、イメージがあまり湧かないんだけど、アクセス数にアクセクする必要はなくて、TBされた記事へのアクセスの利便性をとにかく保ちさえすればいいんじゃないか。それから、TBが少ないのも困るけれど多すぎるのもどれを読んでいいか分からなくなってしまうので、管理とはまた別の次元で本当の使いやすさを追求することの難しさを内在しています。あと記事を掘り起こしていく作業をすることが、TBCの効果を考えると必要な作業なんじゃないか。しかし、これは矛盾するようだけどTBされた記事を読むというかなりの労力を要します。

 そんなときに、独裁制をぶっ壊そうさんが、「月間UTS」メルマガ化のアイディアを提案してくれました。例えば、月間UTS編集員を10人から15人くらい募り、大まかなカテゴリーごとに月に一回第○週を担当して一週間分のTB記事をザーッと見て、1,2本、自薦もOKで、月間UTS編集部に推薦する。「こちら編集部BBS」を一つ作れば、別に委員を仰々しく決める必要もなく、これ良かったよと記事のURLをコピペするだけでOKかもしれない・・・。編集部はただそれをまとめるてメルマガにするだけで記事の掘り起こしが出来てしまう。日々のコラムを載せるのもなかなかおもしろいかもしれません。

 少人数でやろうと思うと、死ぬほど大変だけど、みんなの推薦とかをうまく纏められたら記事の水先案内も結構可能なんじゃないかとなとイメージします。
 こう考えると、ちょっとずつの負担でかなり発展するんじゃないか、素人らしさ満載のメディアになるんじゃないかと思ったりしています。

 これまで書いてきたことは、夢ですが今はこんなイメージを持っています。

 BBSにも立てたので、意見など、お願いします。
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by pantherH | 2006-04-23 01:30 | Under the Sun

負けらんない 

Under the Sunコラム執筆分を転載しています。お題は『春 あるいは 出発』です。是非、Under the Sunにお立ち寄りください。 

日替わりコラム金曜日のT.N.君の日記です。皆さん一流の文章家だし、気合入っているしで緊張しまくりでございます。

 僕は信州の僻地で育ちました。僻地も僻地、ベビーブームの時でしたが1学年16人しかいませんでした。3歳で保育園に通園し、中学を卒業するまで12年間、ずーっと同じクラスメートと過ごしました。さぞいじめなんかなく、みんな仲良く少年時代を過ごしたのねと思われるかもしれませんね。確かにいじめはあまりなかったし、上級生をお兄ちゃん、お姉ちゃんと呼んで、兄弟のように遊んだりしていました。小学生の頃は楽しかったのですが、だんだん自我らしきものが芽生えて来ると、とても窮屈に感じるようになりました。部活なんかで後輩を不条理にしごいている同級生を見て、「止めろよ」と言っても、「お前だって昔よくやってたくせによ」と言われて返答に窮し、真剣10代しゃべり場みたいな疑問を抱いても、それを友達と分かち合える気がしませんでした。気になる女の子もいたけれど、こんな狭い世間で好きもへちまもないだろうと切り捨てていました。ある意味僕は鼻持ちならない自意識過剰野郎だったのです。だからずーっと悶々とした中学時代を過ごし、早く高校に行きたい、もっと広いところに行きたいと思い続けていました。

 実家から高校に通うには朝6時のバスに乗っても1時間目に間に合いません。帰りも4時半を過ぎると家に帰ることが出来ませんでした。だから僕は高校の近くの寮に入って学校に通いました。親元を離れての一人暮らしや1学年400人にも及ぶ人に圧倒されて萎縮している子もいましたが、僕は新しい世界が嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。
 隣の席に座った奴は、テストの点がいいだけでなくかなりの読書家で、学校の勉強以外にもなんでも良く知っていました。前に座った女の子はバイオリンを習っていてコンクールでも入賞するような子でした。同級生の英語の発音はまるでラジオから聞こえてくるような発音でしたし、先輩の話や友人との何気ない会話が刺激的で毎日が驚きの連続でした。すげーなー、すげー奴っていっぱいいるな。いろんなところに秀でた奴がいるんだな。俺も負けてらんないな、テストでいい点を取るとかじゃなく、なんか人間的に負けらんないなと思いました。そんな訳で、一生懸命背伸びをして過ごした16歳でした。その後、なんとなく自分のポジションを見つけて、したりしなかったりの気まぐれな背伸びでしたが、目一杯刺激的に高校生活を送りました。そういう凄い奴らからの刺激が僕の礎を作ってくれているように思います。

 僕は鼻持ちならない自意識に触れると、昔の自分を思い出して穴があったら入りたくなる程恥ずかしくなるけれど、凄い奴らのいる世界を求めて挑戦する人には心からエールを送りたいです。僕自身も、すごい人にたくさん出会い、もっと深みのある人に出会い、卑屈になることなく圧倒される感性を大切にしたいと思っています。そしてやっぱり自分は凡人だと自覚して、負けらんないなとちょっぴり背伸びしながら、「僕のものさし」を求めて、再び自分を試したいと思っています。勝ちたいとか、打ち負かしたいとか、ざまあみろっていうような競争じゃなくって、自分も負けらんないなという切磋琢磨に身を置いていきたいなと思います。

 けれど最近、多様性だとか言われてるけれど、「ものさし」が「効率とか要領」という本当に限定された「ものさし」しかなくなってしまい、みんながそれに一直線に並んでいるように思えてなりません。僕が圧倒された凄さとは、もちろん「世の中本当に要領のいい人はいるなー」というのもあったけれど、「なんだ、この正義感は」「なんちゅうユーモアだ」「凄い洞察力だなー」「たまげた粘り腰だな」と、必ずしも要領のよさではなかったし、何よりも、「なんだこの人の懐の深さは」というヒューマニズム溢れる人に圧倒されてきました。圧倒される価値が沢山あったから、負けらんないと自分の価値を見出そうと思えたし、その甲斐があると信じれたように思います。自分が年取ったせいなのか、効率というたった一つのものさししかない昨今、何に負けらんないのかを見失い、負けらんないと克己することに、とても虚しさを感じてしまいます。

 みんな頑張ってる。頑張らないと自らの価値が消えてしまう、そう思ってみんな頑張っている。一つの価値に支配された「蜘蛛の糸」をどうにかしないと、頑張っても頑張ってもみんな消えてしまう。頑張り甲斐のある社会とはアメリカンドリームなんかじゃなくて、色々なものさしで人を評価できる、そういうものさしをたくさん含んだ社会なんじゃないかと思います。
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by pantherH | 2006-04-12 23:55 | Under the Sun