共謀罪とカルト前夜

 辺見庸の著作『不安の世紀から』にロバート・ジェイ・リフトン氏との対談が収められています。そこで二人はオウム真理教そしてカルトについて対談しています。リフトン氏はカルト的な集団の形成されうる強力な歴史的傾向について、社会の価値観を自分の内面に取り込むことに疑問や葛藤を感じ、もはや自分達の社会を自己の中で現実のものとして捉えることが出来ない「シンボル体系の崩壊」、核兵器や環境破壊、資源の枯渇といった自分自身や人類の永続性に対する脅威、即ち「世界滅亡の脅威」、そしてどんな些細な情報でも世界中に伝達可能な「マスメディアの革命」の3点を挙げています。冷戦構造の中で価値体系が崩壊し、テクノロジーや物質的豊かさは人類の永続性を約束しないばかりかむしろ脅威として君臨し、不安を助長するメディアにも煽られて多くの若者が精神的な救済を求めてオウム真理教に入信した。指導者は信者により神格化され、それが徐々に双方の精神的重圧となり破綻を招く結果となったのではないかと考察しています。

 共謀罪は、冷戦構造の中で保障されていた二者択一的な価値観の崩壊以上の、「内心の自由」という人類の叡智としての価値体系の崩壊をもたらします。更に、共謀罪は「暴力の独占」と「情報の独占」を本質とする国家に、二つの独占を自由自在に往来することを保証する法律です。それを行使する国家は、持続可能な社会を完全に否定する思想を内在した新自由主義を標榜し、課題山積で既に懐疑的ですらある人類の永続性について、民主的な手段を封じられ、暴力的な手段が常態化すればその芽は摘まれてしまうことになるでしょう。そして、社会を形成する大前提である「そのような惨事の起こる可能性は非常に少ない」とする安心のコンセンサスが、共謀罪による相互監視とメディアによるセンセーショナリズムによりズタズタに切り裂かれてしまいます。

 共謀罪が施行されたとしたら私はどうするのでしょうか。長いものに巻かれ言動を慎み従順に生きる道を選択するのでしょうか。抵抗と弾圧に身を置くことになるのでしょうか。社会に絶望し人間に絶望し人間を止める決断を考えるのでしょうか。それとも何らかの希望を求めてコミューン(共同体)を形成しようとするのでしょうか。しかしいかなる民主的で崇高な理想を掲げたコミューンでも、その外部から見たらカルトと映りますし、ひとたびカリスマを求めたら容易にカルト集団へと転落する可能性を秘めています。皮肉にも刑務所の中に理想的なコミューンを形成できるのかもしれませんが、一縷の希望も見えてきません。

 地下鉄サリン事件から10年以上が過ぎ、日本人はカルトについてほとんど深く考察せぬまま、麻原とオウム信者の狂気によってもたらされた事件として葬り去ろうとしています。しかし今日その歴史的傾向は更に強まっているのではないでしょうか。そして、テロやカルトを取り締まるためとする共謀罪こそが、カルトを大量に生む結果となるのではないでしょうか。そして、人間の弱さゆえ精神的なカリスマを求めたとき、破綻への道を突き進む正真正銘のカルトが誕生するのだと思えてなりません。
 
 共謀罪は何としてでも、廃案にしなくてはなりません。そしてカリスマも求めることは出来ないのです。
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# by pantherH | 2006-05-09 01:09 | 社会

湖北を旅して

Under the Sunコラム執筆分を転載しています。お題は『忘れていたもの』です。是非、Under the Sunにお立ち寄りください。

 今週のテーマにも非常に苦戦しております。それは私がまだ若いからでしょう。なんて負け惜しみを呟きつつ。

 先日、白洲正子の「かくれ里」を訪ねて、琵琶湖の湖北つづらお半島にある菅浦へ花見に行きました。今年の関西は青空がほとんどのぞかず、いつまでも寒い日が続いていたので、湖北の桜はまだ7分咲きといったところでした。おかげで人影もまばらで、湖面に枝を張る桜越しにのぞむ琵琶湖は鏡のように穏やかで、そこに竹生島がたたずみ、まさに静寂が時空を支配していました。

 菅浦の集落の西に位置する四足門をくぐると、須賀神社という社があります。天平宝字2年に即位された天武天皇の孫淳仁天皇は、実権を依然孝謙上皇に支配されていました。はじめ上皇に寵愛されていた恵美押勝は、次第に上皇の寵が僧道鏡に奪われると、反乱を起こして敗れ、湖面を渡って越前に逃れようと試みます。しかし途中嵐に会って菅浦の西の大浦に流れ着き、いったん高島に引返しますがそこで一族全滅してしまいます。押勝と親交のあった淳仁天皇は帝位を廃され、淡路の高島に幽居され「淡路の廃帝」と称されました。しかし、ここつづらおでは、淡路は淡海の誤ったものだと伝えられ、高島も湖北の高島だと伝えられています。そのため、帝が行在中、「何所ニ罷リ寿ヲ果ツルトモ、神霊ハ必ズコレニ止メ置クベシ」と述べられたことから、本殿周囲を舟形に石で積み、社を作って廃帝を祀ったと伝えられています。本殿にお参りするときには靴を脱ぎ、スリッパに履き替えてなくてはいけません。白洲正子さんが訪ねられたときは裸足で参拝され、その石の冷たさに社を護ってきた住民達のその信仰の深さを実感したと述べられています。菅浦はわずか70あまりの集落で他の集落とは隔絶しており、昔から廃帝の怨霊を祀りその信仰に生きた集落の佇まいに、えも言われぬ気迫と静寂が感じられます。

 このようなところにまで伝承される天皇家の歴史はさすがだなどというつもりは毛頭なく、そのような信仰を千年以上にわたって継承してきた住民達の気概が菅浦を菅浦たらしめ、静寂を醸しているのだと思いました。

 その後湖北の十一面観音菩薩を訪ねて、木之本から車で10分ほど東に入った石道寺(しゃくどうじ)へと向かいました。高時川を越えてさらに山へと進むと、里山ののどかな風景の中にひっそりと石道寺が建っています。満開の桜が風にゆられ、名もなき草花が咲き、里山にそよぐ風に草と土のたおやかな香りが運ばれてきます。お寺の中には唇に紅をひき、衣にも朱が残るなんとも言えない色気を漂わす11面観音が安置されていました。右膝を少し曲げ足の親指を上に向け、今にも一歩前に進みだしそうです。慈悲深い優しさに溢れた菩薩様でした。この11面観音や石道寺もまた、幾多の歴史に翻弄されながらも、ずっと土地の者たちが大切に護りとおしてきたのでした。そして今でも石道寺と十一面観音菩薩を地域の人々が大切に護り続けているのです。

 中央の権力の歴史とは一線を画し、土地土地にまつわる歴史はいたるところに存在します。庶民の築き上げた歴史は、昨今の市町村合併などにより名前ごと根こそぎ破壊され、それを伝える原風景は開発と治水の名のもとに破壊尽くされてしまいました。そして、少なくなった原風景に希少価値を求めて人々がどーっとやってきては、そこに醸されていた悠久の静寂を破壊していきます。

 情緒とは幾多の無名の民が守り築いてきた歴史や風景に敬意を表すことであり、その上に胡坐をかいてきた為政者の歴史に敬意を示すことではありません。情緒とは民の物語に耳を澄ますことであり、声高に叫ぶことではありません。そしてそこに醸される静寂を愛で、思索する心なのではないかと思います。
 
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# by pantherH | 2006-04-27 18:55 | Under the Sun

共謀罪は反対じゃー!!

共謀罪は廃案だ!!
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共謀罪アンケート
共謀罪に関するTBC
にお立ち寄りください。

関連エントリー
共謀罪
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# by pantherH | 2006-04-24 21:55

Under the Sunへのイメージ

 色々みんなに意見やアイディアを寄せてもらって、僕と素楽さんが今どんなイメージを持っているかを、なんとなくでもいいからその輪郭を伝えなきゃいけないかなと思いました。ただ、言葉にするのがなかなか難しい・・・。

 例のチェック・リストは言ってみると自己評価みたいな感じで使っていたんだけど、UTSのプライオリティを何処に置くか、というのに腐心していました。

 簡単にTBCといっても、TBCには全く違う二つの役割があることが分かりました。
 一つは、あることに関して知りたいと思ったときに、そこにアクセスすると一連の流れや意見を知れるという、カテゴリー別のTBC。当初はこのタイプのTBCが頭の中心を占めていました。もう一つは、今日こんなエントリーをしたから見に来てね、と、記事内容の関連性なんて全くお構いなしにTBされる。そしてTBすると自ブログのアクセスアップにつながるし、出会いの場になる。イメージとしてはとくらブログ(失礼)。で、これは日めくりカレンダーとしてのTBCの基本形でアンテナと同じような役割にもなる。

 この二つの要素を一緒に満たすことは基本的に難しい。前者はなんとなくHPみたいなイメージで、それだから前者だけだとサイトに閑古鳥が鳴いちゃうし、ブロガーのTBのしやすさとTBされた記事へのアクセスの利便性が極力高くないとやってらんない程ストレスフル。
 後者はまさにブログの一番得意としているところだけど、カテゴリーごとに記事を閲覧するのが難しかったり、何しろ毎日エントリーすることが至難の業だしマンネリを克服できない。

 そういう風に思いながら悩んでいました。負担が重くなるような気がして躊躇していたのですが、日替わりエントリーを快く引き受けてくださって、後者としてのTBCの役割が動き始めたような気がして、とてもわくわくしています。こうなってくると、プロジェクト25の必要性はなくなって、日替わりエントリーのお題に自然に吸収されてOKだし、お題の設定次第で、以前luxemburgさんが提案していたような、未来志向のパネルディスカッションみたいなのも実現できるんじゃないか、そんな可能性をすごく秘めたサイトになっていけるような気がします。

 カテゴリー別のTBCのほうは、イメージがあまり湧かないんだけど、アクセス数にアクセクする必要はなくて、TBされた記事へのアクセスの利便性をとにかく保ちさえすればいいんじゃないか。それから、TBが少ないのも困るけれど多すぎるのもどれを読んでいいか分からなくなってしまうので、管理とはまた別の次元で本当の使いやすさを追求することの難しさを内在しています。あと記事を掘り起こしていく作業をすることが、TBCの効果を考えると必要な作業なんじゃないか。しかし、これは矛盾するようだけどTBされた記事を読むというかなりの労力を要します。

 そんなときに、独裁制をぶっ壊そうさんが、「月間UTS」メルマガ化のアイディアを提案してくれました。例えば、月間UTS編集員を10人から15人くらい募り、大まかなカテゴリーごとに月に一回第○週を担当して一週間分のTB記事をザーッと見て、1,2本、自薦もOKで、月間UTS編集部に推薦する。「こちら編集部BBS」を一つ作れば、別に委員を仰々しく決める必要もなく、これ良かったよと記事のURLをコピペするだけでOKかもしれない・・・。編集部はただそれをまとめるてメルマガにするだけで記事の掘り起こしが出来てしまう。日々のコラムを載せるのもなかなかおもしろいかもしれません。

 少人数でやろうと思うと、死ぬほど大変だけど、みんなの推薦とかをうまく纏められたら記事の水先案内も結構可能なんじゃないかとなとイメージします。
 こう考えると、ちょっとずつの負担でかなり発展するんじゃないか、素人らしさ満載のメディアになるんじゃないかと思ったりしています。

 これまで書いてきたことは、夢ですが今はこんなイメージを持っています。

 BBSにも立てたので、意見など、お願いします。
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# by pantherH | 2006-04-23 01:30 | Under the Sun

いてくれるだけでありがとう(2)

 Under the Sunの金曜コラム「愛」ではかっこつけすぎて恥ずかしいエントリーになってしまいました。実はコラムに向けて「愛」について思い巡らしている時、「愛」の対極にあるもの、「愛」の対極にある行為とはなんだろうかと考えていました。思い浮かんだ言葉は「人を殺す」ことではないか、ということです。では何故「人を殺す」ことが「愛」の対極に位置するのか。それは「愛」が「人間の存在を全肯定する行為」だからではないかと考えたのです。
 以下の私の文章はUTSのコラムに相応しいのだろうか、自分のブログで発言すべき文章ではないかと思われたので、後半部をここに掲載したいと思います。

 昨今、死刑肯定論が世論の多くを占め、死刑廃止論者は隅に追いやられています。今週の光市母子殺人事件に関する報道を見ても、被告の弁護士一人をその他大勢で取り囲み、被告を弁護することすらおかしいとの勢いで死刑を要求しています。たとえ重罪を犯した人間であったとしても、人に対しお前は死ねと集団で言う光景に、猛烈な野蛮さを感じてしまいます。
 
 私は法については全くの素人ですが、法治主義とは「復讐」を禁ずることで、社会秩序を維持しようとする考えなのではないか、そしてとりあえず「国家」が一定の倫理と秩序(法)に基づいて、罪を認定し、その行使(刑)を代行するというものが法治主義なのではないかと思っています。ゆえに、罪の認定にあたっては、最大限客観的事実に基づかなければならず、事実認定を見誤りうる自白の強要は回避されるべきであり、事実は見方によって必ずしも真実たりえないので、一元的視点での事実認定を回避するために検察と弁護士双方の存在があるのだと思っています。被告の人権が過度に守られているとする意見をよく耳にしますが、罪の認定にあたっては最大限客観的事実に基づかなければならないことをふまえれば、至極当然だと私には思えます。メディアなどで、こんな被告は問答無用で死刑だという人は、罪の認定の基礎となる事実をどれだけ2元的に検討しているのでしょうか。

 一方、加害者の人権が護られているのに対し、被害者の人権は全く蔑ろにされているという意見があります。被害者自身がそう主張されているのですからその通りなのだと思います。では、被害者の獲得したい権利とはどのようなものなのでしょうか。光市母子殺人事件の被害者の遺族である本村氏は「加害者に死刑を求めること」であると主張していますが、彼は当初から獲得したい権利は「死刑を要求する権利」であると主張していたのでしょうか。私の記憶では、当時、「加害者に直接会って、私の苦しみや怒りをぶちまけたい。お前の行為によってこんなにも苦しんでいる人間がいるんだということを知らしめたい。そして同じ苦しみを彼にも味わってもらいたい」と主張していたと思います。しかし徐々に後半部の「同じ苦しみを味あわせたい」という主張が純化し、最終的に「死刑を求めたい」という主張に変化しているように思われます。ここでもう一度検証しなければいけないのは、被害者の最初に抱いた純粋な感情は、「被害者の悲しみや苦しみを受け止めよ、そして謝れ、そしてお前は何故そのような行為に及んだのかはっきり説明しろ」ということで、被害者との面会や裁判や捜査の進展を知りえない状況に置かれていることに憤り、その感情を満たす権利を要求していたのだということです。政府や司法はこれに対し、柔軟な検討や対応をしたのでしょうか。遺族がグリーフ出来る環境整備を法を含めて検討したのでしょうか。より本質的な要求を黙殺し、極刑を望むという感情の昇華に手を貸し、彼を利用したのではないでしょうか。

 被害感情は加害感情に比べ心の奥に長く沈殿するものですが、とはいえ人間の感情は本質的に時間とともに消化されるものであるため、本村氏も妻や娘の記憶が徐々に風化することに罪悪感を抱いていたように思われます。愛おしい妻子の記憶を護るために、彼は怒りの持続を自分に求めてきたのだと思います。怒りの持続をどこかで解放してあげることが、彼にとってもっとも重要なケアだったのではないでしょうか。しかし、メディアや世論は彼に怒りの持続を求め続けました。仮に望みどおりに被告に死刑が執行されたとして、その後の彼に去来する感情はいったいどのような感情なのでしょうか。一時的な達成感は得られても虚無感に苛まれることはないのでしょうか。後に自分が死刑を求めたことの意味を振り返ったとき、利用されていたのではないかという疑問を抱いたとき、彼の心に湧き上がる感情を思うと、まだ若いだけにとてもいたたまれなくなります。私はそういう意味において、本村氏が不憫でなりません。

 人が人を殺めることは本当に罪深いことです。そこに存在する「愛」を暴力的に切り裂くことだからです。唯一無二の存在を奪った罪を償うこととは、唯一無二の存在を尊しとする「愛」を自覚することなのではないでしょうか。「愛」は己の存在の尊さを保証するものではありません。「愛」は他者の存在を全肯定する行為なのです。ゆえに、自らの死をもって「唯一無二の存在の尊さ」を自覚させることは出来ないのです。だから、たとえどんなに凶悪犯であったとしても、「死刑」という名の下、国家的に無機質に人を殺すことは許されないのだと私は思います。そして「愛=いてくれるだけでありがとう」を自覚させる「刑」のあり方が、法治主義において問われているのではないかと思います。
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# by pantherH | 2006-04-21 23:15 | 社会

いてくれるだけでありがとう

Under the Sunコラム執筆分を転載しています。お題は『愛』。是非、Under the Sunにお立ち寄りください。

 金曜コラムのT.N.君の日記です。今週のお題は「愛」。皆さん心の恥ずかしい部分と対峙しながら、照れ笑いいっぱいのコラムで、私もどのように愛を語ろうか最後の最後まで悩みました。昨日から今日にかけて「愛」と対極の感情が私を支配していたので、お休みを頂こうかと思いましたが、やはり「愛」を考えることで少しずつ癒されたように思います。

 私の母親は酔っ払うと、ろれつの回らない口調で目にうす涙をうかべて、「わたし、ほんとみんないてくれてありがとう、って思うの。お父ちゃんも、こんな私のそばにずっといてくれて、ほんとありがとって思うの。お前たちも、いてくれるだけでありがとうって、ほんとうに思うんだわ。」と、言います。まだ若かったころは、いつものクダにやれやれと思いながら、「お母ちゃん、もうねよっか。」と手を引いて、寝間に連れて行くことが常でした。ところが最近、母が酔っ払って、「いてくれるだけでありがとう」という言葉に、親子愛とかを超越した「愛」をひしひしと感じます。

 人間の存在そのものを全肯定する、「いてくれるだけでありがとう」。私はこの言葉に包まれているのだなという最上の幸福感を覚えます。

 近頃酔っ払っていつもの「ありがとう」が始まると、中島みゆきのCDをかけ、一緒に「誕生」を合唱します。

ひとりでも私は生きられるけど
でもだれかとならば人生ははるかに違う
強気で強気で生きてる人ほど
些細な寂しさでつまづくものよ

呼んでも呼んでもとどかぬ恋でも
むなしい恋なんて ある筈がないと言ってよ
待っても待っても戻らぬ恋でも
むなしい月日なんてないと言ってよ

めぐり来る季節をかぞえながら
めぐり逢う命をかぞえながら
畏れながら憎みながら いつか愛を知っていく
泣きながら生まれる子供のように
もいちど生きるため泣いてきたのね

Remember 生まれたとき誰でも言われた筈
耳を澄まして思い出して 最初に聞いた Welcome
Remember 生まれたこと
Remember 出会ったこと
Remember 一緒に生きてたこと
そして覚えていること

ふりかえるひまもなく時は流れて
帰りたい場所がまた一つずつ消えていく
すがりたいだれかを失うたびに
だれかを守りたい私になるの

わかれゆく季節をかぞえながら
わかれゆく命をかぞえながら
祈りながら嘆きながら とおの愛を知っている
わすれない言葉はだれでも一つ
たとえサヨナラでも愛してる意味

Remember 生まれたとき誰でも言われた筈
耳を澄まして思い出して 最初に聞いた Welcome

Remember けれどもしも思い出せないなら
わたしいつでもあなたに言う 生まれてくれて
Welcome

Remember 生まれたこと
Remember 出会ったこと
Remember 一緒に生きてたこと
そして覚えていること
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# by pantherH | 2006-04-20 22:35

負けらんない 

Under the Sunコラム執筆分を転載しています。お題は『春 あるいは 出発』です。是非、Under the Sunにお立ち寄りください。 

日替わりコラム金曜日のT.N.君の日記です。皆さん一流の文章家だし、気合入っているしで緊張しまくりでございます。

 僕は信州の僻地で育ちました。僻地も僻地、ベビーブームの時でしたが1学年16人しかいませんでした。3歳で保育園に通園し、中学を卒業するまで12年間、ずーっと同じクラスメートと過ごしました。さぞいじめなんかなく、みんな仲良く少年時代を過ごしたのねと思われるかもしれませんね。確かにいじめはあまりなかったし、上級生をお兄ちゃん、お姉ちゃんと呼んで、兄弟のように遊んだりしていました。小学生の頃は楽しかったのですが、だんだん自我らしきものが芽生えて来ると、とても窮屈に感じるようになりました。部活なんかで後輩を不条理にしごいている同級生を見て、「止めろよ」と言っても、「お前だって昔よくやってたくせによ」と言われて返答に窮し、真剣10代しゃべり場みたいな疑問を抱いても、それを友達と分かち合える気がしませんでした。気になる女の子もいたけれど、こんな狭い世間で好きもへちまもないだろうと切り捨てていました。ある意味僕は鼻持ちならない自意識過剰野郎だったのです。だからずーっと悶々とした中学時代を過ごし、早く高校に行きたい、もっと広いところに行きたいと思い続けていました。

 実家から高校に通うには朝6時のバスに乗っても1時間目に間に合いません。帰りも4時半を過ぎると家に帰ることが出来ませんでした。だから僕は高校の近くの寮に入って学校に通いました。親元を離れての一人暮らしや1学年400人にも及ぶ人に圧倒されて萎縮している子もいましたが、僕は新しい世界が嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。
 隣の席に座った奴は、テストの点がいいだけでなくかなりの読書家で、学校の勉強以外にもなんでも良く知っていました。前に座った女の子はバイオリンを習っていてコンクールでも入賞するような子でした。同級生の英語の発音はまるでラジオから聞こえてくるような発音でしたし、先輩の話や友人との何気ない会話が刺激的で毎日が驚きの連続でした。すげーなー、すげー奴っていっぱいいるな。いろんなところに秀でた奴がいるんだな。俺も負けてらんないな、テストでいい点を取るとかじゃなく、なんか人間的に負けらんないなと思いました。そんな訳で、一生懸命背伸びをして過ごした16歳でした。その後、なんとなく自分のポジションを見つけて、したりしなかったりの気まぐれな背伸びでしたが、目一杯刺激的に高校生活を送りました。そういう凄い奴らからの刺激が僕の礎を作ってくれているように思います。

 僕は鼻持ちならない自意識に触れると、昔の自分を思い出して穴があったら入りたくなる程恥ずかしくなるけれど、凄い奴らのいる世界を求めて挑戦する人には心からエールを送りたいです。僕自身も、すごい人にたくさん出会い、もっと深みのある人に出会い、卑屈になることなく圧倒される感性を大切にしたいと思っています。そしてやっぱり自分は凡人だと自覚して、負けらんないなとちょっぴり背伸びしながら、「僕のものさし」を求めて、再び自分を試したいと思っています。勝ちたいとか、打ち負かしたいとか、ざまあみろっていうような競争じゃなくって、自分も負けらんないなという切磋琢磨に身を置いていきたいなと思います。

 けれど最近、多様性だとか言われてるけれど、「ものさし」が「効率とか要領」という本当に限定された「ものさし」しかなくなってしまい、みんながそれに一直線に並んでいるように思えてなりません。僕が圧倒された凄さとは、もちろん「世の中本当に要領のいい人はいるなー」というのもあったけれど、「なんだ、この正義感は」「なんちゅうユーモアだ」「凄い洞察力だなー」「たまげた粘り腰だな」と、必ずしも要領のよさではなかったし、何よりも、「なんだこの人の懐の深さは」というヒューマニズム溢れる人に圧倒されてきました。圧倒される価値が沢山あったから、負けらんないと自分の価値を見出そうと思えたし、その甲斐があると信じれたように思います。自分が年取ったせいなのか、効率というたった一つのものさししかない昨今、何に負けらんないのかを見失い、負けらんないと克己することに、とても虚しさを感じてしまいます。

 みんな頑張ってる。頑張らないと自らの価値が消えてしまう、そう思ってみんな頑張っている。一つの価値に支配された「蜘蛛の糸」をどうにかしないと、頑張っても頑張ってもみんな消えてしまう。頑張り甲斐のある社会とはアメリカンドリームなんかじゃなくて、色々なものさしで人を評価できる、そういうものさしをたくさん含んだ社会なんじゃないかと思います。
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# by pantherH | 2006-04-12 23:55 | Under the Sun

シテの若者たち

 Under the Sun-MEDIA-で紹介されていた、「フランス・“移民暴動”とその後の試練」 姜 尚中、森永 卓郎を見ました。

 第2時世界大戦で多くの戦死者を出したフランスは、戦後の復興にあたって、植民地であったアルジェリアなどから単純労働者として多くの移民を受け入れてきました。当時のフランスは未曾有の高度経済成長期で、母国での貧しい生活を余儀なくされていた移民一世たちは希望を抱いてフランスにやってきました。彼らはバラックに住みつつ様々な仕事をしてフランスの復興を支え、フランスで家族を築きました。やがてバラックは取り壊され、パリの郊外に「シテ」と呼ばれる低所得者用居住施設に住むようになりました。彼らの子どもたちは同化政策のもと、フランスの学校でフランス語でフランスの文化や歴史を学び、フランス人として成長しました。しかし、彼らは高校を卒業しても、かりにソルボンヌ大学を卒業しても仕事がありません。履歴書に「シテ」と記載されているからです。あるいは、アラブ系の名前だという理由で、鼻から歯牙にもかけられないのです。「シテ」に住む若者の心は絶望とルサンチマンが入り交じり、取材に訪れた姜尚中にビンを投げつける程に荒んでいます。そのような根深い「人種差別」を背景にして、フランスの若者たちの暴動は起こりました。

 極右政党の党首ルペンは、カメラの前で堂々と「移民たちは税金を食い物にしているクズで、フランス社会のお荷物だ。さっさと出ていってもらいたい」と発言していました。そんなルペンは近年、グローバリズムにより賃金の安い東欧などに企業が流失し、自らの雇用に不安を抱える労働者や、保守主義者の間で支持率が急上昇しています。

 フランス政府は、若者の失業率の高さの原因は、労働者の権利が守られ過ぎているため若者を雇用することはリスクが大きすぎる為だ、また国際競争必至のグローバル企業にとって雇用コストが大きいと国外に資本が流失してしまうとして、CPE法案を採択しようとしました。CPE法とは、「26歳未満の若者に対し企業は2年間のお試し期間中理由を明示せずに解雇出来る」という法律です。政府や企業はこれで若者の失業率の増加に歯止めがかけられると言います。しかし、若者は「自分たちは使い捨てではない」「一方的に解雇された若者には一生そのレッテルがつきまとう」とその法案の不当性を訴えます。この若者の主張は瞬く間にフランス全土に伝播し、白人も有色人種も関係なく多くの若者や労働者によりデモやストライキがフランス各地で連日繰り広げられています。

 これら問題は「差別問題」と「グローバル化による雇用問題」という二つの独立した問題から成り立っていると思います。しかし、番組では、「差別問題」というスタンスで「シテ」の若者たちの失業問題を捉えながら、CPE法に反対する若者の背景に移行する過程で、いつの間にか「差別問題」もグローバル化の問題に一元化してしまったという印象を持ちました。

 シテの若者たちが暴動を起こしたメンタリティーは、白人による彼らの出自に対する歴然とした「差別意識」への絶望感やフラストレーションであり、フランス人である自分たちを差別していることに目をつぶっているフランス社会への抵抗であったように思います。この問題に対し多くのフランス人が、グローバリゼーションによる雇用不安や、グローバル化により流入する移民労働者が社会を不安定化するという「移民問題」に論点をすり替えて、今厳然と行われている差別や自らの差別意識に目を向けないことに対する不満が、彼らの主張の本質があるように感じました。「シテ」の若者の境遇から私たちに問われていることは、どんな人間にも潜む「差別意識」といかに向き合うか、差別意識を支える自らのイメージで築き上げた「恐怖心」をいかに克服するかということなのだと思いました。

 最近随所で、仕事が上手くゆくのもコミュニケーションが円滑にゆくのも、結局「ひと」だよね。という言葉を耳にします。まさに言われるとおりで「人柄」や「能力」や「性格」が重要だと思います。しかし、この言葉で注意しなきゃいけないのは、本来「結局人だよね」ということばは事象を振り返った時に使うことばです。しかし、未来の事象にこれを用いた時、この言葉には「差別意識」が含まれているのです。

 昨日、フランスのシラク大統領はCPE法案を完全に撤回し、新たな雇用対策を検討すると発表したそうです。やっぱりデモの力って凄いんだなー。
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# by pantherH | 2006-04-11 02:00 | Under the Sun

リディキュール

毎週金曜日はUnder the Sun-HOME-でコラムを書いているので、そちらも覗いてくださいね。

 先週の土曜日の夕方何気なくラジオを付けると、業界人の得意気な裏話に聞き耳を立てる東京FMの「サタデー・なんたら・バー」にあのセコーが出ていた。スポンサーは、荒川静香とトゥーランドットにご招待のサントリー。何を言うやらと聞き耳を立てる。

取巻き「セコーさんは自民党の選挙指南役でらっしゃるんですよね。この間の選挙はセコーさんの手腕が大だと言われてますけど、小泉チルドレンを勝たすのには何か秘訣があったんですか?」

セコー「聞きたい?彼ら選挙、初めてじゃない。演説の仕方も知らないし、街頭出たり挨拶回りで忙しいから、新聞読んだり政策の勉強なんかしてる暇ない訳よ。そこで、僕が今日の演説のポイントを書いた紙を一枚だけ、彼らに毎朝FAXしたの。みんなそれをトイレ休憩の間なんかに見て、演説をバシッと決めるってわけ。」

取巻き「さぞかし小泉チルドレンの議員さんはセコーさんに感謝したでしょう?」

セコー「多くの小泉チルドレンは派閥に属していないから、今でも僕のところにどうしたらいいですか?って彼らいっぱい聞きに来るんですよ。」

取巻き「自民党セコー派ですね。」

セコー「いやいや、滅相もありませんよ。でも、彼らにアドバイスするんです。毎朝8時からやっている自民党のミーティングに可能な限り出て、そこで必ず一つ気の利いた意見を言うようにしなさいと。下らないことはバッドね。なかなか切れる奴だと思われたら、一緒にもう少し詳しく勉強しないかって先輩方からインナーの会に誘われるからって。そこでの議論はダイレクトに政策に反映されますからね。」

取巻き「へー、面白い。実際の政治ってそうなってんだー。で、みんなどうなんですか。出席の方は?」

セコー「みんな言うこと良く守って頑張って出席してますよ。勉強も良くしていて感心です。それから、今回の選挙で中央と地方で組織にねじれ現象が生じたでしょ。新人たちに言ってんの。中央のトップの口添えを期待するんじゃなくて、そういう人たちと膝をほっつき合わして酒を酌み交わしなさいと。」


すごいなー、こんなところにもイメージ戦略仕掛けてきてんだもんなー。
すごいなー、紙切れ一枚で政治が語れちゃうんだもんなー。
すごいなー、いかにも実力主義っぽくて、会社の会議室みたい。
すごいなー、自民党が世界だーって感じありありだもんなー。
僕らも日々上司から言われてるもんなー。会議では気の利いた意見を言いなさい、みんな密かに評価してるよって。人と人とのコミュニケーションが大切だよって。

すごいなーって騙されちゃいそうだけど、会社と政治が同じ組織の論理でいいのか?こんなのその実サロン政治じゃないか。インナーの会?なにそれ。お呼びがかかる?従順なこった。議員になったんなら呼ばれなくても行けよ。ましてや市民なんて目にも入らない。はあ、民主党の議員もお呼ばれされたいと思ってるんだろうな、そのインナーの会とやらに。それとも、既にお呼ばれされている?

ワイドショーとインナーミーティングで語られ、決まる政治。
おー、リディキュール
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# by pantherH | 2006-04-06 23:57 | 社会

Under the Sunの定期check list

 Under the Sunもおかげさまで3ヶ月が経ちました。中々軌道に乗っているとは言いがたい状態ではありますが、多くの方々のご指導、ご鞭撻を頂きここまで続けることが出来ました。この場を借りて御礼申し上げます。しかしご存知のとおり様々な問題を抱え、Under the Sunの進むべき方向を未だ模索しているような状態であります。UTS4半期の評価を行い、今後の参考にしていきたいと思いますので忌憚のない意見をお願い申し上げます。TBCを作ろうと声を上げた時に皆さんから頂いたコメントの数々を読み直し、もう一度みんながUTSどのような期待を抱いているのか、自分のイメージと管理人のイメージとの違うところなどを言っていただけたらと思います。

コンセプトに関して
・普遍性はあるか。
・偽善性はないか。
・多くの人の共感を得ているか。

運営に関して
・民主的に運営できているか。
・タイムリーに運営できているか。
・アクセス数はあるか。
・更新はそれなりにされているか。
・新しい支持者を獲得できているか。
・管理人の負担が重くなっていないか。
・管理人およびメンバーがUTSを続けるだけのモチベーションや価値をUTSに見出しているか。

利用者の視点から
・見やすいか。
・UTSにTBする価値を感じているか。
・TBされた記事を読んでいるか。
・見に来て面白いと思うか。
・UTSがきっかけで他のブログと出会えたか。

改善すべき点
・もっと見やすくするべき。
・もっと積極的にメジャーブログにTBに行くべき。
・人気ブログランキングで認知度を上げるべき。
・HOMEでのお知らせ以外のエントリーを増やすべき。
・TBCのエントリーやカテゴリーをまめに更新するべき。
・散逸気味のプロジェクトを再編すべき。
・もっとイベントを企画するべき。
・もっとセキュリティーを強化すべき。
・もっと遊びの要素を増やすべき。
・なすがままでも価値がある。

メンバーはどの程度ならUTSに協力出来るのか
・エントリーやTBをちょくちょくチェックしに来ることが出来る。
・人気ブログランキングで上位にランクするようにまめにクリックすることが出来る。
・UTSのコンセプトにあう記事をエントリーした際にTBすることができる。
・UTSの企画に合わせて自分のブログでエントリーすることができる。
・頻度にもよるがUTS内で分担してリレー記事を書くことが出来る。
・管理パスワードを共有してTBやスパム対策が出来る。
・管理パスワードを共有してHOMEやEQTやMEDIAなどの企画運営に参加出来る。

今考えている企画(T.N.君の日記)
・曜日別エントリー(自由に綴る編/大切り(お題に即して遊ぶ編/一遍の詩や俳句)
・メンバーリレーエントリー(UTSメンバーが自由にあるいはなんかのテーマで一日一人エントリーしてつないでいく・・・)
・Peace Project: 例えば「P」で始まる英単語から連想するイメージやエッセイを綴る。(peace, pain, power, polite, proceed, poverty・・・などなど)
・世界各地からの身近なコラム。ブラジル、カナダ、中国、韓国、アメリカ、フランスなどから原稿を寄稿してもらう。
・みんなでゲリラ。権力と闇社会の相関図を書いたパネルをエントリーのトップに持ってくる。
・幸せになれる経済システム。21世紀のパラダイムの兆しを求めて。TB形式?往復書簡形式?BBS形式?。
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# by pantherH | 2006-04-01 23:59 | Under the Sun