T.N.君の日記
2008-04-18T02:14:59+09:00
pantherH
日記と雑感
Excite Blog
後期高齢者医療
http://stenmark.exblog.jp/7764850/
2008-04-18T02:13:00+09:00
2008-04-18T02:14:59+09:00
2008-04-18T02:13:27+09:00
pantherH
社会
リハビリに関する診療報酬140日上限打ち切り制度や、障害者自立支援法なる悪法の場合もそうでしたが、一度制度として成立してしまうと、窓口でどんなにその制度の矛盾や非現実性を指摘しようとも、実際のサービスを継続して受けようと思ったら、制度に従わざるを得ないのが現実です。「弱者は現実問題結局従わざるを得ない」と、居直っている政府のやり方に猛烈な野蛮さと下劣さを感じます。
で、後期高齢者医療ってどんなのなのかと思い、厚労省のホームページでリーフレットや会議資料など目を通してみました。本音は医療費の削減にあり、政府発の一方的なプロパガンダという感じがします。作文としてはまあよく出来ているようにも思えますが、一つの制度だけでは心もとないサービスを、色々工夫してなんとか提供している現場に対する想像とかが欠落している気がして仕方がありません。残余能力の少ない後期高齢者は在宅介護、医療の重点配置、現役世代の負担軽減、が政府の3大主張だと言えそうですが、全部絵に描いた餅なんですよね。
現在の日本に在宅・介護の担い手はいますか。介護従事者の給料は月10万円ちょっとで、それも殆どが非正規雇用。受け皿のソフト面を顧慮せずに自宅、介護と大口ばかり叩く。そこで外国人看護師だ介護士の規制緩和をとかが議論されているようですが、全く本末転倒です。発展途上国で少ない予算で自国の医療福祉を支えるために育てている看護師が、先進国やアラブ諸国の高齢者を支えるために雇われ、いつまでたっても自国の医療福祉が充実しない人的な搾取に関する国際問題だってあるというのに、全く想像力を欠いています。
医療の重点配置の重要性は分かるけれども、保険点数制度による利益誘導で姑息にやるから、中小規模の病院なんかは疲弊して、厚労省が描く医療圏なんかほとんど崩壊しています。
現役世代といわれても、非正規雇用ばかりで、自分の社会保障費ですらままならない現実に若者世代は晒されています。よくもまあ、美辞麗句を並べられるものだと逆に感心します。
ただ、資料を読むと、一方的に厚生官僚は国民の敵だ!と糾弾する気持ちにはなれない部分もあります。なんか敵でもないという感じですね。何でなのか良くわかりませんが、彼らの空回り振りが凄く伝わってくる感じがするのです。現場で患者さんのことを第一に考えている人たちが描いている進歩的なイメージを汲もうとしているんだけど、言葉やイメージだけが上滑りしている感じが随所に見られます。騙してやろうという悪意はあまりなく、良いのを作っているという勘違いが紙面から感じられます。上滑りしているのは、作成段階でも検討委員会でも国会でもメディアからも、大きな波風が立つことなく全部通ってしまっているからなんだろうなと感じずにはいられません。政治だけでなく国民から緊張感がなくなって久しいけれど、緊張感のなさ故の劣化をまじまじと感じた次第です。せめて国民くらいは波風を立てないと、このまま加速度的に転がっていきそうで薄ら寒くなります。]]>
逡巡
http://stenmark.exblog.jp/6581101/
2007-10-06T21:47:00+09:00
2007-10-06T21:49:46+09:00
2007-10-06T21:44:05+09:00
pantherH
Under the Sun
振返ると僕は、『時間』や『ことば』にこだわっているようです。
時間にしてもことばにしても、「斬る時間」「斬ることば」と「醸す時間」「醸すことば」があって、どっちが大切っていうものではなくって、どっちも大切なんだけど、時間もことばも斬りっぱなしだと、結局のところ関係も存在も切断されてしまう、金銭至上主義に帰着しちゃうんじゃないか、なんて漠然と感じています。一方で、醸すことばって結局想像力の事を指すと思うし、醸す時間って個々人のプライベートなことの集積だから、「想像力を働かせろ」とか「醸せ、醸せ」と声高に言うのは短絡の極みだと思ったりします。『国家の品格』なんかは、それを声高に叫んじゃったりして、逡巡の欠落というか、その短絡というのを恥ずかし気もなくやっちゃっている。読んでてアホだなーと思う。ただ、「醸す時間」とか「醸すことば」を「ことば」で表そうと思ったら、そういう罠にはまり易いというのも事実なんじゃないかなとも思う。あまり良く知らないけれど、宮沢賢治しかり、島崎藤村しかり。特に、「国家」って奴を扱うと、とたんにその罠にはまっちゃうんだと思う。だから、「国家」という文脈では語ってはならないという慎みが必要なんだと思う。
『逡巡』
哲学者がするように「時間とは何か」と問うことは僕の能力を超えている。
「時間を認識できるか」と問えば、「さあ分からん」。
「時間を実感出来るか」と問われたら、「はい」と答える。
では、いったいどんな時に時間を実感出来るのか?
分からなかったことが、なるほどと分かったとき、
全く無関係だと思っていたAとBが繋がったとき、
僕は自分の中を伏流していた「時間」を感じる。
試験直前最後の追込み、
締切り間近の仕事を山のように抱えているとき、
僕は自分の横を通り過ぎる「時間」を感じる。
灼熱の日ざしが和らぎ影の長くなるのに、僕は「時間」を感じているだろうか?
いつも決まって真っ赤な花を咲かせる曼珠沙華に、僕は「時間」を感じているだろうか?
子どもの成長に、両親の老いに、ぼくは「時間」を感じているだろうか?
僕は「変化」の後ろにいる「時間」を感じているだろうか?
会うことのなかったおじいちゃんとそのまたおじいちゃんに、僕は「時間」を感じているだろうか?
会うことのない百年後の子どもたちに、僕は時間を感じているだろうか?
僕は「過去」と「未来」を繋ぐ「今」に時間を感じているだろうか?
変化の後ろにいる時間。
自分の中を伏流する時間。
横を通り過ぎる時間。
過去と未来を繋ぐ時間。
お釈迦様はきっと、この「4つの時間」を悟られたのだろう。
アイザック・ニュートンは、変化の後ろに存在する時間に目を凝らし、限りなく時間をゼロにすることで「微分(=differentiation)」を発見した。そして微分に再び「時間」という魂を入れることで「積分(=integration)」を発見した。そして、松尾芭蕉は、切り取った瞬間に永遠を想起させ、微分と積分を俳句に詠み込んだ。
Differentiationとは分化、差異化すること。そのお陰で僕らは変化を分析し、過去と過去を繋いで、未来を予測出来る(かも知れない)。しかし、differentiationの行き着く先は「差別すること」。
Integrationとは統合、融合すること。そのお陰で僕らは思いがけずAとBの連関に気づき時間を実感する。そして、integrationの行き着く先は「平等になること」。
ところが、違い(=different)の否定は、無関心(=indifferent)。
まさに言語化の放棄。関係性の放棄。ゆえに双方に楔のように突き刺さる。
だから、僕らは「微分」と「積分」の間で、「時間」という魂を抱えて、逡巡しながら歩むほかない。
アルバート・アインシュタインは、速度と時間に目を凝らし、限りなく速度を高めると時間が止まることを発見した。僕らは時間を止めたくて、必死に生きる速度を高めようとしている。僕らは時間を掴みたくて、ちょっと先の未来に線を引き、そこまでダッシュを繰り返す。哀しい哉人生は、光速には近づけない。そして「今」はいつも僕らの耳を掠め過ていく。
リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカーは、歴史に目を凝らし、過去に目を閉ざすものは、現在に盲目になると言った。少しでも「今」という時間を知りたくて、人は歴史を知ろうとする。「過去」を知り、朧に「今」が映される。「過去」を知り、人は己の一回性を知る。有限と知ることで、人は己の永遠性を知る。
なのに僕らは、「今」を知りたくて、時間を切り刻む。「時間」を感じたくて、時間を切り刻む。哀しい哉、時間を切り刻む程に自らを切り刻む。
そして僕らは歴史を知らなくて、己の有限性に懊悩し、カルトに心を蝕まれる。
親鸞上人は、一回性と永遠性に目を凝らし、弥陀の本願ゆえ念ずれば煩悩具足の我らでも成仏出来ると唱えた。時空間的彼方に「絶対」を描いて、万物を相対化し、有限と無限を繋ぎあわせた。
ルドルフ・シェーンハイマーは、合成と分解に目を凝らし、常に分子を入れ替えながら自己同一性を保つ、生命の動的平衡を発見した。「生命」とは、「無限」の時空間的凝縮により際立つ「存在」。
悠久の「過去」、永遠の「未来」、そして無限の「空間」を、有限の僕らが繋いでいる。
時間は存在であり、存在は時間だ。
少し先の未来に死をみると、人は初めて「今」を知る。
おじいちゃんのそのまたおじいちゃんより遥か昔から脈々と流れる川の水面に、ぴょんと飛び跳ねた魚の如き自分。
でも、僕らはそこに、one make決めたいんだ。
そうだ!
僕らは「無限」と「無限」の間で、「存在」という魂を抱えて、逡巡しながら歩むほかない。]]>
愚樵さんのエントリーから感じたこと
http://stenmark.exblog.jp/6278320/
2007-08-14T02:30:00+09:00
2007-08-14T08:48:02+09:00
2007-08-14T02:30:31+09:00
pantherH
未分類
「知」とは要素還元論的(分析的)手法により詳らかにされた事象の総体であり、言語、脳、微分(時間の)がその代表だと考えます。一方、「情」は・・・。僕はこの「情」についてことばで表そうと思った瞬間に、ことばを失ってしまうのです。でも、おそらく「情」は、表そうと思った瞬間に「ことば」では表現出来ないという性質をその本質に宿しているのではないでしょうか。
僕も「表現」の持つ「一人歩き」に苦心している時にこのことについて考えていました。
鈴木大拙の著作を何冊か読んだのですが、禅的世界感を表現する「知」(ことば)と、ことばでは表現し得ない「情」を表す為に、メタファとしての「作法」(形式)が記述されているように思われました。「禅」については全くの素人なのですが、「禅」とは「知(言語化)」と「情(作法=身体化)」を行き来(トランスミット)する技法なのではないか、と感じました。その点で僕にはしっくり来るものがありました。
しかし、「身体化」を声高に叫ぶことは同時に、後に形式化・権威化していった「禅」の歴史と、権力に非常にコミットし易いという危うさも孕んでもいる点で、悶々とした葛藤を覚えてしまいます。おそらくこのプロセスが愚樵さんのおっしゃる「知」の虚構の上に築いた「情」の暴走とリンクしてくるのだろうと思いました。
その際に「知の限界」なのか「知の劣化」なのかという命題が浮かび上がって来るように思いました。極度に形式化していった「禅」においては言語化をサボったという意味に於いて「知の劣化」があったように思えてなりません。一方、「近代」は「知の限界」と「知の劣化」の双方を抱え込んいるように思われます。すなわち、科学が発達する以前から認識されていた「知の限界という『知』」に対し、「科学」という魔法によって突破出来るという認識が幻想であることを突き付けられてもなお、その幻想を抱き続けているという『劣化』です。あるいは、「知(言語化)」そのものの放棄。アカデミズムは前者のコンテクストとして知の劣化を潜在的に内在していますし、また後者のコンテクストとしての知の劣化をこの社会は醸成しています。愚樵さんのおっしゃる「知・意の暴走」とは、「知の限界という知(無知の知?)」を享受しない「意」の暴走ということなのでしょうか。
愚樵さんは「知・意」と並列で表記していらっしゃいますが、はたして「知」と「意」は同次元のものなのでだろうかという疑問を抱きました。「意」とは、良く言えば「知」と「情」をシャトルするトランスミッター(僕は「意」をこのように解釈して分離しつつある「知」と「情」を繋げられないかと密かに考えているのですが)、悪く言えば「意」などというものは曖昧模糊としていて全く実態がないものなのではないかと感じています。一方で、変化こそが生命の本質であると据えた場合、人間においてはその曖昧模糊さゆえに、「意」こそがその本質であると捉えることが出来るのではないかと思います。しかし、近代は「意」を「情」から「知」あるいは「知」から「知」へのone wayのトランスミット(伝達)としてしか捉えることをしなかったのではないかと感じます。それは「ことば」の「知」へコミットメントが非常に強いからだと思います。
しかし本来「意」とは「知」と「情」をシャトルする双方向のベクトルを持ったものなのではないのかと思います。情から知(知から知)へのトランスミットは分析的で、その時間の捉え方は微分的。一方、知から情へは包括的で、その時間の捉え方は積分的。前者は分かり易いけれども、後者は捉えがたい。前者は速攻で伝達するけれども、後者はなかなか伝達しない。そして時間軸がどんどん短くなって来ている今日、後者は更に捉えがたく、伝達しがたくなっています。しかし、禅のいうところの「極意」、あるいは鶴見和子の言うところの「内発的発展」というのは、「意」の双方向性に対する目覚めを喚起しているのではないかと思うのです。そして両者に共通するのは「実践」することから、「身体」と「言語」の双方向フィードバックの関係が生まれるという示唆なのだと思います。
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POLITICS (2) 納得について
http://stenmark.exblog.jp/5957581/
2007-06-24T01:18:00+09:00
2007-06-25T23:44:54+09:00
2007-06-24T01:18:01+09:00
pantherH
Pではじまることば
「納得」には、一人称の納得、二人称の納得、三人称の納得がある。
一人称の納得とは、自分自身が自分自身に対し、あるいは森羅万象に対して納得することであり、納得のいかない様々な事柄や葛藤に対し、苦しんだり別の視点で眺めてみたりしながら、自ら折り合いをつけていくことである。そして自ら納得するために努力したり諦めたりするのである。ゆえに一人称の納得は人生そのものであるように思う。
二人称の納得とは、相手に自らの存在や意見を受け入れてもらうことである。そこには言葉では表せない、信頼や安心、その人の生き様、情熱、眼差しといった要素が含まれてくる。ゆえに言葉のみならず自らの総体をもってのぞむ二人称の納得は、恋愛や友情、リアルな人間関係そのもであるように思う。
三人称の納得とは、面識もない第三者を納得させることではなく、複数の主語が納得することである。すなわち納得しあうことだ。社会を形成していく上で無視することの出来ない他者を意識し、そこにコンセンサスを醸成していくことであり、人間は関係性の生き物であるとするところのその根幹をなすことばだと思う。こう考えると、「納得」ということばは、人間を最も瑞々しく表現したことばであり、最もヒューマニズムに溢れることばなのではないかと思われるのだ。ここに「政治」ということばにかわって「納得」ということばを創成しようとする理由の一つがある。
しかし、「政治」と「納得」には大きな飛躍が存在する。それは、三人称の納得の抱えるパラドックスと言ってもいい。すなわち、「社会を形成していく上で本当に納得しあうことは可能か」という命題である。性善説の人は可能だと応えるかもしれないが、僕は不可能であると考えるところから出発する必要性を感じている。
「納得しあうこと」は「コンセンサスを醸成すること」であると述べたが、我々人間にとってのコンセンサスとはなんだろうか。以前僕はUnder the Sunのコラム 「死は希望である」で、安心して死ねるのだもの生きることがどれだけ希望に満ち溢れるだろうか、と書いた。説明が足りず、死を礼賛することばとして捉えられてしまうのではないかと懸念もした。しかし、「死が希望である」にはもう一つの思いがあった。それは、「死」こそ人間の唯一のコンセンサスであり、誰もがその前では公平である、人間は「生きる」ということにおいて三人称の納得をすることは不可能な動物かもしれない、しかし、こと「死」に関しては、誰にとってもコンセンサスであるがゆえ、そこに「納得」が存在し得るという思いであった。このようなコンセンサスは、「死」と「生まれてきたものは一同に無垢である」という「生まれる」以外には存在しない。「生きる」はどうしたって個々によりそのベクトルは異なり、コンセンサスを醸成することは難しい。まして「生きる」ことは本来もっと自由でいいはずだ。
「政治」とは「納得」である。ゆえに極論すると、政治は誰ものコンセンサスであるところの、「人は死ぬ」「生まれしものは皆無垢である」の2点に関し、安心ときめの細かさを充実する以外に、すべき課題はないとさえ言える。政治が生きる多様性を保障するなどというのは幻想であり、かつ驕り甚だしい。政治が「生きる」ことに固執している以上、利権も特権も不公平もなくならない。パラドックスとしての「納得」。これが、「政治」ということばに代わって、「納得」を創成したいと考える理由のもう一つである。
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POLITICS (1)
http://stenmark.exblog.jp/5890077/
2007-06-14T08:14:00+09:00
2007-06-24T12:34:52+09:00
2007-06-14T08:14:50+09:00
pantherH
Pではじまることば
①の意味に相当する言葉は、本来「政治」ではなく「統治」なのではないか。英語で言うところのgovern。governの語源も調べてみると、ギリシャ語のcyber-(かじをとる)に由来するらしい。このgovernという言葉には、「支配・被支配」という関係がしっかり明示されている印象を受ける。国を治めることはgovern a nation、国を治める政府はgovernmentで、「権力」の在り処がはっきりと示されている。一方日本では、governmentを「国」と言い、governを「政治」と言って、権力の在り処を曖昧にする。曖昧にすることにより、governmentやgovernor(統治者)の責任を曖昧にする。そればかりか、「政治」ということばが、薄汚れて腹黒くそして鬱陶しいイメージを内包し、下から積み上げていく政治のダイナミクスを阻害している。ゆえに「下からの政治」は唾棄されて、社会の根本を揺るがすに至っている。
政治には①「上からの政治」と②「下からの政治」がある。日本語の「政治」はどうも①に親和性がある。そして①governと②politicsの区別が曖昧だと述べた。せめて「国」の責任を、「政府」の責任と正しい言葉を使い、現政府が統治としての政治の主体であることを明示すれば状況はかなり良くなると思う。しかし、今日本の置かれている「政治」の問題は、「統治」としての政治の問題だけではなく、社会運営における「下からの政治」の脆弱性という問題でもある。だから、政治の含有する「下からの政治」の意味を再評価しないといけないと思ったりする。ところが「政治」という漢字自体が①に強くコミットしているし、①と②は視座が完全に異なるから、おなじ政治という言葉であっても既に対立概念でさえある。この国の政治の不幸はpoliticsが「政治」ということばで囲われていることによると言っても過言ではないのではないか。そしてもはや言葉の厳密な使い分けや定義では、②の意味を止揚することは不可能なのではないか。それではいっそ、「下からの政治」に相当する言葉を創生してみてはどうだろうか?
まさに「政治改革」だ。
昔は「自治」なんて言葉があったが、この言葉も黴が生えてしまっている感がある。いまいちダイナミズムがないのが欠点だ。なぜなら政治はベクトルこそがその本質であるからだ。下からの政治を考えたとき、ベクトルのその始点はどこに据えるべきであろうか。僕はその始点は「対立する利害を調整すること」に据えたいと思う。利害の調整と言うとどす黒い響きが宿るが、簡単に言えば、「納得しあうこと」、かっこ良く言えば「コンセンサスを得ること」と言い換えることが出来そうだ。ここに新しい言葉を創生したい。
そして僕は、「下からの政治」を表す言葉として、『納得』ということばを導入してみてはどうかと提案したい(かなりダサい。ダサいという言葉自体がダサいが・・・)。
「最近の政府どうよ?」「納得できないよね。(=政治ではない。という意味)」
「年金問題酷いよね。」「うーん、あれじゃ納得できないよ。(=あんなもん政治じゃない。という意味)」
「最近、強行採決ばかりで物事が決まっていくね。」「やってる本人達もあれで納得できるのかねェ。(あれで政治してるのかね。という意味)」
「今日、PTAで夜話し合いがあるんだけど、最近責任の擦り付け合いというか、お互いが言いたいこと言い合ってるばっかりで、なんだか気が重たいよ。あれじゃ何とかしていこうとか、協力してやりましょうっていう感じにはならないよ。」
「PTAの話し合いをさー、『納得』とかいう名前にしたらどうなん?今日、PTAの「納得」があるの、みたいに。中国語みたいでちょっと???かな。でもそうしたら、「どうですか?納得?」「うーん、まだちょっと。」「納得するために、ほかの方どうですか?」「こんなんどうですか?」「そうですね、まあ納得。」っていう感じで、結構面白い会になるんじゃない?」(おー、「納得」ということばは、なんと建設的で民主的でかつ政治的な概念を内包した言葉なんだろう。)
「明日までに○○してくるように、って突然言われてもねェ、納得できないっすよ。」「つべこべ言わずにやれ!!(=社会性の無視)」
「明日までに○○してくるように、って突然言われてもねェ、納得できないっすよ。」「そう言わずにお願い。俺も納得できないこと引き受けざるを得ないんだから。」「じゃ、お互い納得しあえるようにしましょうよ。」(そう簡単ではないが、連帯感の芽生え)
「明日までに○○してくるように、って突然言われてもねェ、納得できないっすよ。」「そう言わずに、これ¥で納得してくれない?」(これも一つの納得だよね)
どうです? 「納得」っていいと思うのですが・・・。納得できない。
と、言うことで、「納得」については改めて考察したいと思ってます。
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PEACE
http://stenmark.exblog.jp/5741369/
2007-06-09T22:00:00+09:00
2007-06-10T00:33:46+09:00
2007-05-26T08:16:30+09:00
pantherH
Pではじまることば
長いことお休みしていましたが、久しぶりにブログを書いてみました。何を書いたらいいか久しぶりすぎて良く分からないので、とりあえずPEACEについて書く事にしました。前から思っていたんですがPで始まる英単語には、その言葉の持つ意味について考えさせられる単語が沢山あるように思います。Peaceやpeople、publicなどなど。そんなPで始まる単語から連想することなどをつらつら綴っていこうかと思います。
PEACE
精神科医の中井久夫は近著『樹をみつめて』において、戦争と平和について考察している。それによると、「平和」は「状態」を表し、「戦争」は「過程」を表すという。AだからB、故にCであると「過程」を語ることは言葉の得意とするところであり、その論理、その響きには逞しさが宿る。ゆえに「戦争」に駆立てる言葉は人々の心を捉えやすい。一方、「幸福」という状態を表現することが難しいように、「状態」を表すことは言葉の最も不得手とするところである。ことばをもって表現しがたい「状態」は、退屈で変化が意識されにくく、そして分かり難い。だから、「状態」は意識から葬りさられ、容易に「過程」にシンクロしてしまうと。
人間の意識はことばにより担われている。そもそもことばの根幹をなす論理は、AはC故にBであると言う具合に、要素還元論的構成になっている。そこに曖昧さの生じる隙間は存在しない。だから言葉が「過程」にシンクロしやすいのは当然である。一方、「状態」をことばで表そうとすると、それと相反する対象を想起して、「○○でないこと」という表現をせざるを得ない場合も多い。また、「状態」はことばではなく、イメージあるいは生き方そのものとして表現される類のものでもある。だから人それぞれに異なり分かり難い。戦争の記憶が鮮明なうちは、人々は絶対的な平和のイメージを共有しえたが、イメージ故に徐々に色あせてしまう宿命にある。こう考えると、「平和」とは、よくよく意識しないと維持することが困難なfragileなものだということが分かる。
中井はこうも言う。近代以降人類は50年ごとに戦争を繰り返している。まさに戦争体験世代が減り戦争の記憶の風化とともに次の戦争が訪れている。そして今日の日本を覆う空気はまるで戦前のそれに類似している。第2次大戦から60年、人類は平和を構築・維持する知恵を身に付けたのだろうか?単に科学が進歩し人類の寿命が10年延長し、戦後が10年伸びたに過ぎないのではないかと。
そこで僕も考える。我々日本人は「平和」を構築・維持する知恵を社会に浸透し得なかったのではないかと。真剣に「平和」の尊さを語り継いできたのか、「状態」を生きることの意義を軽視してきてはいなかったか。9条の存在に胡座をかいて、意識し難い「状態」を意識に引張りだし、人と共有する為のことばの研磨を疎かにしてきたのではないか。あるいは平和という「状態」を生きる人間としての有り様を蔑ろにしてきたのではないかと。
多くの人は嘆く。はじめにことばありき。「平和」に纏わることばが失われた。「平和」のことばを取り返さないとと。そこで僕は自問する。はじめに戦争ありき。「平和」ということばを表現しうるのは、「状態」と「過程」が逆転し、平和が「過程」となりうる戦時下に於いてのみではないのかと。僕達は、平和ということばの幻想を追い求めていたのではないか。戦争の記憶が霞みつつある今日、平和のことばを探しても見つからないのではないか。「ことば」を求めるのではなく、むしろ平和を生きる人としての「有り様」こそが求められているのではないか。
そして憲法に思いを馳せる。日本国憲法の誕生は、世界中の誰もが「戦争はこりごりだ」と「平和」を強く望んだ結晶であった。平和が「過程」となり得た唯一のタイミングで、「平和」について唯一具体的な「ことば」にし得たものが、日本国憲法第9条ではなかったか。だから、9条を失うことは、戦争の歴史を失うことであり、唯一表現しえた「平和」のことばを失うことであり、そして「平和」という状態そのものを失ってしまうことなのだ。
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今在ることの恥
http://stenmark.exblog.jp/4000555/
2006-08-17T00:21:00+09:00
2006-08-17T00:42:36+09:00
2006-08-17T00:21:01+09:00
pantherH
社会
8月15日を失ってしまいました。
戦後を失ってしまいました。
信頼を失ってしまいました。
時間を失ってしまいました。
日本は完全に割れてしまいました。
コンセンサスが音を立てて崩れてゆくようです。
小雨降るなか、餓鬼の参るその姿は、これから全てを失う物語のプロローグに見えました。
あのようなおぞましいサディストを首相に頂いた日本の国民であることを恥じずにはいられません。彼を首相の座から引きずり降ろすことも出来ず、抗議も行動もせず、首相の靖国参拝を日本人自身が強く反対しているのだというアピールもせず、ただ日本の孤立化に嘆息するばかりの自分自身を恥じずにはいられません。
2003年12月9日、自衛隊のイラク派兵が閣議決定された日、まごうかたない憲法破壊者、小泉純一郎が、「憲法とはこういうものなのだ、皆さん、読みましたか」とのたまう。あろうことか、自衛隊をイラクに派兵するその論拠が憲法前文にある、と言ったのでした。これは二つの意味で屈辱的でした。最悪の憲法破壊者であるファシストが、全くでたらめな解釈によって、平和憲法の精神を満天下に語ってみせたということ。二つ目は、小泉の話を直接聞いていたのは、他でもない政治部の記者たちです。彼らは羊のように従順にただ黙って聞いていた。翌日の新聞は一斉に社説を立てて、このでたらめな憲法解釈について論じたでしょうか。ひどい恥辱として憤怒したでしょうか。いない。ファシズムというのは、こういう風景なのではないか。
辺見庸の新刊、『いまここに在ることの恥』から抜粋
そして彼は、「恥を恥とも感じないことがさらに恥辱を本質的に倍加させる。」とも言います。それから、恥を恥とも感じずに過ごして来た2年半、恥辱は天文学的にまで倍加して、2006年8月15日、あの日と同じ光景が繰り返されました。無自覚ゆえに肥大化した「恥」が、マグマのように湧出し、日本中の足下をどろどろと淀み横たわっています。しかし今なお恥を恥と感じずに、8月15日首相の靖国参拝は日本人の恥の問題にも関わらず、中国と韓国の反応にのみ、小泉もマスメディアも、小泉の犯した罪をなすり付けています。
済んでしまったことなので仕方がない、むしろここは大人になって、未来志向のもと、「恥」と「怨念」を封じ込め、とりあえず「なかった」ことにしておきましょう。中国も韓国もそして日本に於いても、周囲はそのような大人の対応を迫られるでしょう。もしそうしなければ、怨念に再び灯がともり、取り返しのつかない対立(それは紛れもなく、日本の戦争責任であり、天皇の戦争責任であり、今日の天皇制の問題に帰着するのです)が、国内に於いても外交に於いても顕在化してしまうに違いありません。そのパンドラの箱を開けてはなるまいと周囲が躍起になる、ならざるを得ないことを分かっているからこそ破廉恥小泉は断行してみせる。
なんと卑怯、卑劣極まりない行為でしょうか。
靖国参拝の問題点は多々あるけれども、「卑怯だ」。この一言に尽きると思います。
そして、なかったことにした「恥」と「怨念」は澱となってますます肥大化してゆくのです。
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硫黄島玉砕(2)
http://stenmark.exblog.jp/3956769/
2006-08-08T22:56:00+09:00
2006-08-09T11:38:05+09:00
2006-08-08T22:56:05+09:00
pantherH
社会
戦死の殆どは、果敢に闘いその戦闘で死んだのではなく、行軍に次ぐ行軍、飢えと乾き、怪我と感染症、寒さや狂気が原因であったと言います。硫黄島での戦いも、地を這うような地獄であったことが生存者の証言から明らかにされていました。迫り来る死への恐怖、人間性を失うことへの恐怖とその結果としての狂気。戦争は人間に対する最大の冒涜なのだと思います。敵を人間と見なさないからこそ戦争が出来るのであり、自らの兵士を人間と見なさないから戦争が出来るのであり、また自らが人間であることにあえて目を瞑ることで戦争に加われるのです。
私がもし戦場に行ったら、人間性を維持し続けられるでしょうか。
戦争に行ったら、自分が生き残る為に、いやそんな崇高な気持ちすらなく、そうしないと気持ちがやっていけないから、相手を殺すことも、仲間を見捨てることも裏切ることも、略奪することも凌辱することもしてしまうような気がしています。ひとたび戦地に赴いて、理性やバランス感覚、柔らかい感性を働かすのは至難の業に違いありません。
もし私がレバノン人だとしたら、毎日イスラエルの空爆に怯え、家族共々身を寄せあって、自分のところには落ちてくれるなと祈り、ヒズボラのロケット弾の発射音に、あー、また仕返しが10倍以上になって返ってくるのかと、ハラハラしながら家族と抱き合う以外にない日々を送り、外には各国の報道陣が訪れているのに、この不条理がいつまでも続いていることに、世界中の悪意を感じ、それでも生きなきゃ、家族を支えなきゃと必至に我慢して、我慢して、我慢して。いつぞやそれは我慢の限界に達して発火するに違いありません。
戦地に赴き人間性を維持することや、どんな暴力にさらされても戦争に行くまいと抗うことや、戦争に行って生き残るために逃げ回ることよりも、今、戦争に行かなくてすむように、日本が再び戦争をしないように、戦争放棄を維持し、平和を希求する声を上げ続けることの方がはるかに現実的で、容易なことです。
あるいは、我慢して、我慢して、発火を抑えることも至難なことなのだと思います。事実、私はテレビでブッシュを見る度に彼への殺意が込上げてしまいます。今、我慢の限界を越えて暴力の連鎖に火がつく前に、そしてそ出口の見えない殺戮の連鎖となる前に、イスラエルの暴力を、アメリカの暴力を何とかして止めないといけません。
NO MORE WAR!!
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硫黄島玉砕(1)
http://stenmark.exblog.jp/3951441/
2006-08-08T00:05:00+09:00
2006-08-27T23:19:21+09:00
2006-08-08T00:00:14+09:00
pantherH
社会
「勇壮果敢に敵に挑んだ硫黄島守衛隊、死してなお日本は敵を撃退し・・・」と大本営から戦争を鼓舞する報道がなされていましたが、2万人以上いた守衛隊のわずか数%しか生きて帰還出来なかった硫黄島での戦闘は、想像を絶する地獄であったことが、60年間固く心の奥底に記憶を封じ込めていた生存者の、戦友への贖罪の一心から語り始めた証言により明らかにされていきます。
火山島であるため地温が40度を越し、飲料用の水のない島に地下壕を張り巡らし、兵士たちはそこに身を潜めて、上陸してくるアメリカ兵を待ち伏せにしていました。硫黄島に送られた兵士の大半は、戦闘の訓練もされたことのないような召集兵あるいは少年兵でした。兵士の心得には、「撤退は許さず」「壕を出て戦闘を仕掛けることを慎むべし」と記され、進むことも退くことも許されない闘いを命ぜられていました。その時、東京の大本営では、硫黄島への空海路抑えられている状況では静観やむなし、と撤退の判断もせず静観という名の見殺しを決めていました。命を捨てて闘う日本兵との戦闘でアメリカ兵にも多くの犠牲者が出ました。アメリカは予備兵と大量の近代兵器を投入し、徹底的な掃討作戦に乗り出しました。地下壕の入口を見つけては火炎放射器による炙り出しなどによる凄惨な攻撃により、島の大半は陥落し殆ど勝敗は決していました。
アメリカ軍による投降の呼びかけにも、日本兵は誰一人投降しませんでした。投降は軍紀に反することはもとより、投降しても不名誉のそしりを受け、どのみち処刑されると信じられていたのでした。事実、投降して壕を出た少年兵が上官により撃たれる光景を目撃したと言います。40度を超える地下壕で水や食料をめぐり、それこそ畜生の如く奪い合い、腐乱した死体の下に潜って息を潜めて敵をやり過ごし、焼き出された「炭」を食して空腹をしのいでいたと言います。ついにアメリカ軍は、ガソリンを混ぜた海水を壕の中に注ぎ火をつけました。皮膚が焼け、垂れ下がった人々の姿が炎に映し出されていました。
この凄惨な光景が戦争の真の姿を物語っています。「彼らの死にどのような意味があるかを聞かれたら、それに応えることは難しい。ただ、意味がなかったでは済ませられない。」その凄惨さ故に今まで封印していた硫黄島の記憶は、私が語らなければこのまま誰も知ることなく葬り去られてしまうかも知れない。と、80歳を過ぎ漸く語り始めました。
『彼らの死は意味がなかったでは済ませられない』
「顕彰」ではなく、私たちは彼らの死の意味を感じなければいけない。]]>
国防について
http://stenmark.exblog.jp/3807663/
2006-07-13T21:45:00+09:00
2006-07-15T01:10:48+09:00
2006-07-13T21:45:02+09:00
pantherH
社会
質問:あなたが考える、この先、日本がとるべき国防の方向は?
1.非武装をすすめ、他国から侵略されても抵抗をすべきではない
2.他国から侵攻は防衛しても、攻撃はおこなうべきではない
3.専守防衛は現在でも可能なので、現状を変更する必要はない
4.武装を強化し、専守防衛に徹すべし
5.武装強化・憲法改正をおこない、専守防衛に徹すべし
6.日本にとって危険な国に対しては、先制攻撃を加えるべき
7.核兵器の開発までふくめ、軍事力を増大していく必要がある
8.その他
私は、2.他国から侵攻は防衛しても、攻撃はおこなうべきではない を選択します。日本には憲法第9条があるからというのがその理由ではありません。理由を述べるのは非常に難しいのですが、端に私の「本能」がそう言っているからです。
私が「国防」に関心を抱いたのは、中学生の時分に縁あってスイスに1週間旅行に行ったときです。ご存知の通りスイスは永世中立国を謳っていますが、徴兵制がひかれています。スイスを訪問した際にお世話になったホストファミリーの父親は、私が滞在中、あいにくスキル維持のための徴兵に出掛けていました。アルプスの麓では男達が射撃の練習をし、銃声が山麓にこだましていました。家には勲章が飾られ、各家には核シェルターとして地下室が備えられていました。普段はチーズやワインなどの倉庫として使っているのだそうでしたが、シェルターを備えないと家を新築できないのだと言っていた記憶があります。
村にはスポーツセンターに併設して、というかスポーツセンターの地下に巨大な核シェルターがありました。厚さ30cmもあろうかという鉛とコンクリートで出来た重たい扉を開けてシェルターの中に入ると、放射能汚染した衣類などを着替える前室やシャワールームがあり、そこを抜けて居住空間に入ります。約2週間村人がそこで生活できるだけの水や食料や自家発電用の燃料が備蓄され、外部との連絡や情報収集のためのインテリジェンスルームまであるようで、サウンド・オブ・ミュージックでトラップ一家が目指した、大脱走でマックイーンが超えたかった、あの憧れの永世中立国「スイス」の現実に、カルチャーショック以上にカルチャーショックを受けたのでした。
当時、NHK特集で3夜にわたって「核戦争後の地球」というドキュメンタリーを放映していました。広島型原子爆弾の何十倍の威力を持つ核爆弾が首都東京に炸裂したら、どれだけが核爆弾の放つ熱により死に、どれだけが爆風の被害を受け、どれだけが後遺症を抱えることになるのか、シュミレーションを駆使して映像化した画期的な番組でした。そして、核炸裂の後に訪れる「核の冬」の存在を知り、爆心から遠く離れた信州に住む私は、真夏にも拘らず背中に冷や汗をかき、猛烈な恐怖心を抱くと同時に、そのような兵器を開発し、更に開発し続けようとすることに怒りと絶望の感情が去来しました。
スイスの核シェルターはまさに「核の冬」を想定しており、それも、日本の松代大本営のような一部の権力者の為のシェルターではなく、ちょっと裕福ではある村の住人達のためのものであり、核シェルターまで作って守る「国防」に度肝を抜かれたのでした。
憲法9条により武力を放棄することで日本の平和が維持されるという理想を掲げる日本。かたや、国民の男の殆どは軍隊に徴兵され、核シェルターを作ってでも生き残ろうとするスイス。「平和」そして「国防」というものに対する考え方がこうも違うということに愕然とするとともに、スイスが正しく日本が間違っているとか、あるいはその逆であるという問題ではなく、それぞれの民族の背負ってきた歴史と、それぞれの国の地政学的な位置関係により、「平和の捉え方」や「平和の維持の仕方」は違うということを痛感させられた旅行でした。
私は、「平和」という言葉も慎重に用いるように心がけています。イラクに訪れるつかの間の「平和」。東西冷戦下の軍事的緊張によって保たれた「平和」。核を保有することで保障される「平和」。経済的・文化的繁栄により維持される「平和」。共感と友好の感情に基づく「平和」。と「平和」という言葉には、「治安」、「政治力学」、「安全保障」、「国力」、「友愛」といったものがすべて内包されているからです。「平和」という言葉で議論してもなかなかかみ合わなかったり、深まらないのはその為なのではないかと思ったりします。また逆に、凄く力を持つのもその為とも思います。
その上で、日本における「平和」について、「歴史」と「地政学」を踏まえ、そしてそれに「現在的事情」を加味して考えなくてはいけないのだと思っています。
今日は疲れてしまったので、この続きは、あらためて書きたいと思います。]]>
『自己』とはなにか
http://stenmark.exblog.jp/3809167/
2006-06-30T00:00:00+09:00
2006-07-22T22:15:37+09:00
2006-07-14T00:33:03+09:00
pantherH
Under the Sun
森の中の「旅の駅」をあとにしたマルコは、Under the Sunを目指して再び歩き始めました。雲の切れ間から射す日の光を目指して歩いていたマルコは、森のはずれの池のほとりで旅の疲れを癒す青年と出会いました。その青年はマルコよりもいくらか年上のようで、どことなく遠い眼差しをしており、どことなく沸々とした怒りを心根に抱えているふうでもありました。そらさんと別れてからここ数日、話し相手もなく歩き続け人恋しくなっていたマルコは、久しぶりに出会ったその青年に声をかけたのでした。
マルコ:あのー、すみません。僕はUnder the Sunを探して、ここ数日森の中を彷徨っていたのですが、この辺にUnder the Sunというパラダイスがあるのをあなたご存知ありませんでしょうか?
青年:Under the Sun? 聞いたこともありませんが、それはいったいなんですか?
マルコ:さあ、私もよく分からないのです。なんだか人と人との繋がりが希薄なこの世の中で、人と人との柔らかな繋がりを求めるパラダイスがあると聞いたのです。私はそれを探して旅をしているのですが、これまでに出会った渡し舟の船頭さんには「それを見つけようと思ったら、自らその問いを求めることだ」と言われ、タクシーの運転手には、「そもそも人との繋がりは、人それぞれが違うからこそ生まれる」と、そして「旅の駅」の女将さんには「誰かのためにやっているわけじゃなくても、誰かのためになっていることがある」というなんだか愛に満ちた雰囲気を教わった気がします。でも、誰もUnder the Sunの場所は教えてくれませんでした。
青年:なるほど、興味深いですね。繋がりを求めるパラダイスですか。実は私も繋がりとはなんだろうかという疑問に駆られ旅をしている途中なのです。
マルコ:え、それではあなたもUnder the Sunを探しているのですね。
青年:いいえ。Under the Sunを探している訳ではありません。生命における繋がりとはなんだろうかということを考えていたのです。
マルコ:それは食物連鎖とか生態系と言われる今流行のエコロジーというようなものですか。
青年:ええ、まあ。そういう大きな連環もありますが、何と言うかもっと個別的な、「自己と非自己」における繋がりに関してです。例えば、虫のような下等な生物もカビのような病原体から身を守るシステムが備わっているんです。虫の様な生物においても、自己と非自己が区別されているのです。虫ばかりではなく哺乳動物でも病原体にある特徴的な構造を認識して危険信号を発し、異物を排除しているということが最近分かってきました。免疫力を高めましょうとよく言われる免疫力とは、このようにのべつ幕なしに非自己を排除する能力のことを指し、これを自然免疫と呼んでいます。一方、子供の頃に水疱瘡にかかったら、2度とかからないと言いますよね。それも免疫の仕事です。この場合はある病原体に対し特異的に免疫細胞が反応し、その反応は終生記憶されるのです。そして病原体の2度目の侵入に対し、記憶としてストックされた免疫細胞が瞬時に増えて、病気を引き起こす前に病原体を駆逐してしまうのです。このような免疫を獲得免疫と呼んでいて、生命は免疫と言うシステムを通じて、自己と非自己を区別しているのです。
マルコ:へー。自己とか非自己なんていう観念的なことは脳の中で人間が勝手に作り出した概念だと思っていたけれど、脳と言う高次機能がなくても存在するんですね。でも、そうすると生命は本質的に非自己に対して拒絶するという宿命を有しているのですか。
青年:ところがその拒絶は必ずしも非自己に対してのみ起こるわけでもないのです。リウマチなどの自己免疫疾患は自己に対して反応する免疫機構により引き起こされる病気だし、花粉症などのアレルギー疾患は、非自己を排除する機構が働きすぎて自己を困らせるという病気なのです。
マルコ:そうすると免疫というのは自己にも非自己にも攻撃的に働くものなんですね。
青年:いいえ、殆どの場合免疫は自己に対しては反応性を消失しています。それを免疫寛容と言いますが、免疫のシステムが出来上がる過程で自己に反応する免疫細胞は細胞の自殺(アポトーシス)というメカニズムで消えてなくなってしまいます。それから、骨髄移植などを思い浮かべると分かりやすいと思うけれど、白血病などで骨髄移植をすると免疫システムは移植したドナーのものに入れ替わってしまいます。もちろんとても強い拒絶反応が起こるけれども、免疫反応を抑える薬を使って拒絶反応を抑えてあげると、数年すると免疫抑制剤を使わなくても、自己である体を攻撃することなく非自己と自己の共存が起こります。これもまた免疫寛容です。免疫には非自己の排除と同時に非自己を受け入れるという両義性があるのです。そして厳密に区別されているかのような自己と非自己も実はかなり曖昧であることも分かってきています。
マルコ:なるほど。免疫って面白いですね。でも、それとあなたが疑問に思っている繋がりとはどういう関係があるのですか。
青年:先ほど骨髄移植の例を出したけれど、ドナーの骨髄細胞中に存在するあらゆる細胞に分化できる幹細胞から、赤血球や白血球などの免疫細胞が出来上がってくるのだけれど、それぞれの細胞はその環境に応じてあるものは赤血球にあるものはリンパ球にと分化します。そしてその分化はまさに自己という場に適応するように制御されているんです。だから移植された非自己である骨髄細胞が、自己である身体に適応して自己組織化が行われ、その結果寛容が成立するのです。また、外部の病原体が侵入したときも、獲得免疫における免疫細胞の病原体の認識機構は、病原体の断片が自分の手のひらによって差し出されて初めて認識されるのです。外部からの度重なる侵入を通じて、自己は多様性を獲得し、それを免疫記憶としてストックしていくことで自己に厚みを形成していくのです。このように、免疫における自己とは「自己」という場に適応し、「自己」に言及(self-reference:自己を参照する)することで、新たな自己を形作っています。このようなシステムを、免疫学者の多田富雄先生は免疫のスーパーシステムと呼んでいます。
マルコ:とても難しいお話ですが、自己とか非自己は決定されたものではなく、常に自己は非自己から作用を受け、自分とは何かを見つめながら、自分自身が変化適応していくとても柔軟なものだと言うことですね。
青年:そうなんです。
マルコ:そのことは精神における自己とは何かということにも当てはまるのではないでしょうか。
青年:というのは?
マルコ:精神においては、「われ思う」という主体としてのわたし(=I)と、「われ感じる」という客体としてのわたし(=me)が自己を形成していて、「われ感じるがゆえに、われ思う」と、常に人に限らずありとあらゆる他者からの影響を受けて自己が変容している。自己とは他者との関係性を抜きにしては存在し得ないということなのではないでしょうか。
青年:すばらしい。わたしの問いをそのように発展させてくれるなんて感動です。免疫における自己言及性は身体としての場と表現しましたが、そのreferenceは遺伝子(genome)であると言い換えることが出来ます。遺伝子とは運命を決定する、非常に厳密でより高次に存在するコマンドではなく、いつでも自分のルーツを顧みるreferenceであると捉えることが出来ます。巷では遺伝子が分かればすべてが分かる、能力は遺伝的に決まっているという論調がありますが、それは優性思想にも通じる危うさを含んでいます。一方、人間は環境が全てであるとの意見もあります。しかし、これもまた20世紀の科学が明らかにしてきたDNAをはじめとする生命の営みに関する研究に対し、客観性を失った見方だと言えます。生命は非常に可塑性に富み、遺伝子をreferenceしながら、自己を見失うことなく自己組織化していく、そしてそこに多様性と共生が生まれるのだと思います。
すみません、話を元に戻しましょう。ところで、あなたは精神における自己言及性とはなんであると考えていますか。
マルコ:精神における自己言及性ですか。私はわたし。たとえ他者からの影響を受けようとも私は私のコンテキストでしか感じることが出来ない。私のコンテキストでしか思うことが出来ない。そこに精神における自己言及性があるように思います。それをアイデンティティと言うのでしょうか、あるいは先ほどおっしゃられたルーツと言うものなのでしょうか。思うという主体としての自己や感じるという客体としての自己のさらにより深層に、わたしという内奥の自己が存在し、意識下の自己は常に内奥の自己をリファレンスしていると言うことなのではないでしょうか。ところでこの内奥の自己とは生物学的にはどのように捉えられているのでしょうか。
青年:内奥の自己を解明することは心理学者のみならず脳科学者にとっても非常に関心の高い問題だと思います。現代の生命科学は生命とは何かという問題を、臓器、器官、組織、細胞、蛋白、DNAとより下位のレベルに降り、そのメカニズムを明らかにすることでより上位の問題を説明しようとしています。これを還元主義的手法と呼んでいます。しかし、還元主義的手法ではやはり生命の本質や、地球環境と生命について説明できないことを科学者自身もうすうす感づいてもいるのです。また、そもそも万物創世の神に対する懐疑から始まった還元主義的手法でしたが、今日その限界に気付いた人は、短絡的にそして復古的に生命の上位に存在する神を想定しようとしています。しかし、それもまた生命の本質を何も説明してはいないのです。生命とは無限大に大きいものから無限大に小さいもののまさに間に存在するものなのではないでしょうか。ですから内奥の自己について生命科学がその謎を解明しようとすることは重要です。しかし、それのみに答えを委ねてしまい分かったつもりになることも分からないと嘆息することもナンセンスなのだと思います。そして科学者もまた無限大に小さいものへ降り続けるだけではない、俯瞰する視点が要求されているのではないでしょうか。
マルコ:答えを安易に求めてはいけないということですね。
青年:そうなのだと思います。
マルコ:内奥の自己をreferenceするのも私であり、内奥の自己に見られるのも私であり、内奥の自己を磨くのも私である。しかしながら、そこには他者の存在が不可欠であり、それを失うと生命としての息吹が失われてしまう。そしてそれが私自身の普遍性と可塑性を生み出している。
青年:私はそのような視点で、社会や法や科学を捉えられないかと日々旅をしています。今日はあなたのような素敵な方と私の感じている疑問について話が出来てとても幸せな気分です。わたしはあなたの捜し求めているUnder the Sunについて全く知りませんが、ここを真っ直ぐ進むと森は直に終わり原っぱに出ます。きっとUnder the Sunはこの森の外にあるのでしょう。いい旅になることを願っています。
マルコ:僕の方こそありがとうございました。あなたもよい旅を。
マルコは一回り自分が大きくなったような気がしました。そして後ろを何度も振り返りながら青年に教えられた方向に向かって再び森の中を歩き始めたのでした。
長文をお読みいただきありがとうございました。
以下に参考文献を記させていただきます。
・「免疫系のしくみ-免疫学入門-」 L.Sompayrac著 大沢利昭訳 東京化学同人
・「免疫の意味論」 多田富雄著 青土社
・「生命の意味論」 多田富雄著 新潮社
・「邂逅」 多田富雄 鶴見和子著 藤原書店
・鶴見和子 対話まんだら 「患者学のすすめ-‘内発的‘リハビリテーション 上田敏の巻」 藤原書店
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情報なんて--日替わりコラム:金曜日--T.N.君の日記
http://stenmark.exblog.jp/3639357/
2006-06-15T22:50:00+09:00
2006-07-22T22:15:03+09:00
2006-06-15T22:50:17+09:00
pantherH
Under the Sun
麗子お嬢さんとやらがUnder the Sunに遊びにおいでとのことだが、田舎者の私はお嬢様のもてなし方を心得ていない。まして、あまり縁のなかったお嬢様と聞くとつい意地悪したくなってしまう。
麗子 貴方がTN君という方ですか?いつもお堅い文章をお書きなさるので、お目にかかるのちょっと怖かったわ。でもそうでもなさそうね。
TN ・・・。
麗子 Under the Sunについてお聞かせいただけると聞いて訪ねてきましたの。どうぞお話してくださるかしら。
TN 単刀直入ですな、お嬢様は。Under the Sunについて僕に聞いても仕方がないと思いますよ。
麗子 でも、かなりUnder the Sunに中心的に関わっていらっしゃる方だとお聞きしていますの。物事は何でもその中心人物にインタビューする方が本質に迫れるといいますもの。これまでの方々のお話を聞いて私すっごく興味を持っておりますのよ。Under the Sunに。
TN ふん、僕は理念や運営構想なんかは書いたけれど、Under the Sunのグランドデザインをしているつもりは全くないですよ。それに、トラックバックセンターを構築し閉鎖する過程でとことん消耗し、今は少し距離を置きたいですし、ブログというツールについて僕自身懐疑的になってしまいましたからね。
麗子 ブログに懐疑的ですって・・・?多くの方々はブログの勝利と祝杯をお挙げになっていらっしゃってましたわ。共謀罪のときも見事な連携プレーだったと皆さんおっしゃってたわ。それを意味がないですって(何を言ってんだ、こいつは・・・)。
TN 意味がないとは言いません。多くの方の存在や意見を知り、多くの情報を得て有益なこともたくさんありました。ただ、僕はブログ云々する前に、そもそも情報というものに懐疑的になってしまったのです。
麗子 え?おっしゃる意味が分かりませんが(何を言ってるんだ、こいつは!!)。
TN 逆に聞いちゃうけど、あんた情報って必要だと思いますか?無くてもいっこうに構わないと思ったことはありませんか?
麗子 いいえ、お父様は毎日経済新聞を読んで政治経済の動向や企業の情報を得て株式投資に役立てているわ。それに私だって、テレビやインターネットで美味しいお店や新しいブランドの情報を得たり、そうだわ、luxembrugさんやそのお仲間の皆さんのブログから多くの情報を頂いているわ。それが不要だとおっしゃるの?貴方だってネットやテレビからたくさんの情報を入手されてるじゃないの?そんな事言うなんて頭おかしいんじゃないかしら。
TN そう、頭おかしいのです。でも、情報というのは、滞っていたり、ただ流通しているだけでは全く価値をなさないものなのではないですか。受け止められて脳で自分のことばに置き換えて初めて価値をなすものなのではないでしょうか。受け手の脳を通過して身体化しないとただの記号に過ぎないのですよ、情報というのは。まあ、言葉もそうですが。
麗子 でも、理解したり解釈したりするのには先ず知ることが必要じゃないかしら。知らなかったら理解も解釈も身体化も出来ないわ。
TN イノセントなことを言いますね。知らないということを前面に出せるほど世の中甘くはありませんよ。貧困も戦争もAIDSも知らなかったですむと思っているのはとぼけている証拠じゃないですか。知らされなかったのではなく、知ろうとしなかったのです。いいや、みんな知ってはいるのです、それなりに。インフォメーションとしてね。
麗子 それでは、知ることは意味がないとおっしゃるのね。貴方は。
TN いいえ、知ることはとても大切なことです。現にあなたが知ろうとしていることに感心さえしています。しかし、偉そうだけれど、「知ること」と「思うこと」は違うと言いたいのです。そして「思うこと」はシチュエーションによっていかようにも変化するものだから、思うことを超えて自分のことばで「考えること」が必要だと言いたいのです。そのプロセスから考えると、ブログはテレビには勝るかも知れないけれど、本には劣るし、ましてや生身の人間と話している方がよっぽどそういうプロセスが多いのですね。そしてそのプロセスが出来ていれば、テレビであろうと何であろうと情報の媒体なんて何でもいいのであり、ましてそのような人は情報により行為が基定されるのではなく、内面により行為が決まるものなのではないですか。情報とは所詮その程度のものなのですよ。だからブログにこそ本当の情報が詰まっているなんて言うのは余程の誇張ですよ。あなたもブログに接するときには、情報が表層を上滑りするだけになりやすいからくれぐれもご注意遊ばせ。
麗子 私はブログから色々勉強になることが多いし、考えることもしばしばですが。
TN それなら、あなたは心配ない。でも、インターネットの情報は、一度お気に入りに登録すると、一切の道程をショートカットしてそのブログに到達できるのですね。ネット右翼があーだこーだ言っていたとしても、一度自分の島を見つけると、それまでに出会っていたほんとうんざりするような情報に一切出会う必要がなくなってしまうのですね。いつもその島にワープしているみたいな感覚があって、ネットブログって非常に大きな空間に見えて、極々閉じた世界にも感じますね。一方、テレビの垂れ流す情報は魑魅魍魎ばかり。なんだか情報のあり方として、テレビもネットも健全なのかと懐疑的になってしまいますね。
麗子 得たい情報に容易にアクセス出来るというのはいいことなんじゃないですか?あなたって相変わらず屁理屈こねてらっしゃるという印象ですわ。
TN まあ、屁理屈です。何でもブラボーと言う言葉を聞くと、本当か?って疑り深い性分なものですから、気になさらないで下さい。僕は情報をとても重要なものだと思っていたんですね。でも、急にそうではないのではないか、と思えてきてしまったのですね。情報をアレンジするのではなく、原点に戻ってもっと自分を鍛えなきゃいけないですね。
麗子 もう止めて。貴方と話していると頭がおかしくなりそうだわ。こんなひねくれ者にに会ったのは初めてだわ。なんか気分が悪くなったので帰らせて頂きます。
TN あ、すみません。いつもの悪い癖が出てしまいました。
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「僕の叔父さん」を読んで
http://stenmark.exblog.jp/3593962/
2006-06-08T21:55:00+09:00
2006-07-22T22:14:12+09:00
2006-06-08T21:55:38+09:00
pantherH
読書
最近読んだ本は、中沢新一「僕の叔父さん、網野善彦」(集英社新書)です。2004年2月27日に享年76歳で亡くなられた、歴史学者 網野善彦に心から憧憬と友情を抱いていた中沢新一が、叔父である網野さんを追悼して上奏した本です。
中沢新一と網野善彦の交流は中沢新一5歳の夏、父の妹が旦那である網野さんを山梨の実家に連れて来たことから始まります。網野さんは幼少期の中沢氏に、日本の歴史の物語を話して聞かせ、そのお話の面白さに中沢氏は網野さんが訪れるのを心待ちにしていたとのことです。
コミュニストであり農民であり民俗学者でもあった父が、農本主義的マルクス主義を否定し、科学技術の発展こそが人間を因習から解放し人間に本当の自由をもたらすと主張し、一方、科学技術史研究家であった父の弟が、農村における土着的な生活こそが人間の本来あるべき姿であると主張する、なんとも面白い議論が毎晩中沢家で繰り広げられ、網野さんはそれをじっくり聞き入り、中沢氏は興味津々にその議論の行方を見守っていたのだそうです。「網野君はどう思うのだね?」という中沢一家からの質問に、網野氏は「晩年のマルクスとロシアの女性革命家ザスーリッチが交わした往復書簡で、マルクスは『ロシアのミールという農村共同体を調べてみると、それはとても素晴らしい要素をたくさん持った社会的組織体であることを知った。このミールを破壊してその廃墟の上に立つことによってしかロシア革命は進めることが出来ない、という考えを私は今では否定する。』と書きました。マルクスはミールを破壊してその先へ進んでいくという考えを否定しています。一方、彼はミール共同体へ帰れといっているのかといえばそうではない。ミールという農村共同体の中に保存されている原始・未開の部分を取り出してきて、それを新しい社会を構築する原理に据えるべきだと主張しているのではないでしょうか。」と答えます。
僕は日本国憲法を愛し、誰もが幸せに生きるためには、パブリックという概念は当然で、富の再分配を通じて平等を目差す、それを地球規模で行っていく世界国家などという夢想を抱いていたこともありました。同時に、世界国家などという包括的な国家観は、ソ連の官僚主義、中国の天安門事件などを見て、果たして人を幸せにし得るのだろうかとの疑念を抱いてもいました。それでは地域主義(地球規模で捉えた場合ですが)が正しいのかと問うと、その殆どが民族主義的排他主義に陥り戦禍に明け暮れている状況を見て疑問を感じ、はたまた、現実から乖離した理想こそ問題であるとして、現実としての市場経済やマネー、専制というものを全肯定すると、歴史や現在の社会問題から浮かび上がる不正義や問題点の原因こそがそこにあるという、まるでエッシャーの騙し絵のような思考の世界に陥っていました。
網野さんの指摘された視点、即ち私達の立脚するところを見つめ、それを踏まえて新しい社会を構築していくという「等身大の地域主義」こそ、この思考の堂々巡りから脱出する鍵となるのではないかと思いました。続くアジールに関する研究でも、今日的な問題に対し、今でも十分に新鮮な視点が展開されます。
中世の日本では権力による法の及ばない、「アジール(避難所)」という世界が日本に存在しました。アジールは権力による支配から人間を自由なところに置き、その領域においては、世俗的な封建的共同体の支配を脱して、土着的なカミによる支配をもって、原始的な共同体を形成してきたそうです。「自由」はフランス革命後、西洋から輸入された概念のように思われますが、中世日本において、人々は内心に応じて自由を求め、封建的共同体ではない新たな共同体を標榜した、即ち自由を標榜し社会を形成した人々がいたと主張されています。
現代社会は情報革命の影響もあり、権力の及ばないアジールを徹底的に否定しています。日本においては精神のアジールさえ権力や世論により踏みつぶされかねず、また、社会問題化している「ひきこもり」は、ある意味精神のアジールを求める行為であるにも関わらず、それさえも許されない状況にあります。今日の組織化された社会では、権力支配や社会通念を超えたアジールを希求することは悪となります。しかし私は読みながら、悪であるところのアジールにこそ失われた楽園が存在し、そしてそのアジールは新たな共同体の中に存在し得るのではないかという思いに駆られました。
共同体と一口に言っても、これまでの共同体は封建的共同体であり、人々はそこからの解放を求めて都市を形成してきました。都市は元来人々の自由への希求の結果であったのです。その結果生じた今日の地方没落、都市の無機質という問題に対し、共同体を再評価して因習に縛られた封建的共同体への回帰を求める声も聞こえます。しかし、歴史的必然性や、そこにアジールが存在し得るのかという観点から考えても、封建的共同体の希求は時代錯誤としか言いようがありません。共同体そのものが新たなステージを求められているのです。
新たな共同体のステージとして、人間が自然の一部であることを強調した、自然に宿る「カミ」を畏れる「原始的なアニミズムを柱とする共同体」と、民主主義の成熟に伴う、「個々の自由意志により構成される共同体」という2つのモデルがこれまでに提示されて来たと思います。前者のモデルに対し、私は、原始的アニミズムがカルトを克服して普遍化し得るのか、科学技術をどのように捉えるのか、あるいはそこに求められるストイシズムをいかに獲得し得るのかという問題に関して考察すら出来ていません(ゆえにオウムの問題は非常に重要なテーマなのです)。また、もう一つのモデルである、個々の自由意志により構成される共同体は、口だけではなく身体をも動かさなくてはならず、その能動的行為に対するしんどさも手伝って、たやすく封建的共同体あるいは馴れ合いに堕してしまうという問題を孕んでいます。
本書を読んで、網野さん自身の封建的共同体から新たな共同体のステージへの模索と、自らに対しそのステージへの意識を常に働きかけ続けなければならないのだというメッセージではないかと思いました。そしてそれは民主主義への強いエールなのだと思いました。
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共謀罪は断固廃案だ
http://stenmark.exblog.jp/3551596/
2006-06-02T00:50:00+09:00
2006-06-02T08:34:32+09:00
2006-06-02T00:50:15+09:00
pantherH
社会
権力側が如何様にも恣意的に運用出来る法律であり、現に911以降のアメリカでは共謀罪のもと市民運動家や平和活動家がターゲットにされています。居酒屋で冗談で「やりてー」と言ったら逮捕されるというのは大袈裟だと思うかもしれませんが、そのような拡大解釈の余地を充分に残した、如何様にも適用しうる恐ろしい法律です。少しでも権力に意義を申し立てたら、権力にマークされたら、如何様にも料理される。権力はお上だけとは限らず、会社だってそれに楯突くものを、これを使って如何様にも調理することが可能な法律です。
私は、旧東ドイツに留学され、東ドイツの密告社会をまじまじと体験され、密告により四六時中、秘密警察に尾行された経験のある方から、密告社会の恐怖を聞いた事があります。彼はただ図書館にドイツ古典文学を研究しに通っていただけだったのですが、事もあろうか同僚の密告によりスパイ容疑をかけられたのでした。殆どノイローゼになり、ボロボロになって帰国され、後に同僚が密告者であったと知った時、凄まじい人間不信から生きる事が嫌になったと述懐していました。そんな彼を救ったのはベルリンの壁の崩壊でした。相互不信に陥りながらも、自由を求め希望を求め壁を壊した市民を見て、彼は東ドイツでの出来事を許そうという気持ちになれたのだと言います。
なぜ私たちはこの時代に、そのような暗黒社会に生きなくてはいけないのでしょうか。東西冷戦が終焉し、漸く世界的に民主主義を如何に育むか知恵を出し合おうとしている時に、このような暗黒社会を求めなくてはいけないのでしょうか。
映画『蝶の舌』で、反ファシスト活動に加担した容疑で連行される大好きな老先生に向かって、泣きながら罵声を浴びせる少年の「こんな世の中に、こんな世の中にしたのは誰だ」という魂の悲痛な叫びを再び繰り返さない為に、共謀罪は廃案にしなくてはいけません。
民主党の方々、マスコミの方々、それから国民のみんな、廃案にむけてもう一度声を上げましょう。
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酒で育った僕
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2006-06-01T00:47:00+09:00
2006-07-22T22:17:11+09:00
2006-07-14T00:48:48+09:00
pantherH
Under the Sun
僕はUTSの皆さんとお酒を飲む事は許されない人種かも知れません。だって、飲ミニケーション大好きで、先輩に誘われたら喜んで着いて行っちゃう性質ですし、お酒の席でつい口角唾を飛ばして語ってしまい、翌日穴があったら入りたいくらい自己嫌悪に陥る事がしばしばあるからです。けれどもまた同じように繰り返してしまうのは、都合の悪い事は適当に忘れてしまう親譲りの性格と、それでもなんとなく付き合ってくれている友人たちのおかげだと感謝しています。
都会はもう止めようと突然決心し、僕が生まれて間もなく両親は乳飲み子を連れて東京から信州の山奥に当てもなく引越しました。引越した先は、山と空気が奇麗な高原でしたが、吉幾三の『おら東京さ行くだ』のようなど田舎で、道はまだ舗装もされておらず、近くの雑貨屋まで子どもたちの手を引いて2キロの道のりをエッチラオッチラ買い出しに行くので一日が暮れる、そんな生活が待っていました。突然やって来たよそ者に温かくもあり、冷たくもある土地でしたが、父は地元の人に混じって土方に精を出し、これは父ちゃんが作った露天風呂だぞ、と真夜中自慢気に露天風呂に連れて行かれた記憶もあります。
学生運動の熱い季節が終わり、こんな山奥にも学生たちが勉強にかこつけて避暑にやって来るようになりました。学生村のような民宿があちこちに誕生し、美大生や浪人生など若い学生たちが集まっていました。彼らと年齢が近かったからか我がオンボロ借家には、学生たちが集まっては酒を酌み交わす光景が夜な夜な繰り広げられていました。そんな伏線があってか、僕が保育園に上がると両親は昼間家を留守にして、捨て石を敷き、水平をとってコンパネを組み、コンクリートを流して基礎を作る作業に没頭するようになりました。地元の大工さんに協力してもらいながら、自分たちのヒュッテを作り始めたのです。木の香りのするヒュッテが完成したのは4歳の時だったでしょうか。
細々とヒュッテの営業が始まり、徐々に常連のお客さんが来るようになりました。ヒュッテの売りは『泊まれる居酒屋』。日々の憂さを晴らしに大人たちが夜遅くまで、両親を相手に熱く語っています。「子どもたちはもう寝なさい。ここからは大人の時間なの。」と言って8時過ぎには奥の部屋へと追いやられ、たまにトイレに立つお客さんでホールの扉が開くと、大人たちの嬌声や陽気な音楽がドーッと奥の部屋まで響いて来ます。ある時、軽快な音楽がホールから流れて来ました。なぜか電気は暗く、陽気な笑い声だけが聞こえて来ます。密かにほんの僅か隙間を空けておいた窓から息を潜めて覗き込むと、みんなでABBAの音楽に合わせて踊っているではありませんか。「大人って、大人って、不思議だー。」
子ども連れのお客さんがみえると僕らの出番です。トランプや鬼ごっこなどをしてもてなします。傍らで色々な大人たちが、初対面にも関わらずビールを飲みながら楽しそうに談笑しています。子どもたちも、「えっ、これ僕のお父さん?」と少し戸惑った表情を浮かべています。「お酒って、お酒って、不思議だー。」
中学になると大人の席に少しだけ加わるようになりました。お茶を啜りながら、大人たちが話す仕事、組合、恋愛、子育ての悩み、たあいのない話などなどあまり良く分からないながら、大人には色々あるのだなと思いました。どんな大人でも大人だし、「立派な」大人にならなきゃいけない訳じゃないんだという事を知り、「大人になりてー」と思いました。
はじめてお酒を飲んだのは、中学の卒業式。以降、お客さんと一緒に僕もウヰスキーの水割りを飲みながら話に加わるようになりました。僕は沢山の大人たちと、その大人たちに酌み交わされる「酒」の中で育てて貰いました。今でも沢山の人と飲む酒も、こじんまりと飲む酒も大好きで、その当時の大人がそうであったように、楽しくもあり、つい熱く語ってしまうのでした。
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