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25歳

Under the Sunコラム執筆分を転載しています。お題は『25歳のとき』です。是非、Under the Sunにお立ち寄りください。

 25歳は「青春」というには少し年を取っていて、むしろ青臭い青春に別れを告げ思慮分別を持たなきゃなーなどと思い始める年頃でしょうか。実に難しい年代設定と、気恥ずかしさと臆病さで相変わらず衒った文章になってしまう金曜コラムニストのT.N.君の日記です。

 「青春」と聞いて真っ先に僕の脳裏に浮かび上がるのは、植村直己の「青春を山に賭けて」という本です。彼がマッキンリーで遭難しテレビで彼の名前を知った僕は、中学生の読書感想文用の学校図書で「植村直己の物語」を読みました。そこで「植村直己は心の底から湧き上がる夢を持っていた。彼の夢はとてつもなく大きくて、そしてとても素敵な夢だと思った。けれども彼の夢はなぜあんなにも切迫感で一杯なんだろう。切迫感ゆえに彼は遭難してしまったのではないか。夢に生き夢に散った彼の物語は僕に勇気を与えてくれるけれども悲しい。」と感想を書いた記憶があります。その後、「極北を駆ける」や「北極点グリーンランド単独行」などを読み漁り植村直己の魂の濃さに圧倒され、また、エスキモーの人々との交流や犬や生き物に寄せる愛情、厳しい天候を嘆く等身大の植村直己に、中学生のときに誰かの書いた本で感じた切迫感に追われる植村直己という印象はなくなっていました。とはいえ最近読んだ妻への手紙は恥ずかしくて半分までしか読めませんでしたが。

 大学生の時分、たまたま北極圏を単独徒歩で横断した大場満郎さんの講演を聞きました。百姓だった彼は突然30を前にして、植村直己への憧憬から自分も植村さんみたいに生きたい、何かしたいという衝動にかられ、そうだ北極圏単独徒歩横断をしようと決意します。衝動を抑えられずに植村さんに会いに行き興奮気味の大場さん。植村さんはそうかそうかと話を聞いて、「それならこのダウンを持っていきなさい」とグリーンランド犬橇横断したときのダウンを下さった。これが大場さんの冒険のお守りだったと話していました。
 凄いなー。僕も植村直己の生き様に強い憧憬と勇気を与えられるけれど、その心境に近づきたいと思わせる植村直己はやっぱ凄いなーと、下宿でゴロゴロしながら彼の本を読み直していました。

 僕の青春は本当にたいしたことないのですが、大学の授業よりも競技スキーにはまっていました。小学生の頃スキー場が近かったこともあり競技スキーをしていましたが、東北の大学に進学したこともあり、もう一度やってみたくなったのでした。運動には走る、泳ぐ、跳ぶ、投げる、蹴るなど色々あるけれど、滑るという運動はスキーぐらいしかなく、競技スキーともなると足裏や全身を通じて感じ取る感覚をもっと研ぎ澄まして運動に連動しなくてはいけないのでとても奥が深いスポーツです。しかしいい成績を出すにはそれなりに道具にお金をかけなくてはいけないのが玉に瑕。だから学生時代は色々なアルバイトをして活動費を捻出していました。もっとお金があったらもっといい物もいい練習環境も手に入れたかったけれど、自分でアルバイトしたお金で精一杯やりくりし、地元の人の好意に支えられ、部員同士で協力し合ってやるそういう環境で競技スキーをやることに凄く充実感を感じていました。

 でも、だんだん勉学が忙しくなると部活動も引退しなくてはならず、そろそろ将来をまじめに考えなきゃと進路のことに悩むようになりました。そこで参考にと先輩達を見て、ふとなんでみんな卒業すると恋人と別れちゃうんだろうという疑問が湧きあがりました。当時、「子供を持つと夫婦に何が起こるか」(草思社)なんていう本に感化されていたこともあり、まず進路を考えるときにそのこと、つまり結婚を抜きには考えることが出来なくなりました。結婚という枠の中でお互いがやりたいことを実現できるように相談し、方向を模索していく方が現実的なのではないかと思うようになり、学生の分際で結婚してしまったのです。結婚式は僕の実家で双方の両親と兄弟だけで盛大に行い、翌日はみんなでピクニックに出かけました。長期休暇にはどちらかのお家に帰省してお互いの両親と色々な話をしました。

 25歳の頃は、妻を一人東北に残し単身大阪に出てきた頃です。それまでは結婚しているとは言え両親の仕送りを当てにしていたので、それからは僕が妻に仕送りをしなくてはいけません。我儘を許してくれた両方の両親に心の中で頑張りますと宣言した25歳でした。
 そして妻は、T.N.君の日記とUnder the Sunを心から応援してくれています。
 あー恥ずかしいー。 退却ー。
by pantherH | 2006-05-12 00:51 | Under the Sun
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