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喜びと悲しみと

今日は嬉しいニュースと悲しいニュースがありました。

 嬉しいニュースは、私のお気に入りのイギリスの社会派映画監督 ケン・ローチがカンヌ映画祭でパルムドールに輝いたことです。これまでにもカンヌ映画祭批評家賞などを受賞していましたが、今回「The Wind That Shakes the Barley(原題)」で初めてパルムドールを受賞しました。
 私がケン・ローチ監督作品に初めて出会ったのは、大学生の頃、当時足しげく通っていた映画館でケン・ローチ特集が企画され、なんとなく観た『ケス』でした。

 貧しい家庭に育った少年は学校にも馴染めず、日々もやもやを抱えながら過ごします。彼の唯一の心のふれあいは隼の子どもを飼育し調教することでした。トリフォーの『大人は分かってくれない』を髣髴させるような、少年のガラスのように繊細な心を見事に描き、何と言う感受性の監督だろうかと驚嘆したのでした。その後『レディーバード・レディーバード』では、青少年保護法により救われた母親でしたが、同じ青少年保護法のもと育児資格なしと福祉課によって認定され、子どもが唯一の支えで、子どもたちも母親を愛し、必要としているにもかかわらず引き離されてしまうという「法の二面性」とそれに翻弄される不条理を描きました。
 スペイン内戦を描いた『大地と自由』では、ファシスト対レジスタンスという単なる2項対立で描くのではなく、まさに玄耕庵日乗の素楽さんが、W.リップマン『世論』から引用している、
自分たちの意見は、自分たちのステレオタイプを通して見た一部の経験に過ぎない、と認める習慣が身につかなければ、われわれは対立者に対して真に寛容にはなれない。その習慣がなければ、自分自身の描くヴィジョンが絶対的なものであると信じ、ついにはあらゆる反論は裏切りの性格を帯びていると思いこんでしまう。人びとはいわゆる「問題」については裏表があるということは進んで認めるが、自分たちが「事実」とみなしているものについては両面があることを信じていないからである。

という視点で戦争やイデオロギーを描いています。
 移民の仕事や結婚にまつわる問題を描いた『ブレッド&ローズ』や『やさしくキスして』など、彼の映画は一貫して、勧善懲悪、二項対立を排し、人そのものがその両面を宿しているという視点で、丁寧な映画作りをします。漸く時代が彼の主張に耳を傾けなくてはと思い始めたのかもしれません。DVDが欲しくて探しても、DVDになっていないものが多いようで、今回の受賞を機にこれまでの作品がDVDになるのを心から期待しています。本当に受賞されて嬉しいです。

 一方、大好きな作家、米原万里さんの訃報が届きました。56歳というあまりにも早い死をとても悲しく思います。昨年末に発刊された『必笑小咄のテクニック』を読んで彼女が卵巣癌を患っていることは知っていたのですが、ネットで訃報を知ったときには涙が出そうになりました。

 彼女の軽快で下ネタ満載のエッセイも面白いですが、やはり『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』と『オリガモリソヴナの反語法』は寝ることも忘れて読み続けてしまった本でした。随所に溢れるユーモア、歴史に翻弄される人々の悲しみとそんなことに全く屈しない逞しさに満ちた登場人物たち。人間が生きるということ、同じ世界でこんな人生を送っている人々がいるということに、深い感慨を抱かせる本でした。次の彼女の小説を心待ちにしていました。最近、私の大切な人がどんどん亡くなっていってしまうような気がしてなりません。本当に残念です。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
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by pantherH | 2006-05-30 00:00 | 映画

わらびとり遠足

 小学校の図書館には「わらび文庫」というコーナーがあり、本の扉には「わらび文庫」と判が押され、日本の民話集や名作集がそこに収められていました。
 私の育った田舎は寒さのさめに米を作ることが叶いませんでした。住民達は貴重なでんぷんを求めて、春はわらびを採りその根を叩いてわらび粉を作り、栄養源や現金収入の糧にしていたのでした。わらびの生える山裾には今でもわらびを叩いた平たく大きな石が残されています。

 学校の図書とて例外ではありませんでした。毎年この季節になると、児童生徒総出でわらび採り遠足に出かけます。町の料理屋が1キロ300円ほどで買いとってくれたそのお金で図書館の本を買ったのが「わらび文庫」でした。おやつとお弁当をリックサックに入れて山の斜面を登り、トロッコの軌道跡を歩き、まだ誰も採っていないしろを求めて奥に奥にわらび採りに入ります。小学校の低学年でも、一日山を歩きまわれば3キロほどのわらびが採れます。山菜採りの上手なお兄ちゃんは一人で8キロも平気で採り、ついでにうどやゼンマイも採ってきます。

 採り終えて午後3時、広場で計量が行われます。かなり急な斜面を上った簡単に近づけないところに太くて長いわらびが出ているのだそうです。そんな秘密のしろを見付けられない私はせいぜい5キロ。長さを揃えて1キロずつ束ねて業者に渡します。ずるをして硬いわらびを忍ばせているとなんだかそわそわして落ち着かず、結局もう一度束ね直すことにします。そんなわらびが西日に照らされて方々に転がっています。向こうでは先生と料理屋の人とのやり取りが見え、灰汁にまみれた右手で鼻を拭いながら、いくらになったのだろうとわらびの束を数えます。

 高学年になると、自分の買いたい本をあらかじめ本屋さんから選ぶことが出来るようになります。カッコつけたい年頃の男子はこぞって一冊2000円もするような図鑑を買おうとしました。僕も例外ではなく天文図鑑を選びました。悲しいかな、結局最後まで読むことはありませんでした。ずっこけ三人組シリーズを選んでみんなから次読ましてと言われていたクラスメートを羨ましく思いました。

 中学になってもわらび採り遠足はありました。しかしわらび文庫なるものはなく、年に一度、社会見学に行くための費用に当てるためのものでした。全校生徒でバスを貸切って木曽路や安曇野、塩田平や松代など名所見学に出かけるための費用です。薬草採集などに比べるとわらびはかなり歩のいい商売でした。なんせ薬草は乾燥させて目方で売らなければならず、せっかく乾かしている最中に雨に降られて黴が生えてしまうと商品価値がなくなってしまうからです。また薬草採集は蚊との戦いでもあったのです。私達は薬草は止めて、その代わりわらびで稼ごうと考えました。多少の危険を冒しても太くて長いわらびの出るところに行こうと、女子のことなど顧みず、急な山の中腹に全校でわらびを採りに出かけました。狙いは的中し、昨年の実績の2倍近い収入になりました。

 社会見学のための費用のもう一つの柱は、畑で育てた作物を給食や父母に売って得たお金です。私達は得意になって、給食や親達が喜んで買うものを作付けし、なおかつ草引きや水遣りが簡単で夏休み中も放っておいて大丈夫なものにしようと考えました。これまでトウモロコシだピーマンだサツマイモだと色々植えていたものから、大半をジャガイモと葱に切り替えて、焼き芋用のサツマイモを少々と、四隅にかぼちゃを植えて畦にかぼちゃを這わせました。

 葱の収穫はそろそろ寒くなり始めたお鍋の季節だったので、予想以上の高値で瞬く間売れ、給食の週半分はジャガイモ料理だったので、ジャガイモも喜んで買って貰えました。全部自分たちで賄って行った焼肉食べ放題の夕食付き社会見学は格別の思い出でした。

 まだ母校ではわらび採り遠足に行っているのかしらと、ふと思い出したのでした。
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by pantherH | 2006-05-26 01:27 | エッセイ

ことばになりたい

Under the Sunコラム執筆分を転載しています。お題は『もし○○だったら』。是非、Under the Sunにお立ち寄りください。


日々テレビから嬌声を伴って侵襲することば ことば ことば
浪費されるのではなく、生産することばになりたい

日々無表情にスピーカーから繰返されることば ことば ことば
刹那に流れるのではなく、永く留まることばになりたい

日々陰鬱な事件とともに語られることば ことば ことば
絶望を暗示するのではなく、希望を見据えたことばになりたい

日々おどろおどろしい音楽とともに迫ることば ことば ことば
嫌悪をかきたてるのではなく、愛情を育むことばになりたい

日々ネットに溢れる罵りのことば ことば ことば
感情の発露ではなく、感情に向き合うことばになりたい

日々些細な事象を誇大に増幅することば ことば ことば
差異を論うのではなく、共感を醸すことばになりたい

日々可哀そうにと吐きだされることば ことば ことば
気休めの同情ではなく、生きるかなしみを癒すことばになりたい

日々踏み込んでくる狼藉なことば ことば ことば
理不尽にあっては諦めず、無常にあっては諦観することばになりたい

理解しあうための論理
思索のための沈黙
喜びいっぱいの笑い

耳を澄ませば聞こえてくる
思慮深さと悠久が織りなすことばになりたい
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by pantherH | 2006-05-25 19:28 | Under the Sun

至福の時が何故か教育論に

 Under the Sunコラム執筆分を転載しています。お題は『至福のとき』。是非、Under the Sunにお立ち寄りください。

 僕は文章を書くのがとても遅く、一本の記事を書くのに大体3時間ほどかかってしまいます。そんな訳で、コラムを書くのも搾り出しているという感じです。今回は自分でお題を出しながら、全く書く方向性を考えていなかったのでまたまたしんどかったです。

 「至福の時」というのはきっと何かに熱中していて、それこそ食事の時間も寝ることも二の次になってしまうような時を言うのかもしれません。植村直己の生き様に憧れる自分なのですが、僕は昔から、とことん何かに夢中になることが出来ない性分だったというか、今でもそういう性分であるように思います。いつもなんか次のことを考えている、あるいは、はまってはイカンとどこかでブレーキをかけてしまう性質なのかもしれません。人はそんな僕を評して、「詰が甘い」とも「バランスがいい」とも言いますが、正確には「いちびり」で「根性なし」なのだと思っています。そんなわけで、自分が寝食忘れるほど熱中するときってどういう時なのかなと振り返ってみても、なかなか具体的な光景が思い浮かびません。

 最近スポーツ界で活躍する選手は、子供のときから親の熱心な指導をきっかけに本人がそれにのめり込み、寝食忘れて熱中したおかげで大成したというストーリーが持て囃され、芸術や学問の世界でも、幼少の砌よりその道に熱中し云々と、子供たちには早期から熱中できる何かを、熱中できる環境を、しまいには「熱中が身をたすく」となんだかネチュネチュと少々騒々しく思います。「熱中」までも与えないでくれよと思いますし、カンキョカンキョ言うけれども、そもそも熱中するための環境とはなんなんだろうかと首を傾げてしまいます。極論するならば、「ほっとく」ということなんじゃないかと思ったりもします。

 確かにいつの時代も、スポーツにしろ芸術にしろ、あるいは学問にしても、「熱中」する心に突き動かされ、一つのことを深く追求し、常にその中に自分を置き続けることで、より磨かれ、より研ぎ澄まされ、あるいはセレンディビティーがそこに舞い降りて、「作品」となったのだと思います。そして人はその美しさに感動や共感を覚えたのだと思います。しかし誤解を恐れずに言うならば、熱中は本人の魂の問題であり、作品を醸す土壌はあっても、設えられた環境なんか生活の保障以外にこれっぽっちも本人の精神活動に恩恵をもたらしたとは思えません。所詮、教育や環境でこのような高い精神性を育むことなんか出来やしないのだと思います。

 誰もが一流のアスリートや芸術家、学者を目指す必要などないし、すべての子供にそのような非凡な能力が宿っている訳ではありません。教育や環境が出来ることは一流を育てる事ではなく、非凡なパフォーマンスの価値を評価できるように、美しいものを愛でる柔らかさと、作品の背景を理解する教養を身に付けられるようにすることなのではないでしょうか。
 とかく様々な問題の答えを教育や環境に求めがちですが、そこに答えを求めて思考停止に陥っている感があります。そもそも教育に過度の期待を寄せることは間違いであり、AをAであると分かる最低限の教養を身に付けるだけの役割でいいのではないかと少々危険なことを思うのでした。

 随分と「至福の時」のテーマから逸脱してしまいました。薮蛇にも、難しいテーマに入り込んでしまい、教養にしても精神にしても他の言葉にしても、言葉の使い方が難しくとても曖昧で一人よがりな文章になってしまいました。うーん。難しい。
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by pantherH | 2006-05-19 01:13 | Under the Sun

25歳

Under the Sunコラム執筆分を転載しています。お題は『25歳のとき』です。是非、Under the Sunにお立ち寄りください。

 25歳は「青春」というには少し年を取っていて、むしろ青臭い青春に別れを告げ思慮分別を持たなきゃなーなどと思い始める年頃でしょうか。実に難しい年代設定と、気恥ずかしさと臆病さで相変わらず衒った文章になってしまう金曜コラムニストのT.N.君の日記です。

 「青春」と聞いて真っ先に僕の脳裏に浮かび上がるのは、植村直己の「青春を山に賭けて」という本です。彼がマッキンリーで遭難しテレビで彼の名前を知った僕は、中学生の読書感想文用の学校図書で「植村直己の物語」を読みました。そこで「植村直己は心の底から湧き上がる夢を持っていた。彼の夢はとてつもなく大きくて、そしてとても素敵な夢だと思った。けれども彼の夢はなぜあんなにも切迫感で一杯なんだろう。切迫感ゆえに彼は遭難してしまったのではないか。夢に生き夢に散った彼の物語は僕に勇気を与えてくれるけれども悲しい。」と感想を書いた記憶があります。その後、「極北を駆ける」や「北極点グリーンランド単独行」などを読み漁り植村直己の魂の濃さに圧倒され、また、エスキモーの人々との交流や犬や生き物に寄せる愛情、厳しい天候を嘆く等身大の植村直己に、中学生のときに誰かの書いた本で感じた切迫感に追われる植村直己という印象はなくなっていました。とはいえ最近読んだ妻への手紙は恥ずかしくて半分までしか読めませんでしたが。

 大学生の時分、たまたま北極圏を単独徒歩で横断した大場満郎さんの講演を聞きました。百姓だった彼は突然30を前にして、植村直己への憧憬から自分も植村さんみたいに生きたい、何かしたいという衝動にかられ、そうだ北極圏単独徒歩横断をしようと決意します。衝動を抑えられずに植村さんに会いに行き興奮気味の大場さん。植村さんはそうかそうかと話を聞いて、「それならこのダウンを持っていきなさい」とグリーンランド犬橇横断したときのダウンを下さった。これが大場さんの冒険のお守りだったと話していました。
 凄いなー。僕も植村直己の生き様に強い憧憬と勇気を与えられるけれど、その心境に近づきたいと思わせる植村直己はやっぱ凄いなーと、下宿でゴロゴロしながら彼の本を読み直していました。

 僕の青春は本当にたいしたことないのですが、大学の授業よりも競技スキーにはまっていました。小学生の頃スキー場が近かったこともあり競技スキーをしていましたが、東北の大学に進学したこともあり、もう一度やってみたくなったのでした。運動には走る、泳ぐ、跳ぶ、投げる、蹴るなど色々あるけれど、滑るという運動はスキーぐらいしかなく、競技スキーともなると足裏や全身を通じて感じ取る感覚をもっと研ぎ澄まして運動に連動しなくてはいけないのでとても奥が深いスポーツです。しかしいい成績を出すにはそれなりに道具にお金をかけなくてはいけないのが玉に瑕。だから学生時代は色々なアルバイトをして活動費を捻出していました。もっとお金があったらもっといい物もいい練習環境も手に入れたかったけれど、自分でアルバイトしたお金で精一杯やりくりし、地元の人の好意に支えられ、部員同士で協力し合ってやるそういう環境で競技スキーをやることに凄く充実感を感じていました。

 でも、だんだん勉学が忙しくなると部活動も引退しなくてはならず、そろそろ将来をまじめに考えなきゃと進路のことに悩むようになりました。そこで参考にと先輩達を見て、ふとなんでみんな卒業すると恋人と別れちゃうんだろうという疑問が湧きあがりました。当時、「子供を持つと夫婦に何が起こるか」(草思社)なんていう本に感化されていたこともあり、まず進路を考えるときにそのこと、つまり結婚を抜きには考えることが出来なくなりました。結婚という枠の中でお互いがやりたいことを実現できるように相談し、方向を模索していく方が現実的なのではないかと思うようになり、学生の分際で結婚してしまったのです。結婚式は僕の実家で双方の両親と兄弟だけで盛大に行い、翌日はみんなでピクニックに出かけました。長期休暇にはどちらかのお家に帰省してお互いの両親と色々な話をしました。

 25歳の頃は、妻を一人東北に残し単身大阪に出てきた頃です。それまでは結婚しているとは言え両親の仕送りを当てにしていたので、それからは僕が妻に仕送りをしなくてはいけません。我儘を許してくれた両方の両親に心の中で頑張りますと宣言した25歳でした。
 そして妻は、T.N.君の日記とUnder the Sunを心から応援してくれています。
 あー恥ずかしいー。 退却ー。
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by pantherH | 2006-05-12 00:51 | Under the Sun

共謀罪とカルト前夜

 辺見庸の著作『不安の世紀から』にロバート・ジェイ・リフトン氏との対談が収められています。そこで二人はオウム真理教そしてカルトについて対談しています。リフトン氏はカルト的な集団の形成されうる強力な歴史的傾向について、社会の価値観を自分の内面に取り込むことに疑問や葛藤を感じ、もはや自分達の社会を自己の中で現実のものとして捉えることが出来ない「シンボル体系の崩壊」、核兵器や環境破壊、資源の枯渇といった自分自身や人類の永続性に対する脅威、即ち「世界滅亡の脅威」、そしてどんな些細な情報でも世界中に伝達可能な「マスメディアの革命」の3点を挙げています。冷戦構造の中で価値体系が崩壊し、テクノロジーや物質的豊かさは人類の永続性を約束しないばかりかむしろ脅威として君臨し、不安を助長するメディアにも煽られて多くの若者が精神的な救済を求めてオウム真理教に入信した。指導者は信者により神格化され、それが徐々に双方の精神的重圧となり破綻を招く結果となったのではないかと考察しています。

 共謀罪は、冷戦構造の中で保障されていた二者択一的な価値観の崩壊以上の、「内心の自由」という人類の叡智としての価値体系の崩壊をもたらします。更に、共謀罪は「暴力の独占」と「情報の独占」を本質とする国家に、二つの独占を自由自在に往来することを保証する法律です。それを行使する国家は、持続可能な社会を完全に否定する思想を内在した新自由主義を標榜し、課題山積で既に懐疑的ですらある人類の永続性について、民主的な手段を封じられ、暴力的な手段が常態化すればその芽は摘まれてしまうことになるでしょう。そして、社会を形成する大前提である「そのような惨事の起こる可能性は非常に少ない」とする安心のコンセンサスが、共謀罪による相互監視とメディアによるセンセーショナリズムによりズタズタに切り裂かれてしまいます。

 共謀罪が施行されたとしたら私はどうするのでしょうか。長いものに巻かれ言動を慎み従順に生きる道を選択するのでしょうか。抵抗と弾圧に身を置くことになるのでしょうか。社会に絶望し人間に絶望し人間を止める決断を考えるのでしょうか。それとも何らかの希望を求めてコミューン(共同体)を形成しようとするのでしょうか。しかしいかなる民主的で崇高な理想を掲げたコミューンでも、その外部から見たらカルトと映りますし、ひとたびカリスマを求めたら容易にカルト集団へと転落する可能性を秘めています。皮肉にも刑務所の中に理想的なコミューンを形成できるのかもしれませんが、一縷の希望も見えてきません。

 地下鉄サリン事件から10年以上が過ぎ、日本人はカルトについてほとんど深く考察せぬまま、麻原とオウム信者の狂気によってもたらされた事件として葬り去ろうとしています。しかし今日その歴史的傾向は更に強まっているのではないでしょうか。そして、テロやカルトを取り締まるためとする共謀罪こそが、カルトを大量に生む結果となるのではないでしょうか。そして、人間の弱さゆえ精神的なカリスマを求めたとき、破綻への道を突き進む正真正銘のカルトが誕生するのだと思えてなりません。
 
 共謀罪は何としてでも、廃案にしなくてはなりません。そしてカリスマも求めることは出来ないのです。
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by pantherH | 2006-05-09 01:09 | 社会