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PEACE

 反戦な家づくりの明月さんが、憲法9条改憲の賛否を問う質問を、来る参議院選挙立候補予定者にアンケートをされ、その回答を発表されました。本当にお疲れ様でした。なんとしてでも参議院選で自・公連立与党をギャフンと言わせたいです。自・公の暴走をなんとしてでも止めなくては、平和も生活も福祉も教育も、何もかもがとんでもないことになってしまいそうです。是非、選挙に行って暴走をくい止めましょう。 

 長いことお休みしていましたが、久しぶりにブログを書いてみました。何を書いたらいいか久しぶりすぎて良く分からないので、とりあえずPEACEについて書く事にしました。前から思っていたんですがPで始まる英単語には、その言葉の持つ意味について考えさせられる単語が沢山あるように思います。Peaceやpeople、publicなどなど。そんなPで始まる単語から連想することなどをつらつら綴っていこうかと思います。

PEACE
 
 精神科医の中井久夫は近著『樹をみつめて』において、戦争と平和について考察している。それによると、「平和」は「状態」を表し、「戦争」は「過程」を表すという。AだからB、故にCであると「過程」を語ることは言葉の得意とするところであり、その論理、その響きには逞しさが宿る。ゆえに「戦争」に駆立てる言葉は人々の心を捉えやすい。一方、「幸福」という状態を表現することが難しいように、「状態」を表すことは言葉の最も不得手とするところである。ことばをもって表現しがたい「状態」は、退屈で変化が意識されにくく、そして分かり難い。だから、「状態」は意識から葬りさられ、容易に「過程」にシンクロしてしまうと。
 
 人間の意識はことばにより担われている。そもそもことばの根幹をなす論理は、AはC故にBであると言う具合に、要素還元論的構成になっている。そこに曖昧さの生じる隙間は存在しない。だから言葉が「過程」にシンクロしやすいのは当然である。一方、「状態」をことばで表そうとすると、それと相反する対象を想起して、「○○でないこと」という表現をせざるを得ない場合も多い。また、「状態」はことばではなく、イメージあるいは生き方そのものとして表現される類のものでもある。だから人それぞれに異なり分かり難い。戦争の記憶が鮮明なうちは、人々は絶対的な平和のイメージを共有しえたが、イメージ故に徐々に色あせてしまう宿命にある。こう考えると、「平和」とは、よくよく意識しないと維持することが困難なfragileなものだということが分かる。

 中井はこうも言う。近代以降人類は50年ごとに戦争を繰り返している。まさに戦争体験世代が減り戦争の記憶の風化とともに次の戦争が訪れている。そして今日の日本を覆う空気はまるで戦前のそれに類似している。第2次大戦から60年、人類は平和を構築・維持する知恵を身に付けたのだろうか?単に科学が進歩し人類の寿命が10年延長し、戦後が10年伸びたに過ぎないのではないかと。
 そこで僕も考える。我々日本人は「平和」を構築・維持する知恵を社会に浸透し得なかったのではないかと。真剣に「平和」の尊さを語り継いできたのか、「状態」を生きることの意義を軽視してきてはいなかったか。9条の存在に胡座をかいて、意識し難い「状態」を意識に引張りだし、人と共有する為のことばの研磨を疎かにしてきたのではないか。あるいは平和という「状態」を生きる人間としての有り様を蔑ろにしてきたのではないかと。

 多くの人は嘆く。はじめにことばありき。「平和」に纏わることばが失われた。「平和」のことばを取り返さないとと。そこで僕は自問する。はじめに戦争ありき。「平和」ということばを表現しうるのは、「状態」と「過程」が逆転し、平和が「過程」となりうる戦時下に於いてのみではないのかと。僕達は、平和ということばの幻想を追い求めていたのではないか。戦争の記憶が霞みつつある今日、平和のことばを探しても見つからないのではないか。「ことば」を求めるのではなく、むしろ平和を生きる人としての「有り様」こそが求められているのではないか。

 そして憲法に思いを馳せる。日本国憲法の誕生は、世界中の誰もが「戦争はこりごりだ」と「平和」を強く望んだ結晶であった。平和が「過程」となり得た唯一のタイミングで、「平和」について唯一具体的な「ことば」にし得たものが、日本国憲法第9条ではなかったか。だから、9条を失うことは、戦争の歴史を失うことであり、唯一表現しえた「平和」のことばを失うことであり、そして「平和」という状態そのものを失ってしまうことなのだ。
by pantherH | 2007-06-09 22:00 | Pではじまることば
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