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ファシズムの土壌

今日からブログを始めました.
きっかけはやはり今回の「小泉による小泉のための選挙」でした.
郵政民営化のみを争点に掲げた小泉の戦略に危機感を感じ,また大政翼賛的に小泉改革礼賛一辺倒のマスメディアに辟易し、ブログを拝見するようになりました.「世に倦む日々」や「toxandriaの日記」が本当に勉強になりました。また、ネットウヨ達に独占されない,言論を今こそブログの世界に広げて行かなくてはいけないという主張に多いに共感するとともに、ブログにおおいなる可能性を感じたという訳です.
 つたないブログですが、今後とも宜しくお願い致します.

 今回の選挙結果は、まさに「ファシズムの始まり」だと思います.
しかし、このファシズムは昨日今日に突然現れた訳ではないと思います.
国政では殆ど仕事もできなかった石原慎太郎が東京都知事になった日,東京都民はかなりファッショな市民だなと思ったものですし,直前までじり貧の森政権を派閥の長として支えていた小泉が、4年前熱狂を持って総理大臣になった時も,日本人は実にファッショな国民だと恐ろしくなったものです.その後,イラク人質事件や冬ソナブームなど、国民のファッショ性は至る所で見られました.
 それゆえ今回の選挙は,終わってみたらファシズムになったのではなく、「最初からファシズム」だったのです。おそらく小泉や飯島秘書官は、「これってファシズムだな、しかし,止めらんないな」と、毎晩、にたついていたことでしょう.

 私はここでファシズムを支持した日本国民のメンタリティーを考察したいと思います.

 田舎出身の私は、まだ子供でしたが、自民党型の利権政治がどのように人心を荒廃させてきたか間近で見てきました.
 公共事業による雇用創出と言っては山河を削り、自分の山がいくらで売れたと自慢して遊興にふける大人たち.俺にもおごれとおこぼれに預かろうとする大人たち.
 昔は村の財政を圧迫させては申し訳ないと、村議会議員を皆2期で辞めるのが暗黙の了解となっていたにものでしたが,3期以上勤めると議員年金がもらえるからと画策し、無投票で3期務められるようにしてしまった長老たち.
 GATTのウルグアイラウンドで農産物の輸入推進を迫られた結果,輸入農作物の加工業に補助金を出すこととなり,融資ではなく、多額の補助金をもらってパン屋を始める商売人たち.

 リゾート法とバブル経済なるもので更に拍車がかかり、悲しいかな、みんな拝金主義にどっぷり浸かってしまいました.精神は堕落し,公共の財産を喰うことが当然視され,いかに上手く喰えるかが頭の善し悪しの基準になりました.「美味しい」という言葉はそのメンタリティーを象徴していると思われます.自ら拝金主義に毒されていることは棚に上げ,利権政治に辟易し始めた都市住民は「クリーンな政治」を求めるようになりました.しかし残念ながら求めたのは「クリーンな政治」ではなく「クリーンな政治家」だったのです.そして「クリーンな政治家」の希求は政治家の行政化とポピュリズムをもたらしたのでした.

 バブル崩壊後,さんざん喰いまくった頭のいい人々は,その乱脈ぶりの責任を追及されることなく公的資金という名の税金で尻拭いしてもらいました.一方庶民は,どのみち解雇される運命にあったのに,銀行や大企業が倒産したら雇用の保障はなくなるという説明に追随し,政治家や官僚,金融機関上層部の責任追及には目を塞ぎました.そして自分は負け組にはなるまいと猛進し,甘い生活を送る人々への嫉妬と,脱落して行く人々への嫌悪感の炎を滾らせて行ったのです.このようなルサンチマンは負け組特有のものではありませんでした.立身出世が第一義の目的となりがちなアカデミックやホワイトカラーはルサンチマンの感情を、勝ち馬に乗るという心理と相乗し大政翼賛化していったのです.

 振り返ってみると、江戸幕府は農民から年貢を吸い上げるだけ吸い上げておりましたが,武士に向けられる不満の矛先をそらすために身分制度を作りました.幕府は農民たちに高い身分を与え,穢多・非人なる人々を徹底的に差別させることで、怒りが支配階級に及ばないようにしました.今日の社会的・経済的弱者を敵対視する風潮は,まさに江戸時代を見ているようです.当時はまだ識字率も低く,人権という概念さえ輸入されていなかった時代ゆえ、理性的であることを求めるのは酷かもしれません.しかし意欲さえすれば様々な情報の入手が可能で、勉強する機会を保証されている現代の私たちが,江戸時代と同じメンタリティーに陥っているのは,人類の理性を希求する歴史に対する冒涜だと言っても過言ではないでしょう.

 今日、部下や顧客などの管理に頭を悩ましているサラリーマンたちには「○○管理術」なる本を熱心に購読し,全てのヒエラルキーの人々が「プチ管理者」となるように強いられております.このようなプチ管理者の「成功の秘訣」はずばり「自己愛・自己肯定」と言えましょう.また,常に管理することに関心があるため,管理する側の論理に与し易い傾向にあります.しかし実際の現場では地道に取り組まざるを得ず,フラストレーションを抱え込んだ人々は,自己否定と自己肯定の葛藤に晒されています.彼らにとって「自己愛に基づく小泉的態度」は,当初、日々の地味な努力を蹂躙する強い嫌悪感と,見事な人心掌握術に対する強い憧憬をもって迎えられたことでしょう.しかしこれも4年も続くと次第に前者の気持ちを維持するのも阿呆らしくなり,憧憬ばかりが占拠するようになったのだと思われます.まさに,まじめに対峙することが阿呆らしくなったときにファシズムが現実化することの象徴と言えるでしょう.

 こうして、インテリもサラリーマンもB層と言われる人々もこぞって「小泉的ファシズム」を支持したのだと思われます.

 もちろんメディアの担った役割,小泉の手法の見事さ,民主党の不甲斐なさなど、原因は多々あろうかと思いますが,ファシズムを生み出す精神構造が日本人の中に溢れているのだと思われてなりません.そしてこれは自分自身に対する戒めでもあります.
 大変長くなり申し訳ありません.お読みいただきありがとうございました.以下に,茨木のり子さんの詩を紹介して終わろうと思います.

ぱさぱさと乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

茨木のり子 「自分の感受性くらい」
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# by pantherH | 2005-09-15 01:51 | 社会