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カテゴリ:Pではじまることば( 3 )

POLITICS (2) 納得について

 先のエントリーで、「政治」に代わることばとして「納得」ということばを使ってみてはどうだろうか。という旨の提案をした。あまりかっこの良くない「納得」ということばであるが、あえて「納得」ということばを推薦する、そのこころについて触れてみたいと思う。

 「納得」には、一人称の納得、二人称の納得、三人称の納得がある。
 一人称の納得とは、自分自身が自分自身に対し、あるいは森羅万象に対して納得することであり、納得のいかない様々な事柄や葛藤に対し、苦しんだり別の視点で眺めてみたりしながら、自ら折り合いをつけていくことである。そして自ら納得するために努力したり諦めたりするのである。ゆえに一人称の納得は人生そのものであるように思う。
 二人称の納得とは、相手に自らの存在や意見を受け入れてもらうことである。そこには言葉では表せない、信頼や安心、その人の生き様、情熱、眼差しといった要素が含まれてくる。ゆえに言葉のみならず自らの総体をもってのぞむ二人称の納得は、恋愛や友情、リアルな人間関係そのもであるように思う。
 三人称の納得とは、面識もない第三者を納得させることではなく、複数の主語が納得することである。すなわち納得しあうことだ。社会を形成していく上で無視することの出来ない他者を意識し、そこにコンセンサスを醸成していくことであり、人間は関係性の生き物であるとするところのその根幹をなすことばだと思う。こう考えると、「納得」ということばは、人間を最も瑞々しく表現したことばであり、最もヒューマニズムに溢れることばなのではないかと思われるのだ。ここに「政治」ということばにかわって「納得」ということばを創成しようとする理由の一つがある。

 しかし、「政治」と「納得」には大きな飛躍が存在する。それは、三人称の納得の抱えるパラドックスと言ってもいい。すなわち、「社会を形成していく上で本当に納得しあうことは可能か」という命題である。性善説の人は可能だと応えるかもしれないが、僕は不可能であると考えるところから出発する必要性を感じている。
 「納得しあうこと」は「コンセンサスを醸成すること」であると述べたが、我々人間にとってのコンセンサスとはなんだろうか。以前僕はUnder the Sunのコラム 「死は希望である」で、安心して死ねるのだもの生きることがどれだけ希望に満ち溢れるだろうか、と書いた。説明が足りず、死を礼賛することばとして捉えられてしまうのではないかと懸念もした。しかし、「死が希望である」にはもう一つの思いがあった。それは、「死」こそ人間の唯一のコンセンサスであり、誰もがその前では公平である、人間は「生きる」ということにおいて三人称の納得をすることは不可能な動物かもしれない、しかし、こと「死」に関しては、誰にとってもコンセンサスであるがゆえ、そこに「納得」が存在し得るという思いであった。このようなコンセンサスは、「死」と「生まれてきたものは一同に無垢である」という「生まれる」以外には存在しない。「生きる」はどうしたって個々によりそのベクトルは異なり、コンセンサスを醸成することは難しい。まして「生きる」ことは本来もっと自由でいいはずだ。

 「政治」とは「納得」である。ゆえに極論すると、政治は誰ものコンセンサスであるところの、「人は死ぬ」「生まれしものは皆無垢である」の2点に関し、安心ときめの細かさを充実する以外に、すべき課題はないとさえ言える。政治が生きる多様性を保障するなどというのは幻想であり、かつ驕り甚だしい。政治が「生きる」ことに固執している以上、利権も特権も不公平もなくならない。パラドックスとしての「納得」。これが、「政治」ということばに代わって、「納得」を創成したいと考える理由のもう一つである。
 
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by pantherH | 2007-06-24 01:18 | Pではじまることば

POLITICS (1) 

 「政治」ということばを辞書で引くと、①主権者が領土、人民を治めること。②対立する利害を調整して社会全体を統合するとともに、意思決定を行いそれを実行すること。とある。英語ではpoliticsに相当するのだろうか。語源辞書によると、politicsの語源はギリシャ語のpoli(都市)から由来し、同じ語根から派生した単語に、policy(政策、方針)、police(警察)、metropolis(主要都市)、politician(政治家)などがある。語源から想像すると、人が集まり都市が形成され、必然的にそこに集まる人々の間で様々な利害が生まれ、それを調整する必要が生じたことから、「政治」が生まれて来たということなのだろう。英語でpoliticsといった場合は、②の意味が強いのだろうか。まさにpoliticsということばには「下から上」へのベクトルに貫かれている響きがある(②はなんとなく三権分立のエッセンスを意識した包括的な文章で、政治の持つベクトルを感じさせない文章にも思われるが、その辺は触れないでおきたい)。一方、日本語で「政治」というと、どうも①のニュアンスの方が強いように思われる。そこには「上から下」へのベクトルが見て取れる。

 ①の意味に相当する言葉は、本来「政治」ではなく「統治」なのではないか。英語で言うところのgovern。governの語源も調べてみると、ギリシャ語のcyber-(かじをとる)に由来するらしい。このgovernという言葉には、「支配・被支配」という関係がしっかり明示されている印象を受ける。国を治めることはgovern a nation、国を治める政府はgovernmentで、「権力」の在り処がはっきりと示されている。一方日本では、governmentを「国」と言い、governを「政治」と言って、権力の在り処を曖昧にする。曖昧にすることにより、governmentやgovernor(統治者)の責任を曖昧にする。そればかりか、「政治」ということばが、薄汚れて腹黒くそして鬱陶しいイメージを内包し、下から積み上げていく政治のダイナミクスを阻害している。ゆえに「下からの政治」は唾棄されて、社会の根本を揺るがすに至っている。

 政治には①「上からの政治」と②「下からの政治」がある。日本語の「政治」はどうも①に親和性がある。そして①governと②politicsの区別が曖昧だと述べた。せめて「国」の責任を、「政府」の責任と正しい言葉を使い、現政府が統治としての政治の主体であることを明示すれば状況はかなり良くなると思う。しかし、今日本の置かれている「政治」の問題は、「統治」としての政治の問題だけではなく、社会運営における「下からの政治」の脆弱性という問題でもある。だから、政治の含有する「下からの政治」の意味を再評価しないといけないと思ったりする。ところが「政治」という漢字自体が①に強くコミットしているし、①と②は視座が完全に異なるから、おなじ政治という言葉であっても既に対立概念でさえある。この国の政治の不幸はpoliticsが「政治」ということばで囲われていることによると言っても過言ではないのではないか。そしてもはや言葉の厳密な使い分けや定義では、②の意味を止揚することは不可能なのではないか。それではいっそ、「下からの政治」に相当する言葉を創生してみてはどうだろうか?

 まさに「政治改革」だ。

 昔は「自治」なんて言葉があったが、この言葉も黴が生えてしまっている感がある。いまいちダイナミズムがないのが欠点だ。なぜなら政治はベクトルこそがその本質であるからだ。下からの政治を考えたとき、ベクトルのその始点はどこに据えるべきであろうか。僕はその始点は「対立する利害を調整すること」に据えたいと思う。利害の調整と言うとどす黒い響きが宿るが、簡単に言えば、「納得しあうこと」、かっこ良く言えば「コンセンサスを得ること」と言い換えることが出来そうだ。ここに新しい言葉を創生したい。
 そして僕は、「下からの政治」を表す言葉として、『納得』ということばを導入してみてはどうかと提案したい(かなりダサい。ダサいという言葉自体がダサいが・・・)。

 「最近の政府どうよ?」「納得できないよね。(=政治ではない。という意味)」
 「年金問題酷いよね。」「うーん、あれじゃ納得できないよ。(=あんなもん政治じゃない。という意味)」
 「最近、強行採決ばかりで物事が決まっていくね。」「やってる本人達もあれで納得できるのかねェ。(あれで政治してるのかね。という意味)」

 「今日、PTAで夜話し合いがあるんだけど、最近責任の擦り付け合いというか、お互いが言いたいこと言い合ってるばっかりで、なんだか気が重たいよ。あれじゃ何とかしていこうとか、協力してやりましょうっていう感じにはならないよ。」
 「PTAの話し合いをさー、『納得』とかいう名前にしたらどうなん?今日、PTAの「納得」があるの、みたいに。中国語みたいでちょっと???かな。でもそうしたら、「どうですか?納得?」「うーん、まだちょっと。」「納得するために、ほかの方どうですか?」「こんなんどうですか?」「そうですね、まあ納得。」っていう感じで、結構面白い会になるんじゃない?」(おー、「納得」ということばは、なんと建設的で民主的でかつ政治的な概念を内包した言葉なんだろう。)

 「明日までに○○してくるように、って突然言われてもねェ、納得できないっすよ。」「つべこべ言わずにやれ!!(=社会性の無視)」
 「明日までに○○してくるように、って突然言われてもねェ、納得できないっすよ。」「そう言わずにお願い。俺も納得できないこと引き受けざるを得ないんだから。」「じゃ、お互い納得しあえるようにしましょうよ。」(そう簡単ではないが、連帯感の芽生え)
 「明日までに○○してくるように、って突然言われてもねェ、納得できないっすよ。」「そう言わずに、これ¥で納得してくれない?」(これも一つの納得だよね)

 どうです? 「納得」っていいと思うのですが・・・。納得できない。
 と、言うことで、「納得」については改めて考察したいと思ってます。
 
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by pantherH | 2007-06-14 08:14 | Pではじまることば

PEACE

 反戦な家づくりの明月さんが、憲法9条改憲の賛否を問う質問を、来る参議院選挙立候補予定者にアンケートをされ、その回答を発表されました。本当にお疲れ様でした。なんとしてでも参議院選で自・公連立与党をギャフンと言わせたいです。自・公の暴走をなんとしてでも止めなくては、平和も生活も福祉も教育も、何もかもがとんでもないことになってしまいそうです。是非、選挙に行って暴走をくい止めましょう。 

 長いことお休みしていましたが、久しぶりにブログを書いてみました。何を書いたらいいか久しぶりすぎて良く分からないので、とりあえずPEACEについて書く事にしました。前から思っていたんですがPで始まる英単語には、その言葉の持つ意味について考えさせられる単語が沢山あるように思います。Peaceやpeople、publicなどなど。そんなPで始まる単語から連想することなどをつらつら綴っていこうかと思います。

PEACE
 
 精神科医の中井久夫は近著『樹をみつめて』において、戦争と平和について考察している。それによると、「平和」は「状態」を表し、「戦争」は「過程」を表すという。AだからB、故にCであると「過程」を語ることは言葉の得意とするところであり、その論理、その響きには逞しさが宿る。ゆえに「戦争」に駆立てる言葉は人々の心を捉えやすい。一方、「幸福」という状態を表現することが難しいように、「状態」を表すことは言葉の最も不得手とするところである。ことばをもって表現しがたい「状態」は、退屈で変化が意識されにくく、そして分かり難い。だから、「状態」は意識から葬りさられ、容易に「過程」にシンクロしてしまうと。
 
 人間の意識はことばにより担われている。そもそもことばの根幹をなす論理は、AはC故にBであると言う具合に、要素還元論的構成になっている。そこに曖昧さの生じる隙間は存在しない。だから言葉が「過程」にシンクロしやすいのは当然である。一方、「状態」をことばで表そうとすると、それと相反する対象を想起して、「○○でないこと」という表現をせざるを得ない場合も多い。また、「状態」はことばではなく、イメージあるいは生き方そのものとして表現される類のものでもある。だから人それぞれに異なり分かり難い。戦争の記憶が鮮明なうちは、人々は絶対的な平和のイメージを共有しえたが、イメージ故に徐々に色あせてしまう宿命にある。こう考えると、「平和」とは、よくよく意識しないと維持することが困難なfragileなものだということが分かる。

 中井はこうも言う。近代以降人類は50年ごとに戦争を繰り返している。まさに戦争体験世代が減り戦争の記憶の風化とともに次の戦争が訪れている。そして今日の日本を覆う空気はまるで戦前のそれに類似している。第2次大戦から60年、人類は平和を構築・維持する知恵を身に付けたのだろうか?単に科学が進歩し人類の寿命が10年延長し、戦後が10年伸びたに過ぎないのではないかと。
 そこで僕も考える。我々日本人は「平和」を構築・維持する知恵を社会に浸透し得なかったのではないかと。真剣に「平和」の尊さを語り継いできたのか、「状態」を生きることの意義を軽視してきてはいなかったか。9条の存在に胡座をかいて、意識し難い「状態」を意識に引張りだし、人と共有する為のことばの研磨を疎かにしてきたのではないか。あるいは平和という「状態」を生きる人間としての有り様を蔑ろにしてきたのではないかと。

 多くの人は嘆く。はじめにことばありき。「平和」に纏わることばが失われた。「平和」のことばを取り返さないとと。そこで僕は自問する。はじめに戦争ありき。「平和」ということばを表現しうるのは、「状態」と「過程」が逆転し、平和が「過程」となりうる戦時下に於いてのみではないのかと。僕達は、平和ということばの幻想を追い求めていたのではないか。戦争の記憶が霞みつつある今日、平和のことばを探しても見つからないのではないか。「ことば」を求めるのではなく、むしろ平和を生きる人としての「有り様」こそが求められているのではないか。

 そして憲法に思いを馳せる。日本国憲法の誕生は、世界中の誰もが「戦争はこりごりだ」と「平和」を強く望んだ結晶であった。平和が「過程」となり得た唯一のタイミングで、「平和」について唯一具体的な「ことば」にし得たものが、日本国憲法第9条ではなかったか。だから、9条を失うことは、戦争の歴史を失うことであり、唯一表現しえた「平和」のことばを失うことであり、そして「平和」という状態そのものを失ってしまうことなのだ。
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by pantherH | 2007-06-09 22:00 | Pではじまることば